美術室の居候 下
は絵に関してプロ顔負けの天才少年だった。
しかし、は自分のことを知らなすぎた。
自分がお腹をすいていることも、眠いことも、調子がわるいことも、
誰かを愛しているということも、
誰かを強く惹きつけていることも、
絵を描く前では、平等公平に、絵を描くこと以外と別けられた。
格好良く言えばストイックというが、彼はただ不器用なだけだ。
1つのことしか出来なかった。
は、絵を描くことが生きることだと、
自分の居場所は絵を描く範囲内だけだと思っている。
そんなことはない!お前はどこでも存在できる!!
と、強く言えないのは、
そうであるからこそ、俺がの側にいれるからだ。
が自分の世界が広いと知れば、簡単に美術室なんか飛び出せる。
それを悟られないように、の足りない部分を俺は補っていた。
お腹が減ることが分からなければ、
ご飯を持っていく、休日には絶対メールして、暇ならご飯に誘う。
眠いことが分からなければ、電話とメールをして寝ろという。
疲れてそうなら早く帰るように言う。
おかげで、の健康状態はよくなった。
青い顔をしなくなり、肌つやもいい。
俺はそれだけで飽きたらず、誰かを愛してることは忘れてほしいと願う。
いや、俺がいるからいらないと思わせたい。
俺が彼女と別れて、自分の時間全てをに注いだ。
その姿に伊作は苦笑して、押しかけ女房?とからかわれるけど、
うらやましだろう?と返すことができる。
俺は、 を好きだと分かってから開き直った。
伊作が妙に突っかかるのですら、
伊作は、が好きなんじゃないか?と思考を巡らすくらいにはイカれてしまっている。
が美術室に来る前に、俺は必ず横の部屋に作った秘密の扉を開け、が描いていた絵を見る。
あのときから変わっていない。
の絵は、みんな好きだ。
が魂を注いで描いていて、の好きなものの世界で構築されているから。
の好きなモノは好きでありたい。
でも、この絵だけは別だ。
白い布が置かれている布を横から徐々に姿を表させる。
ばっと見ると怒りで殴りつけてしまいそうだから。
すべてが現れたとき、眉間に皺がよっていることに気づく。
それを誰にみられるのでもないので、そのままにしとく。
キャンパスは標準サイズの大きさだけれど、何よりも存在が大きい。
そうだろう。
この絵は、本人の魂の叫びだ。
にとって息をすることが絵を描くと同意義だとして、
その絵に描いてしまうほどの強い思い。
これは、の恋だった。
ぐちゃぐちゃになって隠れているが、
この中心に、が思っている相手がいた。
俺はそれが誰か分かっている。
そしてこの絵がまったく進まれていないことに
ほっと安心するのと同時に、腹から煮えくり返るほどの怒りを感じるのだ。
俺だったら、こんな絵を描かせないのに。
俺だったら、いつでもお前のそばにいるのに。
俺だったら、お前しか見えないのに。
俺を好きであればいいのに。
たわいもなく繰り返される平凡な日常が終わり、夏休みになった。
周りが遊びの計画を立てて楽しそうだ。
俺は逆に、夏休みに怒りを抱いている。
に会えなくなるからだ。
不貞腐れている俺に、友人らは肩を抱く。
「なに暗い顔をしてんだよ。彼女を先につくった薄情な野郎だからって、ノケモノなんかしねーぞ。
新しい彼女を作って、ウハウハしようぜ。留三郎くん。
いや、むしろ野郎どもでデズニーランドとか、いっちゃう?いっちゃおう。いこうか!!」
彼女に振られたから悲しんでんじゃねーよ。バカども。
試験勉強でもしてろ。
と思うが、
この学校はエスカレート式なので、
大学はそのままのやつが多いから、試験勉強に精を出しているのは少ない。
ゲラゲラと奴らが下品に笑う姿に
のほほえみがどんなに素晴らしいか!!
爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。
と思ってる俺に伊作がはいとチラシを渡した。
そこにはコンクールの文字があって。
「留さんもこういうのだしてみたら?
