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美術室の幽霊 下


7月下旬。
夏休みに入った。
夏休みと言っても僕は制服を来て学校に来ていた。
コンクールに出す絵は描き終わっていたけど、
僕には趣味という趣味もないし、
バイトに精を出しまくる三郎とどこか行くこともないし、
そもそも友達がいない。
そんな僕は必然的に絵を描きに学校へいく。
驚くべきことは食満先輩も来ていたことだ。
先輩は今度の生活用品コンクールに出すものを学校で作っている。
僕の横で静かに設計図を眺めている先輩に、
筆を置いて休もうとする僕の耳に、蝉と運動部の声が響く。
僕にとっては蝉も彼らも変らない。
夏に一瞬の輝きを放つ。外の雑音をBGMに、
僕はいつもの場所に腰掛けると、
ぎっぎと不安定な音を立てていた椅子が鳴らない。

「・・・直っている」
「あ、それな危なかったから直した」
「先輩は作品の方はいいんですか?」
「んー?今さ、デザインの方で困ってて」

バサリと開かれた絵に、僕は興味が湧いたので、
椅子から立ち上がり、先輩の方へ歩いた。

「・・・ここは丸いほうが、色はもうちょっと明るめで、
そっちのほうが僕は好きです」
「ってことは」
「こうです」

置いてある紙を一枚広げて、簡単なデザインを描く。
先輩はそれをみて、ほーとかへーとか変な声を出して、
紙を渡すと、大層仰々しく掲げ上げて、
キラキラした少年のような瞳で言う。

「すっごくいい。本当お前ってすごいヤツだな」
「なにいってんですか」

僕は先輩のその瞳と素直な言葉が恥ずかしくなったから、背を向ける。

「すごいヤツというのは、こんなつまらない奴にも
付き合ってくれて、毎日ご飯も作ってくれる人のことをいうんです」

僕の言葉に先輩はきょっとんとしてから頬をかいた。

「・・・あのさーもしかして悪いとか思ってる?」

思ってます。だからもういいんです。付き合わなくてもいいんです。
と言うことは、やっぱりできなくて沈黙していれば、
先輩が明るい声で言った。

「だったら、名前呼んでよ」
「・・・・・・どんな名前でしたっけ」
「ひでー」

顔を見るとしょげている。
そのさまが面白くて、ふっと笑いを堪えながら言う。

「嘘です。・・・留三郎先輩」
「・・・・・」
「なんですか変な顔して」

もしかして本当に名前を間違えたのだろうか?
僕の不安が通じたのか、あたってるあたってると
手を左右に振って、今度はそのまま机の上に突っ伏した。

「い、いや。なんか、ようやくっていうか、な?はははは」

耳が赤い。なんでそんなに照れているのだろうか。
そういえば善法寺先輩も留三郎と呼んではいなかった。
いや、でも他の人は呼んでいた。
もしかしてを考える前に



僕の名前が呼ばれた。
唐突だったから、驚いた顔をしていた僕に、あーと顔をしかめる。

「は、いきすぎだよな。調子乗りすぎた」
「いえ、いいですよ。
僕も名前で留三郎先輩も名前なのが普通です。ただ」
「ただ?」
「言われ慣れていなくて少し」
「・・・照れてる?」
「・・・・・・・・」

なるほど、こういうことか。
ずっと苗字だったのが、急に名前を呼ぶ行為は照れる。
友達が少ない僕には初めて知った事実だ。
というか、僕のことを名前で呼ぶ人間は総じて最初から名前で呼ぶ。
アクの強い人達ばかりだ。

「おまえ、ほんとうに可愛いな」
「それ、褒め言葉ですか?」
「最大級の褒め言葉だ」

相変わらず、笑うととても可愛らしい顔になる人で、
たしかに可愛らしいが褒め言葉なのは間違いないと思った。







その日はとても最悪な日だった。
僕はいつも着るはずの制服を着るか着ないかで迷って、
横にいる三郎の呼び鈴を鳴らす前に、私服姿の三郎が出てきて。

「おっと、か」
「急いでるね。どこか行くの?」
「あー・・・ああ、そう雷蔵と」
「・・・・・・そう。いってらっしゃい」
「ああ、行ってきます」

三郎は嬉しそうに鼻歌交じりで出かけていった。
僕は、絶対振り返らないことをいいことに、
笑顔をやめて、唇をかみしめた。
しゅるりとネクタイを結ぶ。今日も僕は学校になったようで。
鏡の中僕は能面のような顔をしていた。
僕は重い足取りで美術室に向かうと、部屋の前に留三郎先輩がいた。
先輩は僕に気づくと、変な顔をする。

