は、普通の後輩だった。
成績がいいわけでもない。
実力があるわけでもない。
顔が美しいわけでもない。
笑顔をいつも張り付けていて、少しだけ薬草の匂いがして、
いつも清潔な忍服を着ていて、髪を高く結うこともせず、
丸く白いもので髪を覆って、長い薄緑色した紐と、朱色の石が本人よりも
存在を主張していた。
そんなもんつけて、任務の時邪魔だろう?といえば、
僕は後ろで、衛生班なので、と笑っていた。
取り上げる前に、伊作が邪魔して、何も出来ずに終わった。
彼は大変友人に、先輩に、後輩に、人に恵まれた人物だった。
彼を訪れる人はひっきりなしで、彼は毎度頭を下げて、
ええ、ありがとうございます。と言っていた。
なにごともいやに丁寧な奴で、そこが癇に障るやつだった。
彼の周りは、いつも騒がしい。
彼の周りは、いつもいつも・・・・・・
「伊作」
なに?と振り返った伊作は、豆腐の味噌汁とあじの開きを盆にのせていて、
どこからか飛んできた沢庵が顔面にあたり、
驚けば、味噌汁をこぼして、頭からかぶる。
アチチと慌てた、伊作は足元にあった雑巾を踏んで、食堂から出て行った。
その後ろを食満が、追いかける。
深夜の会計委員で、たくさんの漢数字の羅列と、パチパチと規則正しい音、
ゆらりと揺れる炎。
「こら、左門寝るな」
「寝てない。ぼくはまだねてましぇん」
三木ヱ門が、左門に寝るなと立てかけてある掛け軸に話しかけて、
左門は、寝てないと白目を向いてうそぶく。
一年はもはや、寝ている。
ふわふわりと、数字が浮き上がる。
なにも、変わらない。自分の平凡な日常は変わっていない。
なのに、何かが足りないと思う。
一人の少年が、彼らから忘れ去られただけで、自分になんの関わりもないのに、
どちらかと言うと、彼よりも忘れ去られてしまった原因のほうに気をやる方に力をいれるべきだ。
あの女はおかしく、怪しく、学園に危害をもたらすかも知れない。
だけれど。
ふわりふわりと、とうとう漢数字は外へ飛び立とうとする。
捕まえようとすれば、宙を切るだけで、
ようやく、一文字捕まえれば、
「潮江先輩」
懐かしい声が聞こえた。
「隈がひどいです。保健室へ行きましょうか?」
木上に立った俺を、木下から見上げてきた。
は、笑顔で、俺に手を伸ばす。
「・・・・・・お前は、俺が逃げても、言葉だけで、追ってはこないんだな」
木下の影になったは、表情のない黒い顔で、
「 」
ふわりふわりと、俺の立っている木は、「木」という漢字になって、空気中に分解していく。
これは、夢だ。
夢だと分かっているのに、の表情が気になって、ちらりと下を見れば、
「捕まえた」
彼に手を掴まれた。
「あ」
「おめざめですか?」
自分の声で、目を覚ますと、 がいた。
これは夢の続きかと思って、彼の手を握れば、触れられる。
いやに細い腕だ。仙蔵だってこうはいかない。
手に全部収まって、まだ隙間が空いている。
「おや、まだ寝ぼけてますね。誰と間違えているかは知れませんが、
手を離してください」
つい強く掴んでしまって、彼の白い腕が自分の握っているところから、
じわりと赤くにじむ。
なんで、自分がこんなことをしているのか、急に冷静になって、手を離すと、
胸の虚無感が、俺の口を動かす。
「お前は」
「お前は、ずるい」
「いつも言葉だけだ」
そういえば、彼は夢のように。
「そうです。
今の僕の存在は、すべて言葉によって成り立っています。
だから、捕まったら、終りなんですよ。潮江先輩」
彼はずるい。俺の真意をちゃんと気づいていて、そんなことを言う。
腕を目の前に、クロスさせて目を隠す。
。。
お前は知っていたな。分かっていたな。たぶん、俺自身よりも、先に。
俺が、捕まえてみろと言って、おまえが追ってくる時を待っていたことを。
そして、捕まえられたら、俺はお前に。
本当の言葉をかけようと。
睡眠不足で倒れた俺を、叱咤したのは、同級生の伊作で、
そして、白い少年。後輩に諭されることに苛立ちながら、
その優しい風貌に、その気高い心に、その一つのことに打ち込む熱意に、
伊作がいても、俺は。
俺は。
風化する思いだった。俺の目から見ても、伊作とはお似合いで、
拳を握りしめて、早くとまだの、二つの対極の思いを抱いていた。
あの女は、おかしい。
そして、俺もおかしい。
不審者で、学園に危害を加えるかも知れない女に、称賛を送り、
誰もいなくなった彼に喜びを感じたのだから。
でも、最初から無理なことは分かっていた。
俺は気高いまでの彼の芯の強さに惹かれたのだから、
一人になったからといって、俺の手を取るわけがなかったのに。
分かったいた。
分かっていたんだ。
俺の腕から隠しきれなかった滴り落ちる雫を、彼は見ずに、黙って背中を向けた。
パタンと障子の閉める音が聞こえた。
彼のその姿に、完全に駄目なんだと分かった。
でも、そういう態度をとって、終りをむかえさせてくれた彼に、頬を伝う水の量が増えた。
ああ、それにしても。
この狂った感情が、”愛”という綺麗な言葉になるなんて。
本当に、おかしいものだ。
2010・4・25