陥落者
あいつがいなくなれば、全てが元通りだと思った。
現に、ハチも兵助も元通りになった。
後輩も同級生も、先輩もみな、元通りになったんだ。
でも、一番戻したかった人は戻らなかった。
物心ついたときから傍にいた。綺麗な所作に、綺麗な仕草。
と呼べば、振り返ってくれた私の幼なじみ。
お前の婚約者だよと言われた時でも、嫌じゃなかった。
むしろ、嬉しかった。
学園には、二人で入った。
人見知りが激しい私たちは、手を取り合っていたのだけれど、
月日は残酷で、いつの間にか、の傍には、
私が近づけないほどのたくさんのお友達が出来ていた。
は、自分に厳しく、人に甘い人だった。
だから、彼女の友達は、彼女を愛した。それは当然だった。
私一人のではなくなってしまった。
雨の日でも、手裏剣を投げている彼女を見た。
風の日でも、山を登っている彼女を見た。
照りつける太陽の中でも、組み手をしている彼女を見た。
雪の日でも、走っている彼女を見た。
休むことなく訓練するのが当たり前なのだと、
滝夜叉丸のように自慢することもなかった。
それがまた素敵なのだと、
それがまたカッコイイのだと、くのたまは囁く。
そんなは、いつしか、私を追い抜かしていた。
5年で優秀・天才とされる私よりも、はもっと上にいた。
それはそうだ。
才能に努力が加われば、それを追い抜かすのは、難しい。
私とが一緒にいると、くのたまが囁く。
彼と一緒にいるのは、婚約者だからに違いない。
家が隣だっただけなのに、可哀想に。
もっと、は、自由にあれたのに。
いつか、潮江先輩が叫ぶ三禁を、彼女は、鼻で笑っていた。
きっとも、潮江先輩と同じ考えで、愛よりも忍びなのだろう。
卒業したら、家庭(私の妻)よりも、忍になりたいに違いない。
だから、私は手を離した。
私のわがままに付き合わなくてもいい。
もう大丈夫だからといえば、
小さい頃よりもなくなってしまったの表情が少し揺れた気がした。
でも、はそうというだけで、綾部のように読めない顔をして、
私に背中を向ける。
ああ、ああと、私はそのまま雷蔵の所へ走った。
本当は、嫌だと言って欲しかった。
一緒にいたかった、傷ついて欲しかった。
それなら、好きだといえばいいのにと良いのにと、
泣いている私に言う雷蔵に言い返す。
「もし、拒否されたら、私は死んでしまう」
彼女を忘れるために、彼女と似ても似つかない少女を見繕った。
彼女が私の傷を癒してくれていたのか分からないけれど、
前よりもが絶対な存在ではなくなってきていた。
そんなある日、あいつが降って来た。
拾ったのはで、は・・・は、そいつに懐柔された。
「ちゃん」
甘い響きが聞こえる。気持ち悪い吐き気がした。
だけど、は振り向き、彼女に手を差し伸べる。
は、そいつを甘やかした。
小さなころ、少ししか見ることなかった笑顔をそいつに向けた。
私が触れれなくなった髪を、あいつは、簡単に触り、
抱くことができなくなった体に頬ずりをする。
「大好きよ。ちゃん」
その答えに、は、とろけるような笑みで、
「ええ、私も大好き」
そう答えたのだ。
なんてことない普通の少女ではないか、
何も出来ない甘やかされた少女ではないか。
私が駄目で、くのたまの彼女たちも駄目だったのに、
そいつが、いいのは、ずるいじゃないか。
だから、が当たり前に毎日行っていた訓練をしなくなったと、
嘆いていた潮江先輩と、あいつに愛しい人を盗られた奴らと、
が好きだけど、そういう感情をもつことすら罪だと思っていたの友人が、
手伝って、
あいつを、間者に仕立て、殺した。
正気に戻っていく彼等に、
私たちのしたことは間違っていなかったと、確信していたのに。
も元に戻ると思っていたのに。
―――あの子なら、私は、殺されても良かった―――
そういって、は泣いた。
酷く幼い泣き方だった。
錯乱状態で、そのまま持っていたクナイで、
死のうとするを、潮江先輩と善法寺先輩が押さえて、
強い薬を与えられたは眠りについた。
「私は、間違っていないあいつは、いつかをダメにする。
だから、これで良かったんだ」
保健室の中で、私の呟きだけが静かに響いた。
私は毎日の元に通った。
がこういう風になってしまって、私は私の彼女と別れた。
死のうとする彼女を死なせたくないし、あいつのようなものが現れて、
を奪われるのも許せなかった。
今回の出来事は、私にが好きなのだと再確認させられた。
保健室で眠るは、作られた物みたいだ。
死んでもなおを追い詰めるあいつに、
もっと酷い方法で殺すんだったと両手に力が入る。
「鉢屋」
「・・・・・・」
「鉢屋」
「なんですか」
「もう、彼女を眠らせたままにするわけにはいかない。これ以上したら、
廃人になってしまう」
「・・・起きたらどうなるか分かっているでしょう。
は、あいつを探して、いなくなって、死のうとする」
前のようにいきなりではなく、ゆっくりとに説明していけば、
あのだ。大丈夫だと思っていたけれど、
は、私たちの話を聞かず、幽霊のように、あいつを探し彷徨い、
最後に、自害しようとする。
それを押さえこみ、眠らせて、また同じことを何度か繰り返した。
「だから。騙すのさ」
善法寺先輩が強い瞳で私を射ぬいた。
そこには、不運で、優しい善法寺先輩はいなかった。
2010・1・17