ごめんね。3
「何を考えているの?」
そういって、横で思案顔で俺の顔を覗き込んでいる女は、
伊作の彼女だった。
でも、今は、俺の手を握りしめている。
俺は、この6年間、常に自分を律していた。特に色に対しては。
理由は、心も体も陥落するからだ。
俺は、色に弱い。そして、色に染まりやすい。溺れやすい。
―――――いいや、俺は、叶わない夢を見たくなかったんだ。
俺の心には、いつでも、小さな女の子がいた。
彼女は、強かった。
笑顔で、ひょいひょいと俺が出来なかったことを軽々として、
上から笑っていた。
くのいちの彼女らは、守られるような性格はしていないけれど、
特に彼女はそうだった。
俺は笑っている彼女が苛立たしくて、悔しくて、
どうにか這いずり下ろそうと必死だった。
俺が彼女に追いついたとき、どうだと笑ってやった。
彼女は、そんな高慢な俺に、よくやったと笑っていた。
俺は、彼女が努力していないわけではないことを知っていた。
仙蔵のように天才ではなかった彼女は、
男よりも強かったのは、俺よりも必死だったからだろう。
いかんせん、俺は男で、彼女は女であったから、差ができてしまった。
しかし、彼女は、女の身が憎いと泣くようなこともなく、
しょうがないと諦めるでなく、ただ俺を褒めた。
俺と彼女は、同じ年なのに、こうも違うものかと、
背中を見ていることしか出来なくて、その時、決意した。
彼女を守れる男になろうと。
それから、俺は彼女の生き方を噂で、知った。
噂は本当か?と聞けば、
彼女はなんだぁ知っちゃったの?と笑顔で、俺に言った。
「でもね、文次郎。私は幸せだよ。ご飯食べれるし、綺麗な服だって、
欲しい物なんでも手に入るんだぁ。いつか、あそこを征服して、
ハーレムを作るのが私の夢なの」
彼女の笑みは濃くなった。
心に、体に、負った傷がどのくらいか俺には分からない。
ただ、彼女は、全てを否定していた。
すべての手を振り払っていた。
俺は、そんな彼女に、どうしていいのか分からなくて、
伸ばした手は空を切った。
俺が手のひらを見ている間に、伊作が彼女を掴んだ。
彼女は、手を、ふーんとわずわらしそうに見てから、にまりと笑った。
そして、彼女は伊作と付き合った。
俺は、色を絶った。禁じた。
それは自分を高めるためではなく、
あの時、掴むことすら怖がった弱虫な俺を隠すためだった。
彼女の笑みが少しずつ色を薄くしていく。
それは、俺ではなく伊作によるもので。
「文次郎。もしも、夢が叶うなら、あと、一年ここにいたいって思うのよ」
と、素直な気持ちも言い始めていた。
俺と彼女の立ち位置は、いい友人で、最後までそうであるはずだと
夢をみることする諦めた俺は、
彼等を祝福することもできるようになっていたのに、
女が来た。
綺麗というよりも可愛いが似合う少女だった。
少女が発するふわふわと空気感染するほどの甘ったるさは、
伊作の脳みそを溶かして、彼女を傷つけた。
「私が、伊作に飽きただけ。
いつ捨てるかって考えてたから、丁度良かったの」
そういってやっぱり笑みを濃くした彼女に、俺はすべての感情を押し殺して、
そうかと言った。
伊作を殴れば良かった。
女を殺せば良かった。
幻術だと言ってやれば良かった。
お前のほうが美しいと、愛しいと言えば良かった。
言葉はなく、風の音だけが響いていた。
そして、物語は最悪に転んだ。
彼女は、伊作がうつつをうかした女をかばった。
赤い血の海で、息も絶え絶えに、
視界すら見えていないだろう彼女に、弱い俺は、
ようやく最後に彼女の手を握り、吠えた。
「待て、いくな。まだ、なにも始まっていないはずだ。
お前の未来は、今よりもっと輝かしいはずだ。
いくな。いくなよ!!・・・・いかないでくれ。俺はお前を愛してるんだ」
あの言葉は、真実疑い無く、墓場まで持っていくつもりだった、
俺の最後で最初の愛だった。
最初から最後まで、同じ女を諦めず、
抱きしめることも、掴むことすら出来ず、
ただ成り行きをみえていただけの、俺の恋だった。
「文次郎?」
横で、俺の名前を呼ぶ俺が愛したたった一人の女は、
それから、奇跡をとげ、生き返った。
すべてを忘れて、人生も新しくなり、目覚めた。
伊作は彼女との仲を、元に戻そうと必死だった。
俺は、やっぱり、その姿を遠くから見ているだけだった。
俺のことを知らない彼女に会うのが怖くて、
真実を知った彼女に会うのが怖くて、
