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美術室の居候 上



ある日、ひょんなことで見つけた物置部屋になっている教室に飾られた一枚の絵。
塗りたくった青の洪水。
いいとか、悪いとか、そういうのは絵心がない俺には分からなかった。
でも、絵は誰かに見られるために飾られているものだと思っていた俺にとってその絵は革命だった。
誰かに見られることもないこんな場所に置いてあることも、
それを気にもせず存在感たっぷりに堂々とそこにいることも、鈍い衝撃を脳につげた。
その絵は俺の心をつかんだ。
つらいときも、頑張らなくてはいけないときも、うれしいときも、
何かあったときには俺はその絵の元に立っていた。






その日も絵を見ていればいつもじゃない日常。招かざる客が来た。
サラリと綺麗な髪をなびかせて、切れ長の目、美しい顔に、
細いけれど女ではない美青年で、同学年で馬鹿騒ぎをしている仲間の1人
立花仙蔵は、俺の横にたった。

「随分と執着しているな」
「悪いかよ」
「いいや、ただ私は苦手だ」

秘密の場所を暴かれた気分で居心地のいい気分ではなかったが、
絵を見ている仙蔵の苦々しい顔が気になった。

「珍しいな。嫌いじゃなくて苦手だなんて」
「・・・これを描いた奴が苦手なんだ」
「知っているのか?」
「知らないのか?」

馬鹿にされているわけでなく、本当に驚いた顔をして仙蔵は、
俺から目を離し、また絵を睨みつけた。

 。別名「美術室の幽霊」有名だぞ」



 。名前を口に出した。
聞いたことがある名前だ。

「聞いたことあるって、当たりまえだよ。 って言ったら、有名も有名だよ。
ほら絵のコンクールで優秀賞一杯とってる子。学園きっての絵の天才!!
彼のためだけにわざわざ有名な先生が教えに来るくらいだから、すごいんだよ。
僕も絵見たけど」

ぐだぐだと同級生の善法寺伊作は目を輝かせながら、まるで自分のことのようにを自慢し始めた。

と知り合いなのか?」
「無理だよ」

眉毛をハの字にして苦笑している伊作に頭をかしげる。
無理ってなんだ。

「会ってみれば、留さんだって分かるよ」
「どこにいるんだ?」
「美術室だよ」

伊作の言われた場所に放課後いった。
何十人もいる美術室は女の子が多く、男はあまりいない。
呼んでもらおうとしたら、すごい顔で睨まれ はいないと言われた。

次の日、朝、通学路で伊作に会うと頭の上にバナナの皮をのせていた。
伊作は不運で、コントのようなことをたくさんする。
怪我具合をみると、今日はそこそこ不運。
と、常に一緒にいる俺は慣れたもので、伊作の頭の上にあるバナナの皮をとり、
伊作目がけて飛んできた野球の球をつかんだ。

「どうだった?」

主語がないどうだった?に意味がわかったけど、
野球の球を掴んだ手が痛いのと、それに対してのお礼ぐらい言えと、
目的の人物に会えなかったことへの苛立ちに意地悪をする。

「おまえの不運はヤバい」
「違うよ!!」
「会えなかったよ」
「え、美術室だよ?」
「だから、行ったらいねーって言われた」

俺の言葉に伊作は口元を押さえて考え込んで、
片手の手のひらに、握った拳を軽く叩きつける古典的な閃いたのポーズをした。 

「そっか。美術室っていっても、第2の古い方だよ」
「あれって、使われてないんじゃ?」
「そうだよ。だって彼のための部屋だもの」





始めは、ほんの好奇心だった。
第2美術室は旧校舎で、教室は新校舎にあるから廊下に人がいない。
旧校舎への渡り廊下を渡ると一気に平成から昭和に来た気分だ。
木の匂いがする廊下を渡り、美術室の扉を眺めた。遠くから誰かの声が響く。
入る前に一回ごくりと喉を鳴らし、緊張してドアを叩いた。
反応がない。扉を開けようとしたら鍵がかかっている。
好奇心は、回りくどい友人と侵入者を排除するような古い扉に、
テコでも会ってやると意地へと変化した。
俺は大道具から小道具までつくれる手先を利用して、
隣の教室から美術室への抜け穴を作った。
その抜け穴から忍びこんだ美術室は、古臭くて油絵具の匂いが充満して
時間がゆっくり流れているように感じた。
確かにここならあの絵ができるなと納得していると、
ガチャと鍵を回す音と人影に俺は慌てて机の下に隠れた。
ガラリと扉が開き、1年の服を来た少年が現れた。
服はまだ新しいのだろう。
服に着られていて馴染んでいない。
初々しい姿で、前髪が長く、少し暗い、標準的な背をもつ少年。
ガタンと少年は机の上にかばんをおいてから、ちょっと上を向いて美術室を出て行った。
何か忘れ物をしたのだろう。
俺は机の下から出てきて置かれたかばんを開いた。
置いてあった学生書には  と書かれている。
正直、拍子抜けだった。
こんなに苦労して会いにいったのに、あんなにも大げさに伊作が語り、
仙蔵も一目おいてている彼は普通だったから。
俺は挨拶することもやめて、新しい校舎の教室へ戻った。
それから仲間と騒がしくも楽しい日々を過ごし、彼女もできて、彼のことも絵のことも忘れていった。