留さん物直すの得意だから、いいとこいくと思うんだけど。
あ、でも夏休みは全部学校に来ることになるかもだけどね」
「!サンキュー伊作」
伊作の意図を汲み取り俺はすぐにコンクール参加に応募した。
とても不純な動機のコンクール参加だったけれど、
「で、こうしてみれば?」
と、が俺の近くでデザインを直している。
から俺にこんなに近くに来ることも稀だったが、
俺はただただの描いたデザインに感伏している。
「すっごくいい」
褒めるとは背を向けた。
白い肌だから照れるとすぐバレることをは知らない。
それから、はぽつりと俺に対しての罪悪感をいう。
そんなことないのに。
俺が勝手にしているだけなのに。
と言う言葉は、俺の悪魔が消した。
「名前呼んでよ」
その要求は簡単で、は俺の名前を呼んだ。
俺のドキドキは、にとって缶ジュースを買いに行くよりもたやすく軽いのに、
俺のドキドキは増すばかりだ。
それまで俺の名前を呼ぶ奴らはいたけど、
俺は留三郎だとちゃんと意識したことは少なく、
に呼ばれて俺が留三郎であることを認識した。
初めて名前を呼ばれたような、
名前をつけられたような新しい気分。
うわ。
ぶわっと世界が変わる。
洪水だ。感情の洪水。
嬉しい、嬉しい!!が言葉になりきれず波になって俺を襲ってきた。
うわ、うわぁ。
恥ずかしいさに襲われた俺は机に突っ伏した。
そして、そのままの感情に溺れ、無謀なことをしでかした。
「」
鉢屋がの名前を呼ぶたびに、俺は嫉妬と羨望をいだいていた。
それが溢れて、は目を見開いた。
しまったと思ったときには取り消すのも惨めだった。
波は平坦になり、今度は地面に吸い込まれると思いきや、
は顔をやや下側を向いて、頬を染め俺の言葉に照れていた。
なにそれ。なにそれ。
「可愛い」
つい本音が言ってしまった。
それほどの威力を介している。
彼はまた笑った。
もっと見ていたい。すごく幸せな気分だ。
可愛いじゃなくてもっと上の感情をなんていいか分からず顔がにやけるのが止まらなかった。
でも、
学校からの帰り道。
夕焼けがきれいで、寂しげにのびた俺の影に
ふと思う。
俺は恋に恋しているだけではないかと。
ははっきりといえば変人で、
学園の中でも指折りのスペシャルな人物であった。
対する俺は普通で、物づくりが得意なだけで、
のように表彰されて当たり前の人物ではない。
自分のない部分を持っている特別なに強い憧れを抱き、
その思いに陶酔しているだけではないかと。
しかし、それを確かめるすべは一つしかなくて、
それをして、に拒否されたときの絶望感を予想するだけでも
胸が張り裂けそうで、実行に移すことなんで出来もしなかった。
をではなくと呼ぶのが照れずに言えるようになった頃、は俺に言った。
「明日は来ません」
明日なぜ来ないのかということは聞かなかった。
いや、聞けなかった。
「そうか」と簡単な受け答えしかできなかった。
意気地なしだ。
一言、鉢屋と誕生日を祝うのかと言えばよかったのだ。
嫌味の一言でも言えたなら、
俺は同じく好意を抱いているということも言えたんだ。
だが、自分の明確な気持ちが分からなかった。
崇拝なのか恋慕なのか。
夏は熱くて脳みそを狂わせた。
だが、どちらの気持ちであっても、
鉢屋にごちゃごちゃでぐちゃぐちゃな擬音語が激しい思いを抱いていた。
俺は前から用意していたケーキやら、ごちそうやら、プレゼントやらを来るはずのない美術室の前に持ってきて座った。
来ないと分かっているが、祝いたかった。
一人でも祝いたかった。
いや、ホントはと祝いたかったけど。
鉢屋と自分の差を考えて、俺も幼なじみだったらよかったかなと思う。
そうすれば今祝っていたのは俺だったのに。
そう考えれば考えるほど虚しい。
あと少ししたら帰ろうとと似た雰囲気の美術室の扉に背をつけていると、が来た。
嬉しかったが、それ以上に驚いていた。
の顔から表情が抜け落ちていた。
いや、そんな生やさしいものではない。
人らしい温もりさえも感じないマネキンが歩いているかのようだった。
はその顔のまま扉を開いた。
通常通りに動いるからこそ異常さは際立った。
俺はがここにいることも、その顔になった理由もなんとなく分かっていた。
鉢屋の怒りよりも、をどうにかしようと、
手に持っていたケーキを引き合いにだす。
は思った以上に甘党だ。
それでなおそうと思っていたのではなくて、
それくらいしか慰めることができなかった。
結果、は泣いた。
ぽろりぽろりと花びらみたいに泣いた。
悲しみじゃなく面白さで。
アヒルがツボに入ったらしい。
よかったプレゼントもそれだったから。
出すとはもっと笑った。
俺は分かっていた。
数カ月ちょっと一緒にいただけだけどが実は人に結構気を使ってること。
本当は、泣きたかったんだろう?
