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終末の結末



さようなら。たった五文字の言葉がこんなにも痛いのだと知った。

彼女は、不思議な人だった。
それもそのはず、この世界の住民ではないからだ、
けど、愛称で呼ばれていた、天女と言うわけでもない。
彼女は、世間知らずで、ここよりも便利で、平和で、
平坦な世界に住んでいたのだと言う。
俺はその話しを、面白い話としか聞いていなかったけれど、
徐々に彼女と触れあううちに、それが真実だと知った。
彼女は、俺に、ずっと帰りたいと泣いていた。
だから、俺は彼女の手を掴まずに、そのまま離した。
ぽうっと蛍の光のように、彼女は、儚い光に包まれ、消えていった。
それはそれは大層綺麗で、それはそれは大層物悲しいものだった。

男女問わず何人泣かせてきたか分からない俺で、
誰構わず受け入れ、追わない俺で、
そんな俺が、彼女が消えたあと、すべて断っている。

「そんなにショックだったの?」

と、同級生の勘ちゃんが言う。
ショックと言われて、胸の内に空白があるのだと答えた。
空白は、例えるなら、
目の前にある冷奴に醤油がかかっていないようなもので、味気ないのだと。
重症だねと勘ちゃんは呟いた。
俺もそう思う。
一カ月経った日のこと、彼女の言う平和ではないこの世界は、
物事の動きが激しくて、そんな日々に、彼女の姿が埋もれたいった。
最初は、泣いていた下級生は、もう笑って、
悲しんでいた同級生は、テストの話をしていた。

ざわざわと雑音の中、消えてしまった声を探したけれど、うるさくて、
ダンと強く机を叩き付けると、豆腐が飛んだ。
シーンと静まり返っている食堂で、周りにどうした?と言われたけれど、
俺は、そのまま何も言わず、食事を終わらせると
「ごちそうさま」と言って部屋に帰った。
それから、泣いた。
ワンワンと子供のように泣いた。
泣いて泣いて、そして、すっかり空っぽになったころ、
何か物足りなさを感じた。
すんと鼻をすすり、キョロキョロ何かを、探したけれど、長屋には俺ひとりだった。
急に感じたものは、空白というよりも、すっと下に穴が開いたようなもので、
例えるなら、豆腐にかかっている醤油ではなく、
鰹節のようなもので、なくてもいいけど、あれば嬉しい、安心するもの。

そうだ。
いつも泣いている俺を慰めてくれた人がいない。
けど、それは、誰だっけ?

それから、またいくらか経って、俺は、昔のように来るもの拒まずに戻った。
暗闇の仲、炎の光が女の体をあやしく光らせ、
同じような性質をもった女が、クスクスと笑った。

「とうとうアレを、捨てたのね」

アレとは、なんだろうか?

「アレも、あなたじゃなくて、違う人を見つけたみたいよ」

「・・・・・・ああ」

アレを思い出せない俺のああという言葉に、意味はなかった。
けれど、なんの感情を浮かべない俺に、女は気をよくして、首に腕をからませた。

「アレだけ、抱かないし、捨てないものだから、
私、アレを好きなのかと思っていたわ」

「アレは、ただ、「使い勝手が良かっただけ」」

女の重ねられた言葉は、いつも言っていたから習慣のように出てきた。

「ふふ、あなたの台詞は覚えているわよ。
でも、疑ってしまうのが女の性というものよ。怒らないでね」

と、口づけをしてきたので、習慣からのヒントを、
俺は忘れて、男の欲望、そのままに従った。


次の日、あまりにも暇だったので、
昨日を思いかえし、使い勝手が良かったと言う言葉で、俺はアレを思い出した。
アレとは、俺の同級生で、おとなしく、性欲、感情の起伏が乏しく、
嫉妬もしないし、俺のことが好きだから、なんでもしてくれるやつだった。
あれがしたいこれがしたいと言えば、
「はい」と一言言って、
笑顔で「できましたよ」と一言で終わらせる奴だった。
抱いてくれとも、言わないので、抱きもせず、
どこか行きたい、何がしたい、これが欲しいとかも
あまり言わない奴だった。
いや、最後に一回だけ言った気がする。

