美術室の幽霊 中
その人は、美術室のなかでキスをしていた。
女の子は空気を読まずに扉をあけてしまった僕に
顔を赤めて、横をとっていった。
彼女の長い髪からふんわりと桃のチューインガムのような
安っぽい匂いが香った。
三郎が相手する女の子には少し派手さが足りないなと
少々失礼なことを考えながら、
鋭い目付きで僕を睨んでいる人をみた。怒っている。
でも、風に吹かれたカーテンの動きと、その人の上に落ちる影。
男らしく整った顔に均整のとれた体。その場所は僕の見知った場所なのに、
その時だけは彼のもので思わず見惚れていた。
「あのよー怒ってる?」
僕は彼の質問に答えず、同一方向に筆を滑らした。
彼は僕が応えるまで近距離にいて見つめられている。
僕としてはさっさとここから出ていって欲しいかったので、
無言だったのだけれど、根負けして筆をおいた。
「いえ、怒ってませんが、でもああいうことするのは、
ここよりもいい場所ありますよ。理科実験室とか」
「あのよー」
「まだなにか?」
今日はこのくらいであがろうと、僕は手を拭った。
「「美術室の幽霊」って言われてるの知ってる?」
黙っていると相手は勘違いしたらしい、
それで笑っているのだから性格がよろしくない。
「怒った?」
「いえ、たださっさと出ていって欲しいと思ってます」
「ちょっとはコミュニュケーションしようぜ」
「なんで?」
「なんでって先輩後輩のコミュニュケーションって大事だぜ?
テストとか、どの先生がどんなさし方をするとか、
どんなイベントごとがあるとか知れちゃうぜ」
別に僕は先生がどういうことをそるかも
この学校のスケージュールも興味がない。
だけど。
「不思議ですね」
「なにが?」
「女の人といちゃついてるのに、
急に後輩とコミュニュケーションをしているあなたです」
「・・・気分屋なんだよ」
「ふーん」
気になったことを聞いて、犬のように見える先輩が実は
猫っぽいという事実に納得して、道具を片付けた僕は
目の前のキャンパスを眺めた。
「あのよー」
「なんですか」
「その絵」
先輩が指さしているのは僕の目の前のキャンパス。
振り向くことなく、横目で先輩を見る。
「その絵、面白いな」
先輩は笑った。
笑うと、目付きが鋭いのが柔らかくなるのかと
思うのと同時に息を吸い込む。
どうやら息を止めていたようだ。
「・・・・・・そうですか。僕には醜くくしか見えませんけどね」
上から白い布をかける。
作品はもってかえるのが基本だ。
僕の絵は人から見ると価値があるものらしい。
置いていくと、何度か盗まれたりめちゃくちゃにされたことがある。
鍵を預かってからは少なくなったけれど、安心はできず、
コンテストに出すものやいいものは持ち帰るようにしている。
でも、この絵にその価値はない。
事実、この絵は置いていっても誰もいたずらも奪おうことすらしない。
その絵を先生は素晴らしいといい、先輩は面白いという。
僕は醜いという。
意識を遠くに飛ばしていたようだ。
先輩の鋭い眼がじっとこちらを睨んでいる。
「あのよー」
「まだなにか?」
「またここ来てもいいか?」
「嫌だといってもあなた来るでしょう」
「あなたってのやめてくれねー?俺はけ」
「知ってますよ」
「え」
「あんなに目立つグループにいれば嫌でも目に入ります。
高校3年は組の食満留三郎先輩でしょう」
鞄をもち立ち上がる。空はもう茜色をしている。
「・・・あ、待てよ。帰るなら、一緒に帰ろうぜ」
「嫌です」
僕はそうして美術室の部屋の鍵を閉める。
梅雨だ。ジメジメとした美術室に、外に雨音が響く。
僕はもくもくと今度のコンテスト用の絵を書いていると、
