木の下から触ることができた狐が驚き、
水面をただようあひるは、がぁと一鳴き、熊は踊り、
眠たい羊は、いつも通り、動いていた。
木の上から見ていることしか出来なかった狐が笑った。
ああ、これで、自由だ。
「あ」
やっちまったと、自分の腕から血が流れる。
ポタポタと地面に垂れる。
結構ざっくり、いったものだと冷静に見ていれば、
後輩の作兵衛が、顔を真っ青にして、俺の腕をゆび指している。
「せせせせせせんぱい、血が血がァァァ」
「これくらいなんともないさ」
「なんともなくねぇです。とっても痛てぇに決まってるでしょう!!」
作兵衛のなんだか泣きそうな顔を見て、俺、愛されているなぁ、
とほわほわした気分で、いれば、ぐいぐい後ろから押す作兵衛の力が増えた。
見れば、作兵衛の声で集まった他の用具委員の後輩たちもおんなじ顔して、
「保健室へ行ってください」
ああ、もう保健室なんてどうでもいい。
抱きしめたい。さぁ、こいと腕を開けば、
偶然通りかかった仙蔵が、可哀想な奴をみる視線で見てきた。
失礼な奴だ。
「すいませんー」
「はい」
「腕、怪我したんですけど」
「ああ、ひどい傷ですね。心臓の位置より腕を高くあげといてくれますか」
包帯に、薬に、とトントンと綺麗に横一列に並べて、
細い白い腕に、細い白く長い指で、
シュルシュルと、みるみる綺麗に巻かれていく腕に、感動した。
「おお、すげ。ここまで伊作でも出来ねぇ」
そう言ってから、失言に気づき、慌てて口に手をやるのも遅くて、
すまねぇ。と謝っても、空気を換気出来そうにない。
居心地悪くて、ちらりと彼を見れば、ぴぃんと背筋を伸ばして、
綺麗に正座している、いやに肌が白い少年は、笑顔だった。
なんのことですか?なんて俺の失敗を聞き流す。
彼を知って結構な時がたったけれど、
今まで彼の笑顔以外の表情を知らない。
は、イイヤツだけど、得体の知れない奴だ。
いい部分から無理やり悪い部分を見つけ出さないと、
チクリ痛む胸の違和感を隠せそうにない。
あの日は、くもりだった。
暑くもなく、寒くもなく、無風で、過ごしやすい日だった。
地面を向いて、桶の直しをしていた俺は、チカリと上のほうで何かが光ったな。
と思ったけれど、もうちょっとで終りそうだから、
上を見ることもなく、作業に熱中していて、
全ての桶を直し終わったときには、そんなこと忘れてしまえるほどの、
なんともない日だった。
そんななんともない日が終り、次の日になれば、
不審な奴が来た。気をつけろ。と潮江が言っていた。
なんのことだ?と思っていたけれど、不審者をみれば、その通り。
空から降って、来ました。だけど、天女じゃないです。
この世界に生きていません。もっと、未来から来ました。
なんて、正気のさたじゃない女。
潮江や他の奴らは、みな彼女を警戒しているけれど、
俺は、芙美子さんが学園に来てくれて良かったと思っている。
彼女が、俺の後輩に手を出さず、そのままの立ち位置で、
居続けて欲しいと切に願う俺は、どうしようもないろくでなしだ。
俺は、目の前の少年を犠牲にした。
彼は、手に入れていた全てを失った。
仲の良い友人も、後輩も先輩も全てだ。
一気に全部かっぱらわれた。
俺がそうなれば、どうなるだろう?