なかなか会えなかった。
でも、保健室にいる彼女に会わないことは難しくて、とうとう捕まれば、
何の因果か、彼女は俺の治療をすることになった。
彼女の姿は何も変わっていない。
声も匂いも気配もなにも変わっていない。
手が触れた瞬間、俺の鼓動が早くなるのも変わっていない。
「・・・この手」
彼女の声が震え、手を強く掴み、俺の目をじっと凝視する。
「なんだ?」
早く手を離して欲しくて、そっけなく言った言葉。
彼女は、俺に微笑んだ。
それは、俺が彼女に勝ったと言ったときの笑みと同じで。
「あなたが、私の愛していた人ね」
頭が幻覚を見せたのだとそう思った。
それから彼女は俺の前に現れるようになる。
なぜ、彼女が俺を選んだのか。
簡単なことで、記憶をなくした彼女は、
あいしてるっと言った誰かを手の感触だけは覚えていた。
そして、それはたしかに俺だったけれど、
言ったのは、伊作だった。
勘違いだ。と言ってくれと伊作になんども言われた。なんども泣かれた。
だけれど、俺は、伊作を憎んでいた。
捨てて、ボロボロにして、死にまで追いやったのは、奴だったから、
もう、伊作に渡せなかったから。
だから、彼女は今俺の横にいて、伊作ではなく、俺の恋人になった。
急に、眉間に不快な感触を感じる。
見れば、彼女は眉間に指を突っ込んでいた。
「文次郎。難しい顔して、眉間に指が入るのだけれど?」
「・・・いきなり、突っ込むな」
「凄く無視してくれちゃって、傷ついた。甘いもの食べたい」
「あー、たしか饅頭が、ほれ」
「いらない!!」
「は?だって、お前が欲しいって」
「愛しの恋人だっていうのに、文次郎ってばなにも教えてくれない」
「お前だって、教えてくれない」
「何を知りたいの?」
彼女は笑った。
その顔に見覚えがあって、俺は、動揺したが、顔に出さずに、言葉を紡ぐ。
「・・・お前は、嘘つきだ」
俺だかが、彼女の本当の最後を知っている。
本当の最後の言葉を。
『・・・あり・・・がと・・・ご・・め・・・ん・・も・・じ・ろ・う』
今でも、耳に残る言葉は、俺を奮い立たす。
今から、することは、俺が長年見てきた夢を壊すかもしれない。
だけど、俺は彼女を守りたい。俺が壊したいわけではない。
だから、俺は彼女の頬に触れて、言う。
「本当は全部覚えてるな?」
「・・・・・・・・」
「お前は、伊作を愛しているのだろう?」
「嫌だな。文次郎。私が愛してるのは」
「お前の最後の言葉、俺は覚えているぞ」
そういえば、彼女は一回目を見開いて、まいったと手を挙げる。
「今なら、まだ戻れる。伊作の元へいけ」
「あはは、無理だね。文次郎。
だってね、私。最後の最後で神様に頼んだの。
私が愛していた一番の人に、頼んだの。そしてそれは、叶った。
私はね、最後の最後、
私の真実を伊作だけには知られたくなかった。
それなのに、誰かに知って欲しかった。
次は、関わらないよ。って、言っちゃったしね。
まぁ、こんなうまくいくなんて思わなかったけど」
どうして神様は、最後に僕を会わせてくれなかったんだろう。
そういって、俺に縋りついてきた伊作を思い出した。
「どうして」
「どうして、どうしてね」
彼女は立ち上がった。風が彼女の髪を遊ぶ。
「私、子供産めないんだよ。
文次郎は、それでもいいって言ってくれるけどね、
伊作のところは駄目なんだ。彼の家、世継ぎってもの必要なんだよ
それに、伊作子供超好き」
「っそれだけで引くのか。伊作はお前が好きなんだぞ?」
「それだけって、十分だよ。
私には十分。伊作の未来を壊すくらいなら、私は要らないじゃない!
伊作は、いつか絶対、私を忘れる。それでいいの」
息を荒らげた彼女は、それから大きく息を吸って、手を差し出した。
「文次郎、やっぱり饅頭ちょうだい」
渡すと、俺の横に座りもぐもぐと口に含み、俺を見ずに喋る。
「言っとくけどね。文次郎には拒否権なんかないんだから。
あなただけは私を捨てちゃ駄目なんだから。
あの時、手を取ったのが運のつきだって思ってよ。
だってね、これだけは嘘じゃなくて、手を掴まれたとき、
きゅんと愛ってものを感じちゃったんだから、しょうがないでしょう?」
呆れた。
「お前は大概嘘つきだ」
そういえば、振り返えった彼女に、笑みは、もはやない。
「幻滅した?」
「いいや、嘘つきと弱虫、丁度いい」
そういって、俺達は、自然と手を握り合った。
2010・12・16