そんな日々のなか、壊れたベンチを直していると仙蔵が来た。

「このごろ行っていないようだな」
「は?何が」
「あの絵だ」

言われて思い出すのに時間がかかった。

「美術室の幽霊はどうだった?」
「どうって、普通」
「・・・・・・おまえ、もしかして美術室で見たな?」

仙蔵に睨みつけられて怯える。
美人が睨むと怖いのもあるけれど、仙蔵の性格はSだ。
それも容赦のない。
被害者を横でみてきた俺は、仙蔵には逆らっていけない意識が埋め込められている。

「そうだけど・・・なんか悪かったか?」
「普通の時を見てみろ」

そう言われたけど、そのまま放置しても行かなくても良かった。
仙蔵だって、そこまでは追求はしない。
でも、ベンチを直す程度には暇で、刺激が欲しかった俺は1年のところへ行った。
学生書を見たからが何組か分かった。
ちょうど休み時間で、 は、廊下を歩きたくさんの学生のなかにいた。
雑踏の中、長い前髪から目が時々光り、すっと伸ばされた姿勢でまっすぐ歩いていた。
彼の近くにいるやつらが彼が通ったあと眼が追う。
は気にせずただ前だけを歩いて、今、俺の横を通った。
風がふき、俺も周りのやつと同じくの背中を目で追った。
ようやく、 が幽霊と呼ばれる意味が分かった。
 は確かにここに存在しているけど、触れれない。
違和感がある。
の独特の雰囲気は人に馴染めず、異物として存在している。
そのくせ、妙に惹かれる。
あの絵は、美術室の雰囲気で描けたのではない。
美術室の雰囲気もすべて、が創り出していた。
たかが数秒のことなのに、世界の時間がすべて止まったしまったような心地で、
あの絵に初めてあった気持ちと同じ気持ちを抱いた。
俺は放課後、足を美術室へ向けていた。
前と同じように抜け道を使い隠れているとが来た。
声をかけるつもりだったが、今回は先生と一緒だったので、終わってから声をかけるつもりだった。
でも、先生に何か言われてからは、透明な空気を消して、一心不乱に絵を塗り潰している。
その姿に声をかけてはいけない気がして、俺はずっと美術室の幽霊の横顔を眺めていた。
さらさらと少し眼が隠れるくらいの髪が動くたびに揺れる。
普通と思った顔は思ったよりもかわいい顔していた。
一つも焼けていない白い肌は外へ出ていないことを主張していて、
そこかしこ細く、絵を描く指が長く綺麗だった。
そしてなによりも、幽霊のような透けるような透明感がを包んでいた。






それから俺はを見かけるたび目で追った。
体育の時間で一人空をみあげている
移動教室で一人でぼうっと歩いて柱にぶつかりそうになっている
帰り道で、一人な
帰り道で、二人な
には一人の幼なじみがいた。
まさかそれがあのいたずら大好きで2年で一番目立つ鉢屋の幼なじみだとは思わなかったが。
鉢屋といるとは表情を和らいで、の人を拒否する空気が変貌した。
俺はそれに嫉妬し、羨望した。
どうすれば、俺も鉢屋のようにを掴められるようになるのか。

「無理だ」

仙蔵は1も2もなく話を蹴った。

「無理って」

読んでいる「上級者犬を躾ける方法」から目を逸らさずに言う。

は、人なんてどうでもいいんだ。嫌われようが好かれようが。
そんな奴に興味を持たせて、あまつ好意を抱かされるなんて無謀だ。
諦めて遠くからだけにしとけ。あいつが気にするのは鉢屋と美術室ぐらいだろう」

それから本を読みながら仙蔵の「今度試してみよう」のツブヤキに悪寒がしたので、
そそくさと離れた。
でもヒントも得た。美術室と鉢屋。


「美術室で何かしたら覚えてくれるかな」


俺は馬鹿だから、何をしたかって、まぁ、彼女とイチャイチャしてみた。
神聖な美術室を汚されて怒って、俺のことを意識してくれるようになってくれれば
マイナスからのプラスに持っていこうとしたのだ。
でも、キスをしているタイミングばっちしなシーンをみても、は顔色ひとつ変えなかった。
むしろ、俺のほうが、まさかこのシーンで来るとは思わず冷や汗をかく始末だ。
それから、ひたすら謝って、ひたすらかまをかける。
は答えはするけれど、まったく手応えが感じられない。
仙蔵が言ったとおりどうでもいいのだろう。
悔しくなって、絵を指す。
は初めて俺を見ていた。
どういったら正解なのか、不正解なのか分からないけれど、これが分かれ道だ。
でも、残念な成績な俺は、語源が富んでいなかったので。

「その絵、面白いな」

と、笑って誤魔化すことしかできなかった。
の空気が少しだけ緩んだ。

「・・・・・・そうですか。僕には醜くくしか見えませんけどね」

それから絵に白い布をかけて、
やっぱり遠くの俺の触れない場所へ行っていて、寂しくて声をかけた。
は帰る準備し始めた。あからさますぎる。
もう傷つくだけ傷ついたので、やけだとしつこく迫る。
そんな頑張った俺に神様からご褒美。
は俺の名前を知っていた。
たかだかそれだけのことなのに、今日傷ついたことや失敗したことがチャラになって
スーパーハッピーな日に早変わりした。













2011・7・8


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