馬鹿な子

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「少し待って欲しい」
そういったのは、なんでだっただろうか。
いくつもの書物を読んで、前よりも賢くなった私でも答えはでなかった。
兵助先輩は、私の言葉に最初は少し落ち込んでいたが、
その姿に慌てる私に、くすりと微笑をこぼすと、頭を撫でてくれた。
兵助先輩の大きな手が好きだ。
その手で撫でられると嫌なことが全部忘れられそうになる。
「焦って悪かった。が、俺と同じ気持になるまで待つよ」
そう言ってくれて、私はほっと息をなでおろしたのだけれど、
私の中にいたアレは、ご機嫌斜めで、
「なんで承諾しなかった」と暴れまわったおかげで、
感情がぐるぐるまわって、吐きそうで気持ち悪くて、熱も出てきて
私は、一週間ほど、外へ出ることもできなかった。
その間、ずっと兵助先輩は、くの一の罠をかいくくぐって私の所へ来てくれた。
早く良くなれよ。と私の額を撫でてくれて、涙が出そうになる。
そういえば、昔、病気だった私の額に手を当てて、大丈夫?と心配そうに
看病してくれていた気がするけれど、あれは誰だったか。
息を吸い込むと、体が熱くて苦しくて、生理的な涙がボロボロと零れていく。
涙が頬を伝うと、『アレ』が思い立たせてくれた記憶も、一つ、一つと
頭の中にこぼれていった。
一つ、私の家族は、大家族というやつで、私は十四人目の六番目の子供だった。
よく両親から忘れられていて、それが寂しくてしょうがなかったが、
周りにいる兄弟たちの世話をしていれば、その寂しさも薄れていった。
山に登れば山菜もあったし、畑もあったが、いかんせん子供が多くて、
食事の時間は、いつも喧嘩がつきなかった。
妹が、お姉ちゃん、お腹が空いたと言って私は自分の椀から、
イモを妹にあげていた時だったと思う、おかずの量で喧嘩する兄達の拳が、
運悪く私の頭にあたったのは。それから、私は馬鹿になった。
数分前に言われたことを忘れてしまうのだ。
最初は、根気よく周りも頑張ってくれていたのだけれど、
次第に、みんな諦めてしまった。
そのことを最初は悲しく思ったものの、私はそれも忘れてしまって、
どうしてみんなが私を見る目が、厳しいのか分からなかった。
そんな私が家を出たのは、おつかいを頼まれたからだ。
かごの中には、私が今まで食べたことないくらいたくさんの量のご飯が入っていて、
「醤油」を村を出た町で買ってきてほしいと、醤油の代金には見合わないお金を貰った。
きょとんとしている私に、母は、私の身長まで屈んで
なんだか泣き出しそうな顔をして、私の額に手を当てた。

久しぶりに呼ばれた名前に、なんだか嬉しくて微笑んでしまったけれど、
母はとうとう泣きだしてしまって、私はなにかいけないことをしてしまったのだろうかと慌てた。
それから、ようやく思い出した言葉を私は言った。
「いってきます」
母の手はとても冷たかった。


案の定、迷った私は、迷ったことすら忘れて、最初のことすら忘れて、
酷ければ、家族も忘れて、ただたださまよった。
とうとう足も動かなくなって、そのまま倒れれば、随分寂れた場所で、
目の前にはくたびれた社だけが立っていた。
近くには猫の死体があって、その崩れゆく姿に、嫌悪感を抱いた私は、
どうにか生きようと立とうとしたが、土を少しばかり握るだけで、
体は思うように動かない。
死にたくなかった。まだ生きたかった。
ボロボロと涙は、乾燥した土に吸い込まれて最初とまるで変わらない。
「お」と声をあげた。
自分の声がこんなにも小さな声だったか驚くほど小さな声で、
私は叫んだ。
「お母さん、お母さん。お腹すいた、疲れた。帰りたい」
生きたいよ。最後の言葉はもう声にはならなかった。
ひゅーと息が出て、どくどくと動いていた心臓がゆっくり感じる。
瞼がゆっくりと落ちていった時に、上から声が聞こえた。
「おまえの願い叶えよう」
目を覚ますと、私は生きていた。
なんで生きているのかわからないし、体が動くことにも驚いていると、
私の中から声が聞こえた。
「童子よ。おまえの願いを叶えたぞ」
「だ、誰?」
「人に名乗る名などないし、それにおまえは教えたところで、忘れるだろう。
それにしてもなんと酷い頭の持ち主に宿ってしまったのだろう」
『アレ』は嫌そうな声で言った。そんなに嫌なら出て行けばいいのにと
いうと、『アレ』はもう私から出ることは出来ないのだと言った。
それがどういうものか、『アレ』は詳しく教えてくれなかったけれど、
思うに、『アレ』はあのボロボロの社の主なのだろう。
神の力というのは、人の信仰心によって決まる。
あの社に、誰かが通った形跡などなかったし、そもそも朽ちているのだ。
人に乗り移る神なんて聞いたこともないから、
きっと『アレ』は、私と同じ時に消滅しかけていたのだ。
調度良く倒れていた私に寄生してようやく保っていられている。
叶えたのではなく、体を借りたが本当なのだが、
私は気づかずに、ありがとうございます。とのんびり感謝していた。
私の態度に『アレ』は気分をよくしてあることを言った。
「童子、おまえの態度は気に入った。なに、ここであったのも何かの縁だ。
私の願いを聞いてくれれば、おまえの頭を治してあげよう」
「私の頭でできる?」
「なーに、簡単なことだ。ある男を見守り、愛し愛されさえすればいいのだ」
『アレ』は、昔に、ある子供から施しを受けたことがあった。
皆が醜い怖いといって嫌悪する社に、その子供だけが毎日お供えを持ってきてくれた。
それはすべて豆腐だったのだが、『アレ』は嬉しくてその子のお願いを叶えてあげようと
待っていたのだけれど、その子供は何をいうこともなく、ただ毎日お供えを持ってきてくれた。
そうして、子供は忍術学園というところへ行くことになり、『アレ』の元へ
来てくれなくなってしまい悲しくて、もどかしくて、一緒にいけないことが苦しくて、
とうとう、その神ならざる想いが、『アレ』を崩壊させた。
私はそんなことどうでもよくて、頭を治してくれれば帰れるのだという思い一心で、
『アレ』と約束してしまった。
『アレ』は、約束だぞとそう言うと私の額が熱くて痛くなった。


