美術室の・・・ 上
夏の置き土産とばかりに鳴く蝉の声が聞こえたあの日、
私は一枚の絵の前で呆然と突っ立て、拳を握りしめた。
壊すつもりだった。
なかったことにするつもりだった。
いつもどおりの日常を愛して、素知らぬ振りをして生きていけばよかった。
でも、私は を知ってしまっていた。
そして、その日、私は殺された。
真向かいの窓に食満先輩が必死の形相で走っている姿が見えた。
「雷蔵。なんか、食満先輩がすごい形相で走ってるんだけど」
指で指すのが間にあわないくらいの速さで窓からいなくなった。
「え?・・・どこ?」
横にいる雷蔵には見えなかったようで、
私は食満先輩にそんなに興味がなかったから。
「・・・ま、いっか」
と流した。
思えば、そこから間違えだった。
教室へ戻ると、放課後だというのに仲間たちがいた。
同じ学年の尾浜 勘右衛門。久々知 兵助。竹谷 八左ヱ門だ。
ゲームに負けた私と雷蔵が、彼らの分のジュースを渡す。
竹谷 八左ヱ門・通称ハチが、バナナミルクオレを飲みながら、
そういえばと話を切り出した。
「食満先輩がすごい勢いで保健室へ行ったらしいんだけど」
「あ、私それ見た」
「へー三郎の見間違えじゃなかったんだ」
「なんかすごい必死な顔だったし、食満先輩早かったぞ。ありゃ、学年1の速さかもな」
といえば兵助が豆乳をごっくんと音をたてて飲み頭をひねる。
「なんかあったのか?」
「また善法寺先輩が不運な状態に陥ったんじゃない?」
尾浜勘右衛門・通称勘ちゃんが
黒豆と書かれたマニアックな飲み物にストローをさした。
2年A組である兵助と勘ちゃんの豆好きさに呆れながら、
前世から変わらない彼らに安堵をする。
兵助が豆腐嫌いだった日には兵助はもはや兵助じゃなくて、ただの美少年だ。
・・・いや、そのほうがいいのかもしれない。
兵助は、この学年で一番ハンサムなのに、彼女いない歴=年齢だし。
残念すぎる美少年って言われているし。
豆腐+電波+天然=観賞用だし。
もったいない。
優秀だし、体育できるし、顔もいいのに。
ああ、でも何が一番悪いって兵助が色恋にまったく興味がないところだ。
じっと兵助を見てると、豆乳はあげないぞと言われた。
いらない。
無調整をごくごく飲めるあいつの味覚を疑う。
よし。兵助に好きな人ができたら問答無用で応援しよう。
恋人がいても頑張って別れさせてやる。
だって兵助おじいちゃんなんだもん。
好きそうな豆腐プレイのエロ本渡したら真面目な顔で、もったいないって。
あの時思ったね。
これは前世より豆腐好きが進化・・・悪化してるって。
だから、兵助が好きだと思った子を全力で応援する。
じゃないと兵助女を知らずに、そのまま死にそう。
「それとも、後輩がトンカチを指で打ったとか」
兵助の考察をしていたら食満先輩がなんで急いでいたのかの推測が続かれていたようだ。
興味がなかった私は、雷蔵が迷っていた片方のプリンオレにストローを飲もうとして、
「いや、それがさ、俺も聞いたんだけど、なんか、お前の幼なじみらしいぞ」
そのまま地面に落とした。
「三郎!!」
雷蔵が後ろから声をかけた気がする。
ごめん。雷蔵。あとで謝る。ごめん。
私は走った。
走って走って、胸のざわめきを覚えた。
なんで委員会も部活も関わりのないを食満先輩が運んだのか。
でも、なにより、それより、の安否が気になった。
保健室へ行くとがいた。
白い顔をしていて、紙のようだ。
でも、私はこういう状態のを見たことがある。
「」
声をかけても反応しないが、胸が上下に動いている。
治療をしている善法寺先輩が慌てていない。
ほっと安心して息を吐き出した。
おおかた眠るのと食べるのを忘れたのだろう。
仕方がないやつだ。
やっぱりは私がいないといけない。
「迷惑かけてすいません。こいつは私が運びます」
「いや、いい。こいつを見つけたのは俺だから、最後まで責任持つ」
目の前に立っている男が誰だったかと思案する。
私は記憶力が悪くはない。むしろ、いい。
しかも、前世から強烈なインパクトを与え続けた個性派集団の先輩の一人だ。
忘れるはずがない。
不思議ワンダーランドから目が覚めたアリスのような心地だ。
嫌な胸騒ぎが復活した。
手から嫌な汗をかく。
落ち着けと、息をすーっと吹き出す。
この人は食満留三郎先輩。