ガタと扉が開く。
誰かもう分かっているので振り向かない。
「よう」
そういって置かれるお弁当箱。
今は昼。僕は絵を描いているとご飯の時間も忘れてしまうようで、
それを知っている三郎は中学でよく僕と一緒にたべてくれたのだけれど、
高校生になっても一緒に食べようと言われたけど、
後ろに友人と不破先輩が見えたから、友達と食べるとうそぶいてしまった。
「今日の玉子焼きは甘くしといたから」
開けるといい匂いがする。
僕のお腹も鳴いて、筆をおいて食満先輩が作ったお弁当に口をつける。
「うまいか?」
「美味しいです」
「そうか」
先輩は嬉しそうに顔を緩めてから、自分のお弁当を開ける。
僕のより2倍大きなお弁当箱。
僕のが白で、先輩のが黒。
先輩の横にはいちご牛乳で、僕の横にはお茶のパックが置いてある。
先輩がこうなったのは、嫌がる僕に何度も押しかけてきた放課後のことだった。
僕は3日間何も食べてないことを忘れて、そのまま倒れてしまったのだ。
起きたとき、食満先輩が怒鳴った。
「馬鹿やろう心配かけさせるな!!」
驚いた。僕を心配してくれるのは三郎だけだったし、
なによりも嫌な後輩でしかない僕を抱きしめて泣いている先輩に。
どうしていいか困っている僕に食満先輩の頭に誰かの拳が乗っけられた。
「留さん。抱きつかないで、彼まだ安静だし、ここは保健室だから」
「わ、悪い。伊作」
「そう思うなら、先生に連絡とジュース買ってきて、甘いのね」
伊作と呼ばれた優しそうで顔が整った美青年にそう言われて、
食満先輩は扉を開けて出て行った。
残った美青年はふんわりと困った顔で笑う。
「ごめんね」
「いえ」
「あ、僕は善法寺伊作だよ。留さんの友人」
留さん?という言葉に頭を捻ったが、
食満先輩のフルネームを思い出して、ああと頷いた。
そんな僕を覗き込むように伊作先輩は尋ねる。
「君は くんだよね」
名前を言い当てられて目が合う。
「留さんからよく聞いてるのと、それと君は有名だからね」
なんでかは聞かない。だって僕は「美術室の幽霊」とあだ名がつけられている。
友人もなにも繋がりのなく、ここにいるのかどうかすら分からない存在。
ふと思う。
食満先輩の周りは派手だ。
何人かの友人に囲まれている姿もみるし、女の子にもモテる。
この人だって食満先輩を大切にしてることが分かる。
なのに、なんで幽霊なんて言われる存在の僕のところに来るのだろうか。
思いは口になってあふれた。
「なんであの人は僕のところに来るのでしょうか?」
「・・・・・・・それは、本人に聞きたほうがいいよ」
僕の問いは優しい善法寺先輩を困らせるだけだった。
その事件から食満先輩は昼食をこうして届けるようになった。
曰く先輩には下の兄妹がたくさんいてその子たちに作っているから
1個増えたところでなんともないらしい。
お弁当代を払おうとしたら、
お前の食い分だと100円ぐらいしかならないから
ジュースを奢ってくれたらいいと言われた。
昼に2本分の飲み物を買うようになって
食満先輩は、曜日によって種類が違うが、甘党であることは熟知した。
「うずらの卵がくまになってる」
「可愛いだろう?」
「ウインナーがどんぐりとか」
「可愛い」
「・・・・・・食満先輩って」
「変なとこでとめんなよ」
「外見と中身、見事に裏切ってますよね」
「よく言われる」
もうこんなことしてくれなくてもいいです。
ちゃんとご飯食べれますから、僕のことは気にしないで友達と食べてください。
と、今日も言うことが出来なかった。
だって僕も可愛いお弁当が嫌いではなかったから。
世界は今日も青くあつい。
滴り落ちる汗がとても不快だ。