「なんて顔してんだよ」
「・・・なんでいるんですか?」

ぐるりと鍵を回して部屋を開ける。
部屋は閉めきっていて熱気がこもっている。
窓を開くと一斉にカーテンが揺れる。
僕は昨日留三郎先輩に言ったはずだ。
明日は来ないと。
先輩は僕の視線に頭をガシガシと乱雑にかいた。

「今日が誕生日だって聞いた」
「そうですよ。で?」
「でって、祝おうぜ!!ほら、ケーキだって買ってきたんだ」
「・・・・・」
「ほれ」

と、いつもながら素早い動作で、
紙の皿の上に切り分けたケーキをのせて僕に渡す。
一口食べて僕の眼から涙が出た。

「ど、どうしたんだよ。チョコ駄目だったか?
チョコアレルギーか?」

慌てふためく先輩に、僕は肩を震わす。

「いや、これどうみても留三郎先輩の手作りでしょう?」
「な、なんで」
「変なアヒルがついてますよ。ふふ」

僕の皿の中チョコレートケーキの上に変なアヒルがついていて、
僕が食べる姿を凝視しているように見える。
そしてこれを作っている先輩も想像して、笑えてしょうがない。

「アヒル可愛くないか?」
「可愛いです」
「あ、じゃあよかった。ほら」

そういって渡されたのは、手のひらサイズのアヒル。
可愛いか可愛くないかでギリセーフなアヒルが
僕を凝視している。

「ぶははははは、これ以上僕を笑わせないでください」

僕は盛大に吹き出した。
変にツボに入ってしまった僕が腹をかかえて笑って、
収まった頃には先輩は優しい目をしていた。

「ようやく笑ったな」
「これで笑わない人がいたら見てみたいです」
「いや、これで笑うヤツの方が稀だって」
「そうですか?」
「青じそと梅で包んだササミのやつも持ってきたから、
さてパーティーしようぜ」
「この分量食べきれませんよ」
「もって帰って食え。だからお前は細いんだ」
「いえ、留三郎先輩がいい体なだけですよ」

パーティーと言うなの我慢大会が終わると、外には星空が広がっていた。

「知ってますか、留三郎先輩。僕らがみている星は記憶なんです。
描いているものも、書くものも総じて残っているものも記憶です。
それらを素晴らしいと涙を流す。
どうして記憶っていうのは総じて美しいんですかね」
は、昔がいいのか」
「いいえ、過去なんて糞食らえです」
「糞」

先輩は肩を震わせて笑っていた。

「なんで笑うんですか?」
「だ、だってお前がそんな言葉使うとは思わないだろう?」
「そうですね。僕も初めていいました」

カンカンカンと鳴る踏切前で二人並んで遮断機が開くのを待っていた。
ゴッとものすごい風を巻き込んで電車が通るその前に。

は好きな奴とかいんのか?」

と聞こえた。髪が揺れて、開いた遮断機に動くこともせず、
留三郎先輩を見る。

「・・・唐突ですね」

先輩は聞こえているとは思っていなかったようで、
バツの悪い顔をしていた。

「いないというのは嘘になります。でも振られてます」
「告白したのか?」
「いいえ、知っているんです。僕は特別にはなれないって。それと」
「それと?」
「先輩は僕が誰を好きか知ってるんでしょう」

留三郎先輩の鋭い瞳が揺れている。

「・・・・・・・悪い」
「いえ、僕がおかしいだけです」
「お前はおかしくなんかない」
「同情ですか?いりませんよ」
「嘘じゃない。だって俺は」
「え」

腕を掴まれた。強い力でぐいっと引っ張られたと思うと、
先輩の鋭い目がすごく近くて、柔らかな感触を唇に感じた。
何が怒っているのかわからない僕に、
顔を真赤にして、泣き出しそうな顔で、

「悪い」

というと先輩は座っている僕を立たせた。
それから、先輩と僕は喋らなかった。
帰った後、三郎に会った気がする。
でも僕はぼーっとして、何をしたのか覚えていなかった。






「やぁ、また会ったね」

この信号機は呪われている。切実にそう思う。
不破先輩はにこにこと離さないぞという意味をこめて笑っている。
最初は優しい人だと思ったけれど、結構腹黒い。
学校もない日なのに制服を来ている先輩。
なんのようがあるのだろうとちらりと不破先輩を見ると

「なに?」

と見返された。

「あの不破先輩は三郎と仲がいいですよね」
「ん?あーまーね。君も大変だろう。あのダダ子は」
「いえ、僕は」

僕は。続きが言えない。
そうです仲よかったんです。
でも、あなたが来たから僕と三郎の関係は崩れました。
てか、嫌味ですか?仲がいいで、仲の良さをみせつけるとか、
総じて言っちゃえば、僕はあんたが嫌いです。