にとってなんの関係はない先輩・・・のはずだ。
なのにどうしてこの人は威嚇したような目で私を見るのか、
答えは、を運んでいる食満先輩だ。
まるで、魔女から助けだそうとする王子様と守られているお姫様のようだった。
「三郎」
雷蔵の声にはっとする。馬鹿な事を考えてしまった。
食満先輩に彼女がいることは有名だし、仲がいいのも有名だ。
目の前の先輩は、大変女子にモテるようで、情報が耳に入るのは速い。
可能性を否定する。
そういえば食満先輩は面倒で手間がかかる人を世話するのが好きだった。
いい例は善法寺先輩だ。
彼が動くと野球、サッカー、バスケットボール、バレーボール、その他もろもろの球が彼の体にぶつかっている。
彼の体質は前世を引き受け不運だ。
善法寺先輩曰く、ちょっとはマシになったんだよ。
今の世界で前のまんまだったら、
僕、ダンプにひかれて死んじゃうじゃないとのこと。
そうですね。どうしてでしょうか。あなたがダンプにひかれても
悪運が強いあなたですから、マンホールの下に落ちて助かっていそうです。
不運な先輩と同じで、生活力皆無な後輩を気に入ったのだろう。
と無理やり理論付けた。
じゃなければ、私は食満先輩にを渡せなかったから。
そして渡せない理由を、幼なじみだからでは食満先輩が納得しなかったから。
それ以外の理由を考えるのは、と一緒に生きた年数をすべて否定することになるから。
「は嘘ついてた。昼ごはん、友達と一緒に食べてるって言ってたのに、一人で食べてたみたいだ。
私と食べるの嫌になったのかな」
放課後、いつものメンバーで教室に集まり、
雷蔵のかばんの上でふて寝していると、ハチが近づいてきて、私の額にデコピンをした。
「ばかぶろう」
「っっなんだよ。クソハチが!!」
「はお前が嫌だったわけじゃねーよ」
「は?」
「三郎にとって俺達は当たり前の仲間だけど、はそうじゃねーってこと」
「はっ意味不明だ。この説明ベタが」
八つ当たりをしていると自覚している。
でも、止まらなかった。
私とハチがくだらないことでいがみ合っていると、勘ちゃんが言葉を挟んだ。
「つまり、兵助とか俺らとかは三郎と同じように記憶もあるけど、くんは違うよね。
急にいきなり現れた俺達に三郎が盗られる気がして俺らに対してあんまりいい感情をいだいてないって話だよ」
「な、なんだ。お前らが嫌われているだけか」
ほっとするのと同時に、の性格を思い出した。
懐かない野良猫だ。
「おい、なに嬉しそうな顔してんだよ。俺、ファンなんだからな!!」
ハチの言葉に再度止まり、私はハチに頭突きした。
「はっ?なにそれ、なにのファンとか勝手につくってんだよ!!」
そういうと、ハチのうめき声以外部屋がシーンとなり、
皆目を見開いている。
「え、なにその顔」
「三郎知らないの?」
雷蔵が私に話しかけて、いや、でもやっぱり言わないほうがと
悩み始めたので、続きを促す。
「何が?」
私の強い押しに負け、雷蔵はの話をした。
「くんって美術室の幽霊もとい、ラプンツェルなんだよ」
「ら、ラプンツェル?」
そーそーと、回復の速いハチが言葉を加える。
「美術室からなかなか出てこない孤高の華ってやつだよ。
っていえばこの学園で、いや、その界隈で知らないやつが少ないほどの天才芸術家じゃん?
雰囲気も人と一線を画してるし、そういうのがない運動部にかなり人気高いぜ。
それにファンクラブ作ったの俺じゃなくて、七松先輩だし」
私はまた止まった。
「七松先輩?あの人がを狙ってるって?
が死ぬ!!あいつ運動神経皆無なのに」
「大丈夫。大丈夫。七松先輩、に弱いから」
弱いってなんだ?本当に500?bとか走り切れないんだぞ?と
強く力説すると、今度会ってるところ見ればわかるからと流された。
そればかりか。
「だ、か、ら、三郎くんは俺にを紹介してもいいと思う」
ハチはちらりと窓の外へ顔を向けた。
みんながその視線をたどる。
そこにはと食満先輩がいた。
「、待たせたな。帰るか」
「いえ、僕今日図書室にようがあるので」
「だったら俺も行く」
「・・・騒がしくしないでくださいね」
すっと校舎へ入っていく彼らにハチは視線を戻した。
「あんなふうに懐かれたいんですよ。
てかさーあの時から食満先輩と仲がいいよな。なにがあったんだか。羨ましい」
私だって教えてもらいたいさ。
2011・8・6