面白かったで隠した悲しい涙を気づかないとでも思ってるの?
でも。
が「ない」というならば、俺にとっても「ない」のだ。
は、面白かったから泣いた。それでいいんだ。
だから、俺もと一緒に笑った。
はそこからマネキンの顔をやめて、いつもよりも饒舌で、
いつもよりも機嫌よく楽しそうな顔をしていた。
の誕生日の帰り道、星空の下でと帰った。
星もを祝福してるという恥ずかしいセリフは俺から
でることなく、代わりに隠してた言葉を口にした。
幸せな時間は短かった。いや、俺が短くした。
「は好きな奴とかいんのか?」
カンカンカンと遮断機が鳴る前だから聞こえないだろうと
つい出てしまった言葉は、には届いたらしい。
は告白する。
は、俺がの好きなやつを知っていることを知っていた。
・・・嗚呼。そうだ。
だって人で、俺とおんなじように悩みもする。
馬鹿だ。俺はなんて馬鹿なんだろう。
がどこか人らしくないから、
「愛は国境も種族も性別も超える!!」
と、胸張っていえるだなんて勘違いをしていた。
がうつむく。
違うんだ。俺は。
そんな顔をこれ以上させたくなくて、
とっさにの腕を掴んでいた。
それから柔らかな感触。
俺は彼女がいたので、そういうことをしなかったわけでもない。
童貞はとっくに捨てた。
なのに、こんなキス一つで動揺している。
それは、が男だったから、後輩だったから、
そういう感情を超えて、初恋以上の初恋を感じていた。
頭はパニックに陥り、悪いの一言で、無言のまま、
を送り、そこで鉢屋にあった気がする。
でも、ふわふわとした俺の脳みそは、鉢屋の存在を無視した。
人が溢れている商店街を歩く。
なぜ、自分があんなことをしたのか。
そして、ようやく自分がいだいている感情の正体をつかんだ。
もしも崇拝だったら、に失望しただろう。
だって今、は天才でも変人でもなくただ片思いの普通の少年だったのだから。
しかし、俺はもっともっとと一緒にいたくなった。
をそんな顔をさせたやつを殴ってやりたかった。
今日のようにを笑わせたかった。
俺はと一緒に幸せになりたいんだと思った。
それをなんというのか。
俺は知ってる。
俺は道の端に移動してずりずりと座り込んだ。
「はは、やっぱり俺は」
俺はを好きで、本気の恋していた。
うわー恥ずかしい。
耳まで真っ赤になる。
だって俺、さっき好きな子にキスしたんだ。
そんな感情がじわりじわり侵食して、
嬉しいと恥ずかしいが混じった複雑な気持ちを抱いていた。
それから夏休みが終わり、俺は伊作と一緒に美術室へと歩いていた。
「俺はが好きだ」
いきなりの告白に親友の伊作は眉一つすらあげずに答える。
「そんなこと、留さんが保健室に来た時から知ってたけど、
まさかちゃんと理解するのがここまで遅かったなんて」
だろう。俺も繰り返し過去を思い返しても、
俺より伊作のほうが俺の感情に気づくのが早かった。
だから。
「で、だ。俺はここからどうすればいい?」
「・・・は?」
俺の告白の時には動かなった顔が盛大に動いてる。
「なんか好きだって意識したら、恥ずかしくて、自然を装うだけで目一杯でして」
「で、僕を連れてきたってわけ?どんだけヘタレなんだよ」
「しょうがないだろう。好きなんだから」
もっと男らしいと思ってたのに、失望だよ失望という伊作に、
失望でもいいから、さりげなくが俺に惚れさせる手伝いをしてくれと
懇願していると、伊作が窓から身知った顔を見つけた。
「ん?今のって鉢屋?なんかすごい顔してなかった?」
俺は美術室の横に秘密の扉を持っているから、
が進んだのを知っている。
俺はもう鉢屋じゃなくてもいい。
というか鉢屋はに似合わないし、俺のほうがお似合いだ。
うん、は俺以外駄目だ。
「留さんその顔やめたほうがいいよ。極悪人に見える」
失礼な。俺は美術室に入る前に窓で顔を見る。
あの絵と同じ顔をしていた。
2011・8・3