忍術学園にどうにかついたものの、私は馬鹿で、何もできなかったから、
いつだって死ぬ思いをしていた。
周りからの視線も痛かったけれど、『アレ』によって周りの人に恵まれていたし、
私なりの処刑術が身についていて、思ったものを思ったままに口にすれば、
周りは私をあまりなじらなくなった。
それでも、どこにも弱いイジメが好きなものはいて、
誰かしらに殴られたり、蹴られたり、何か言われたりしていたけれど、
滝と喜八が助けてくれた。
彼らは、同じ学年の忍たまで、今まで一番私を構った人たちで、
私の馬鹿なところを、大丈夫だよと笑ってくれている人たちだった。
彼らは怪我した私の額を撫でてくれた。
彼らの手は暖かで、それはとても優しくて、こればかりは忘れてはいけないと
思ったのだけれど、やはりというか私は忘れていた。
色々と詰まった4年間の情景が、頭のなかで何枚もめくれられていく。
ご飯を食べるのを忘れても、宿題を忘れても、
言葉をあまり喋れなくても、怪我をしていても、
みんなから怒られたり哀れんだりされていても、
彼らは私の横で、助けてくれて、私は、落ち着ける場所を見つけたんだ。
彼らの名前だけは忘れてはいけないから墨で名前を書いて寝たりもした。
その名前は言うことは、もう出来ないんだ。
彼らの拒否された顔を思い出す。
あの冷たい、どこかよそよそしい態度は、母や父のそれに似ていた。
彼らも両親と同じく、私はいらなくなってしまった。
思い出せば、このまま心臓が切り刻まれて死んでしまうのかと
思うほど、胸が痛くて苦しい。
私はきっと彼らを愛していたのだ。
『アレ』が兵助先輩を思っていたように、
滝と喜八が、事務員さんを思っていたように、
私も滝と喜八を愛していた。

目を覚ますと晴れ晴れとした気持ちだった。
ずっと悩んでいた問題が解決したからだろか。
私は、コキリと首を鳴らし、立ち上がると、滝と喜八から教えてもらったものを
書いている手帳を見てめくり、
「こんなことも分からなかったんだ」と腹をかかえて笑いたくなったが、
まずこの手帳をどうしようか思案した。
これは、もう必要のないもので、捨ててしまってもいいものだ。
「うーん」
首をひねる私に、後ろから兵助先輩が声をかけた。
。もう大丈夫なのか」
「おはよう。兵助先輩」
「おはよう」
兵助先輩は、朝日に当たっているせいか、キラキラしてみえる。
きっと私の『アレ』が恋をしているからだろうと思っているけれど、
私だって兵助先輩のことが好きだ。
兵助先輩は私を離さないと言ってくれた。
私を好きだとも言ってくれた。
きっとこんな幸運もう二度と訪れないと思う。
そう思うほどに、久々知兵助という人は私にとって奇跡みたいな人だ。
私は、手帳を置いて、兵助先輩に向き合った。
「兵助先輩。言いたいことがある」
そういうと、私は正座からそのまま土下座をした。
「私は、兵助先輩と付き合えない。滝と喜八が好きだから。
二人が事務員さんを好きなのは分かってる。
私のこと、もういらないっていうのも分かってる。
それでも、私は二人の所にいたい。ごめんなさい。馬鹿で」
、顔をあげて」
兵助先輩にそういわれて恐る恐る顔をあげた。
兵助先輩は傷ついた顔をしていて、それをさせているのが
私だと思うと、傷口に塩を塗りこまれた気分になる。
兵助先輩は、土下座をして、赤くなった私の額に手を当てた。
その手は、硬くて、少し暖かい、私が愛した手だった。
は馬鹿じゃない。それなら、俺も馬鹿だ。
そういわれても、俺はを諦めれない。
二人に振られたらそこにつけこんで、俺のことを好きになればいいと思っている。
俺は諦めが悪いんだ。何度だって俺はを好きだって言う。
が幸せになるまで、何度だって」
兵助先輩はそういって私を抱きしめた。
きっと兵助先輩は泣いているのだろう。
私も、兵助先輩の肩で泣いた。


はぁはぁと息を弾ませて外へ出る。
一週間外に出なかったせいで体力が落ちているようで、
木と木の間を走るとすぐに息が切れてしまう。
急いでいる私に『アレ』は叫ぶ。
「おまえ、なんてことをしたんだ。早くあの子の元へ戻れ
じゃないと、おまえはまた馬鹿になるんだぞ」
湧き出る汗を私は拭った。
「馬鹿でもいい。全部忘れちゃっても構わない。
何度だって思い出して、二人の側にいる」
ここから、もう二人の姿が見れる。
私の心臓が生き生きと鼓動し始めた。
『アレ』が呆れた声で言った。
「救われない大馬鹿者め」
「最初っから、そうだったよ。私はずっと馬鹿な子なんだ」






終わり


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