急に全員が全員、自分に原因があるわけでもなく、
自分の存在を無視されたならば、俺は泣いて泣いてすがって、
どこが悪い?俺のどこが?と、
原因がないと分かっていても叫ぶだろう。
それか、違うものに救いの手を求める。
俺は、一人は寂しいから、後輩は愛しい、同級生も愛しいから。
違うベクトルに同じ思いを抱いてる。
彼もそうなのだろう。そうであるのであろう。
くだらない俺の話に、にこやかに笑う彼も。
彼の微笑に癒しを覚えた。
しかし、彼への思いは、後輩へ抱く親愛でしかない。
しかし、俺の同室にして、長年同じ組で、親友である伊作は違った。
伊作は、良くも悪くも、目の前の少年に傾向していた。
一日の始まりが、で始まり、終りがで終わったこともある。
彼が心配で、心配でしょうがなかったけれど、
彼女が現れてから、彼はまともになった。
いいや、違う。
まともではない。の名前が、芙美子さんに変わっただけだ。
伊作は、恋愛で、のめり込むタイプらしい。
でも、俺は、彼女ならばいいと思った。
がいくらイイヤツでも、ダメだった。
理由は簡単、彼は、少年で、男だからだ。
俺は、残念なことに頭が固い。
周りが、いくらいいじゃないかと言われたことでも、
自分が考えていたことが基盤となって物事を考える癖がある。
友人に、周りに、その考えを押し付けたくなくて、黙っているけれど、
本当は伊作を殴りたかった。
おいおい、本気かよ。相手は後輩で、男だぜ?と。
目を覚ませよ。お前を好きな子はこんなにいるじゃないか。
大量に貰ったバレンタインのチョコよりも、
「ちょこもってたら、穴に落ちて、怪我しちゃったから、がしてくれた」
なんて、頬染めていう伊作に、指の包帯大事にして馬鹿じゃないのか?と。
街へ出て、あの茶店に、カワイイ子がいるんだ見ようと誘っても、
「ごめんね。留さん。今日は、と市場へ出て、医療機器見るんだ」
ところで、どっちがいいかな?と服の意見を求める。
そんなの、そんなの間違っている。
男は女を愛するもんだ。
男同士なんて気持ち悪いだけだ。
天女さまの存在を認めた理由なんて、親友のためなんて
肩書きの裏に隠れた、俺の正義のため。俺の快適な学園生活のため。
俺は口も軽いようで、ついポロリと聞いてしまった。
彼が今、どんな気持ちか俺には推し量れない。
俺が彼ならば、死にたくなるほど、涙が流れっぱなしになるほど、
手を差し伸べて欲しいほど。
なのに、彼は笑顔だから。
「、お前は、寂しいか?」
なんて聞いてしまった。
ああ、ちくしょう。
これ以上、俺を苦しめないでくれ。
彼は、俺の言葉に、ピタリと止まって
それから、真っ直ぐな背中を少しだけ丸くして、
「ここは、こんなに広いんですね」
その横顔が、寂しそうに見えたから、俺は、お団子を持っていく。
それは、罪悪感じゃない。
ただの腕の治療費だ。
俺は、悪くない。男同士なんて間違ってる。今が、正常なんだ。
ならば、なぜ、保健室へ訪れる機会が増えたか。
怪我の経過を見てもらっているだけだと、答えることしか出来ない。
「はい、綺麗になりましたね」
そう自分のことのように嬉しそうな顔をする彼に
俺は、用具委員の後輩のように頭を撫でてやりたくなったけれど、
今、彼をこんなにさせてしまっているのが、
芙美子さんの話を毎日する伊作に、
保健室へ行かなくなった伊作に、
「どうしたんだ?」と簡単に言える一言が言えないでいる俺を思い出して、
手を引っ込めた。
そのかわりに俺は。
「」
「はい」
「美味しそうなおまんじゅう屋があるんだ」
「それは、それは、食満先輩は情報通ですね」
「この腕で、あまり量が持てない。だから、一緒についてきてくれるか?」
少しの間があくと、彼は、「ええ」と答えた。
「ぜひ、ご一緒させてください」
これは、懺悔ではない。
ただ、彼が一人でいる姿が慣れないから、それを補うだけだ。
結局、自分のためなんだ。
2010・4・24