陥落者
今が朝か昼か夜か分かりません。
ここはきっと地獄なのでしょう。
人を殺して、騙して生きてきた私の最後にいく場所なのでしょう。
ねぇ、閻魔様。お願いです。
鬼一人連れてきてください。
地獄の業火で焼かれるよりも、針山を渡るよりも、
寂しいことに耐えれれないのです。
ふっと自然に目が覚めました。
ここは、保健室のようです。私は寝着を着ていて、
今までのことを思い返そうとしました。
けれど、何も思い出せません。
感じるのは、さっき感じた地獄と同じ気持ちだけ。
「ちゃん」
聞こえた音に、まさかと私は、振り返りました。
ありえないと脳みそが拒否反応しているのに、
「おかえりなさい」
あの子が襖を開けて、笑っていて、
その一言で、常識を振りきって、彼女の体を捕まえました。
彼女はちゃんとここにいます。
ちゃんと温かい。幻じゃないことが分かって、一息吐く私に、
クスクスと笑い声。
「どうしたの?」
「悪い夢を見て」
「なにどんな夢?」
「くだらない夢ですよ。ただいま」
私が微笑むと、あの子は、泣きそうな顔をしました。
どうしてそんな顔をするのか、理解出来ない私は、どうかしたんですか?
と聞く前に、彼女はぱっと顔を変えました。
「あのね、ちゃん」
そのときの顔は、
本当はね、天女じゃなくてね、
未来からやってきたの。お願い、信じてと
言ってくれた時と同じ顔をしていました。
私は少しだけ嫌な気持ちになりました。
きっとそれは、私の第六感です。
私がこれまで生きるか死ぬかの場所で、生き抜いてきた勘です。
「お迎えがきたの」
空を見れば、光の塊が見えます。
あの光へ、私の腕の中から出てそこへ行こうとする、
彼女を私は必死に掴みました。
「私を、置いていかないでください。
やっと、やっとあなたが来てくれたんです」
つぅっと頬を伝うのは、涙でした。
私のために久しぶりに私は泣きました。
「運命も愛も、全部あなたが持ってきてくれたんです」
彼女の顔がゆがみましたが、私は涙を瞳にためていたので、
気づきもしませんでした。
彼女は苦笑しながら、私に優しく諭すように言うのです。
それは、彼女を年上だと思いだたせましたけれど、
私がまだ、5年だと14だと思いだたせましたけど、
そんな事はいいのです。
「聞いて、ちゃん。後ろを見て、ほら、みんなが待ってる」
彼女が指さしたところには、私の友人と、私の元婚約者の三郎がいました。
みんな、私を見て、三郎が私に手を差し伸べてきました。
私が、彼女の方へ顔を戻すと、彼女の体は透けていました。
「私はここに最初からいないんだよ」
そういって、ふわりと体重がないかのように上へあがる彼女に
私は後ろのみんなを忘れて叫びます。
「私だって、ここにいません。
誰も私を置いていってしまって、三郎も私を置いていってしまいました。
頑張ったのは、いつでも愛のためだけだったのに。
それ以外に頑張る理由なんてなかったのに。
みんな、私なら、一人で、大丈夫だっていうんです。
あなただけが、大丈夫じゃないって、泣いてくれたんです。
私のために泣いてくれたのは、あなただけでした。
私、これまで、わがままを言わなかったです。これからもいいません。
一生いいませんから、一回だけのわがままを叶えてください。
いかないで、いくのなら、私も連れていってください」
「もう一人は嫌なんです」
近くで、泣いているに、心臓を打たれたような気がした。
こんなやつを演じるなんて嫌だったけれど、
が元に戻るならと、舞台を用意したのは、低学年。
幻術はくのたま。仕掛けは、上級生と同級生。
の話を聞いて、みんなが手伝った。
必死に仕掛けをつくっている彼等に、が愛されていることを知った。
そんな舞台で、私は失敗するわけにはいかないと、手を握りしめた。
何度か、自分に戻りそうだった。
違う。そうじゃない。と、抱きしめたくてしょうがなかった衝動を押さえこむ。
の本心は、私が、みんなが、思い描いてきた姿と違っていた。
強く、忍びのためだけに訓練する、規律正しい彼女。
それは全て、私たちが創り上げた虚像でしかなかった。
そういえば、ここに来る前のは、よく笑い、よく泣く子だった。
かくれんぼをすれば、いつも最後まで残ってしまっていた。
それなのに、一人が嫌で、見つければ、涙を流して、抱きついてくるものだから、
いつも誰よりも先に見つけようとしていたんだ。
昔、昔を思い出した。
いつの間に、私は、を勝手に創り上げてしまったんだろう。
彼女はずっと変わっていなかったのに。
泣いて泣いて待っていたのに。
を死に追いやったのは、あいつじゃなくて、私たち。
「一人じゃないよ」
私は心から、微笑む。
もう、あいつの仮面は剥げかけてしまっている。
「ちゃん、ちゃんが知らないだけで、
ちゃんには、たくさんの人がいるよ。
わがままだって、一回じゃなくて、ずっと言える人がいるよ。
ちゃんのことで、ほら、みんな泣いてるよ。
私だけじゃないの。今なら、見えるはずだよ」
「」
私に変装した雷蔵がを呼ぶ。
その顔は、泣くのを耐えていて、・・・演技ではないんだろう顔をしていた。
その後ろで、の友人が泣いている。
、行かないで。と泣いていた。
が私を握る手が緩んだ。
「あ」
「それが、ちゃんの場所だよ。
私は私の場所へ、ちゃんはちゃんの場所へ、
ちゃんは、今度は少しだけ、頑張るのをやめて、わがままを言いなね。
きっと、彼等なら受け入れてくれるよ」
空中で飛び、光の中へ消える私には突っ立ているだけ。
「ありがとう。さようなら」
そう微笑み、私は消えた。
いや、天女さまは消えた。
本当の最後は違かった。最悪な天女になって消えるはずだった。
天女物語のセオリーどおりに、人の感情なんて知らない冷徹さで、
を切るはずだった。
だけど、の本心を知れたのは、彼女のおかげでもあるから。
「うまくいったな」
そういって、舞台裏で、ハチと兵助と勘ちゃんが笑顔でいる。
彼等の言葉に、私は、仮面をはがして、口元をあげる。
「いや、ここからが本番だ」
これから、私は鉢屋三郎に戻って、
に、もう一度愛される男に戻らなくてはいけない。
彼女にもう一度が通じるのか分からない。
でも、私のために頑張り続けてくれた彼女に、
私が頑張らないわけにはいかないのだ。
うぅーと軽く体をほぐし、背筋を伸ばして、
みんなの中心となって、抱きつかれているのもとへ急いだ。
2010・1・18