との言葉は。

「三郎をよろしくおねがいします」

に変わった。不破先輩は眼を驚いた顔していた。
しょうがない。
だって僕はもう三郎と一緒に笑えないから。








今日は、生活用品コンクールの作品をみてもらうとかで、
留三郎先輩は来ない。
そして僕も、不定期に来る先生が今日午後から来るから
集中したいということで、美術室には僕だけになった。
これが普通だったはずなのにすこしばかりの違和感を感じる。
染められてしまったのだろうか。
留三郎先輩とあの時のことをぶりかえすことはない。
むしろ、あまりに自然で僕だけが夢を見ていたみたいだ。
「なんであんなことしたんですか」
と聞くことが間違っているように思えて僕は口を塞いだ。
それから久しぶりにあの絵を開いた。
コンクール用でもなんでもない絵は、
留三郎先輩が面白いといってから変化はない。

開くとそこには有限が広がっていた。



絵に書かれた木々が僕の記憶をめくり上げる。
ぱらりぱらりと完成していない本は前へ前へと戻った。




三郎を好きだと自覚したのは中学生。
三郎の横に、少女がいて腕を組んで笑い合っている姿を見たとき、
驚いたのと失望したのと何かを失った心地を感じていた。
それが恋と自覚してすぐに、諦めたほうがいいことも分かった。
でも、ありえもしない、もしもを考える毎日。
少女の長い髪があの細い手足があの柔らかな感触が
自分にもあって女だったら、三郎をずっと愛せるのに。
一人なんて絶対しないのに。
でも、僕は男なのは変わらなくて。
そして、三郎の普通の幸せを、僕の醜い思いで穢して、
嫌われるのが怖かったから、
一回下を向いて、ぐっと口元を引き締めてから、
顔をあげて口元にゆるい円を描いた。
僕は三郎が好きだ。
の代わりに口は「あの子可愛いね」って言う。


それから、伝えることのない愛はいつしか時間が緩やかにして
狂おしいほどの女に対する嫉妬は薄れた。
それは、三郎の彼女がコロコロ変わるのもあったのだけれど。
季節が移り変わり春夏秋冬。
身長も髪型も変わって、僕は願った。
せめて。
せめて男の中では三郎の一番でありますようにと。
でも、春。
桜が三郎をさらっていってしまった。
いや、あの人は桜というよりも、茶色の地面を黄色と緑色に
一面を覆いかくす菜の花のような広さと柔らかさと強さを持っていた。
それに加えて運命。
三郎と不破先輩と仲間の会話から聞こえる前世って言葉。
そんな馬鹿みたいな結びつきを彼らは享受している。
僕は何度も夢をみたけれど、前世は三郎とつながっていない。
その瞬間に僕の敗北は決まっていた。
僕は三郎が僕を必要としてくれるなら一緒にいようと思った。
プライドがめっぽう高い僕は、2番目では良くなくて、
もう三郎の前で笑うことがうまく出来なかったりする。
三郎は繊細だからいつか気づいてしまう。
それがなんでか知られれば僕は彼を永遠に失うんだろう。

そんな僕に先生は言った。
「世界は広いよ」と
そうなのだろう。僕が三郎に固執しすぎているんだ。
世界は広い。正しくは、僕の世界は狭い。
それでも願ってしまう。
あの青い空の下僕と三郎の世界だったら良かった。と。
僕と三郎だけで、男も女も、SEXもKISSもなくなって手を繋ぐだけでいい。
眼を閉じたとき君の姿が映る。それでも構わない。
でも、僕は人で、欲望だらけの心で、真っ白なキャンパスを汚してく。
静かな僕だけの部屋の中に嗚咽が響いた。
ひっくひっくと、涙を我慢せずに、絵を書き重ねた。
油の壺に僕の涙が混じり、分離する。

三郎、三郎・・・三郎。
ザザッと強く強く力を込めて塗りこめる。

好きだよ。
好きだ。好き。どうしようもなく。好き。
三郎。
この絵は、僕の初恋にして失恋。君への愛。
僕の愛は君へ伝えない。
僕の愛を知るのは、キャンパスの君だけでいい。

「・・・綺麗だ」
さようなら。


カーテンが揺れて、目の前の光景はいつもと同じ物。
眼から首から額から水が溢れる。
絵の中の君が笑う。
僕も君に心のそこから笑う。
世界で一番愛しい人。
僕のこの思いは、キャンパスの中で僕と君だけの世界で一緒に眠ろう。















2011・6・27

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