「・・・・・・」

最後が思い出せずに、俺が、歩いていると。


「そうですか。私は、そのことを知りませんでした」

奴がいた。声が一人分しか聞こえていないので、独り言を言っているのかと
そっと近づけば、

「長次先輩は、図書室の番人というよりも、知識の番人のようですね」

奴の横には、中在家 長次先輩が座っていて、
いつものいかつい顔に、ぼそぼそと小声で何かを話していた。

「このごろ裁縫に凝ってまして、
ええ、長次先輩が使ってくれなければ、これは捨てるしかないのですが」

と、二人の間にある立派な裁縫が施されている手ぬぐいが置いてある。
奴がそれを捨てようとすると、中在家先輩は奴の手を取り、
そのまま懐へ手ぬぐいをいれた。

「ふふ、そうですか。私の猫がとれて、化けの皮が剥がれて、
一体私が何に見えますか?」

「・・・・・・」

中在家先輩がなんて返したのか、分からないけれど、
奴が頬を染めている。
中在家先輩が、後輩の優しいまなざしとは違い視線を送っていた。
手は、以前握られたまま。
見てはいけないものを見てしまったような心地して、
俺は、すぐざまその場を離れた。
離れて、部屋に帰らずに、池のほとりに着ていて、
付いた途端、かくんと膝からそのまま地面に落ちた。
奴は、俺に、わがままを言ったことがなかった。
回りくどい言葉遊びも言わず、
「はい」「そうですね」の肯定の言葉しか言わなかった。
俺の姿を見て、頬を染めることはあったけれど、
ほとんどどこか遠くを見ていた。
俺からなにかして頬を染めることは、
一回目の「気があるならば、どうだ?」の誘いの言葉以外なかった。
俺は何も言わないし、何もしなかったから、それは当たり前だったのに、
奴は、そういう人物だと思っていたのに。

まったく知らない奴が、中在家先輩の隣にいた。


今、あの子・あさこさんがいなくなった胸の空白は、塞いでいる。
時々傷が開くけど、
いつも同じでない誰かを抱いて、甘えて、慰めて、埋めてきた。
しょうがないことだと、割り切れるようになった。
なのに、また、ずきりずきりと鈍く響く痛みを、胸に感じる。
それと共に、音と映像がバババとすごいスピードで駆け巡る。

笑顔、夕方、オレンジ、誰かの背中を叩く音。
朝顔、朝顔、朝顔。
それに埋め尽くされたとき、記憶が戻って、誰かの声が耳に響く。

「あさこさんが、あなたが泣かなくてもいい相手だということを祈ってます。
さようなら、兵助」

それは、あの子の声じゃなくて、
淡々と感情という全てを押し殺した奴の声だった。

「あ」

つい、声が漏れた。
俺が、手を離していたのは、あの子だけじゃなかった。
奴は、最後まで俺に言われるまで俺を振らないだろうと、
傍に居続けるだろうと、思っていて、それは俺の中で確定事項なのに、
あのとき、あさこさんを、誰かに奪われたくなくて、
まったく周りが見えていなかった。
ようやく見え始めた視界は、クリアで、草が近い。

ずきりずきりが、じゅくじゅくした痛みに変わっていく。
あ、俺、そうか。なんだ。と変に納得した。
俺、全部失っているじゃないか。
そう気づいたときに広がるのは、悲しみなのに、
朝顔市での、妙にはしゃいで楽しんで、幸せそうな奴の笑顔がうつる。
それが終われば、夕方で逆光により顔が見えない奴が、
「さようなら、兵助」を、繰り返し何度も言っていた。

あさこさんの、さようならは甘美で、儚いのに、
同じさようならで、こうも違うものかと、今度は泣けもせずに、
ははははと、乾いた笑みが出た。

女の勘とは恐ろしい。
奴は、使い勝手が良かっただけの人物ではなかった。
奴は、俺にとって、唯一だった。








2010・09・28



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