梅雨は終り7月に入った。
画材屋から買ってきたキャンパスは大きくて、僕に少しの疲労を与えた。
ふーと信号機前でキャンパスを置いて待つ。
「おはよう。スゴイ量だね」
言われた声に驚いて顔を上げる。
そこには僕が会いたい人の顔によく似た会いたくない人が笑っていた。
「・・・・・・おはようございます」
「持つよ」
「いいえ」
大丈夫です。という間もなく僕は荷物を運ばれた。
不破先輩はたわいもない話をする。
僕が不破先輩を苦手としていることは分かっているだろうに
不破先輩はそんなの関係ないとばかりに笑みを絶やさない。
「今日みんなで遊ぶんだけど、くんも一緒に遊ばない?」
僕は不破先輩に画材道具を人質に盗られた気がした。
ファーストフード店の中の大人数が腰掛ける席の
隅に座った僕をみて三郎は目を見開いて僕を指さした。
「なんでがここにいんだよ」
「いいじゃない。サプライズサプライズ」
そういって不破先輩が三郎を席につかせた。
2人一緒にいると同じ顔が並んで慣れない。
目の前の体育会系の元気一杯ですな先輩が
僕に顔を近づけて、腕を掴んだ。
「へーこれが噂の・・・ほそー」
「その手で触んな。ハチ」
「どんだけ過保護だよ」
三郎の一言で手を離される。噂ってなんだろうと思っていれば、
横でずっと何かを食べている眼が大きくてまつ毛が長い
美少女系な先輩が僕のことを見ていた。
「綺麗な肌してんな。もしかして豆腐とか好きか?」
「いえ、好きなモノってあまりないんですけど、あ、でも・・・」
「でも?」
「青じそと梅で包んだササミのやつは結構好きでした」
「・・・そうか。でも、これからでも豆腐が好きになれる。ほら」
どういう理屈だろう。
僕は渡されたものを見る。ここはファーストフード店だ。
間違っても豆腐は置いていない。
どこから持ってきたのだろうとまじまじと見ていると、
また三郎が怒鳴った。
「兵助!!に変な趣味なすりつけんな」
「まぁまぁ、豆腐ぐらいいいじゃないか。お父さん」
「座って座って」
髪の毛がうどんのように特徴的な人とハチって言われていた人が
三郎を落ち着かせていて、僕は横目でちらりと見てから、
豆腐を凝視した。そして兵助と呼ばれている先輩は僕を凝視している。
一口食べたら返そうと、スプーンで豆腐を掬い上げた。
「・・・結構美味しいですね」
「!!!」
兵助先輩は感動だとばかりに僕に抱きついた。
普段の僕なら慌てふためいただろうけど、
豆腐が溢れそうなのと。
「兵助ぇぇぇ!抱きつくな」
あんなに慌てている三郎を見るのは初めてなので、
されるがままになっていた。
「勘ちゃん、お母さん呼んできて、お父さんが発狂した!!」
「雷蔵!!三郎が壊れた」
トイレにいっていた不破先輩が僕らをみて苦笑した。
騒がしかった彼らから解放されて
帰り道が同じ僕らは黙って歩いていた。
空には星が輝いて、今赤い光が彼らの上を通過している。
「今、どんな絵描いてるんだ?」
上を見ていたせいで三郎の質問に答えが少し遅れた。
「・・・簡単な風景画だよ」
「ふーん」
「三郎は、楽しそうだね」
「まーな」
会話が途切れる。本当は聞きたいことが一杯あった。
だけど、僕は弱虫だから、言葉を抑えて、
空と三郎のまた少し大きくなった背中を見ていた。
「お前は楽しいのか?」
「え」
「ほら、その・・・食満先輩と仲良くなって」
言われた人を思い出して、少し笑う。
「うん。面白い人だよ」
三郎が一瞬こっちを見た気がしたけど、
僕には三郎の背中だけしか見えないから勘違いだと思って、
僕は言った。
「三郎。絵が描き終わったら見て欲しいんだ」
2011・6・26