立花仙蔵は、周りを見渡した。
二人部屋の中で、もう一人はパチパチと会計委員の仕事をしていた。
彼は、何も言わなかった。
七松小平太は、白いバレーボールを一個ずつ握力だけで潰していた。
横で静かに本を読んでいた中在家長次は、眉をひそめる。
「小平太、笑い顔が怖いぞ」
「それ、長次に言われたくない」
「あ、すいません。七松先輩!!」
ガラリと開いた部屋の扉の前には、
七松 小平太の後輩が汗をかきながら、立っていた。
「ん?何、滝、捜しもの?」
「ええ、知りませんか?」
一息ついたところで、彼は名前を口にした。
「を」
長次は、息を飲んだ。
それは、彼の言っていることが、今までの彼と、違っていることではない。
横で、まったく変わらない笑顔を持っている男が立ち上がったからだ。
「何を言ってるんだ。滝」
滝夜叉丸は、いつもと違う彼の様子にようやっと気づいたようで、
彼が近づくにつれて、少しばかり後ろへ後退する。
「お前が探しているのは、芙美子さんだろう?は、いらないんだろう?」
彼は、総じて笑顔だった。
それは、ここにいなくなった白い少年と同じ笑みだった。
「全く、しょうがないなぁ」
そう、一回つぶやいてから、小平太は滝夜叉丸を殴った。
殴られて赤くなった頬を、手で覆って、廊下に倒れた滝夜叉丸は、
小平太の笑顔じゃなく、殺気まみれの顔で見下された。
たらりと、鼻から血が出るけれど、それよりも目の前の獰猛な野獣にガタガタと震える。
「小平太」
「何?私は、後輩に教育的指導をしているだけだよ」
「・・・・・・・やりすぎだ」
「・・・・・・そう?じゃぁ、ごめんなぁ。滝夜叉丸。
私はどうやら、気が立っているらしい。
あ、そうそう、滝。答えけど」
倒れている滝夜叉丸に手を貸して、立ち上がらせると、頭を乱雑に撫でて、
小平太は、滝に言った。
「それは、お前がよく知っているだろう?」
パチパチパ、チと文次郎のソロバンを弾く音が止まった。
二人で、襖を見ていれば、6年ろ組の二人が、そこにいて、
小平太は、どかっと、承諾もなしに、二人の部屋に座った。
「血の匂いがする」
「ああ、さっき、滝。殴ったから」
「そうか」
文次郎と小平太の二人の短い応答が終わると、
文次郎は、パチパチとソロバンを打ち始める。
「ねぇ、ねぇ、文ちゃん。あの天女さまを消したのは、文ちゃん?」
ピタリと全ての時が止まったようだった。
文次郎だけの打つソロバンの音だけが、リズムを狂うことなく鳴っている。
計算が終わったのか、記帳にサラサラと書き込むと、
文次郎は、小平太に向き合った。
相変わらずの目の下の隈は酷い。
ゴクリと、誰かがツバを飲み込む音がすれば、
彼は、口を開いた。
「是」と。
その言葉を聞いて、部屋の中に充満する小平太の殺気が収まった。
「そうか。良かった。
そうじゃなかったら、私、いっさくんも殴りに行くとこだったよ。
文ちゃんに殺してもらえたなら、私の出る幕はないからね。
あー。すっきりした。長次。近くの美味しいうどんや行こう!!
それ、いけいけどんどーん」
嵐のように出て行ていったから、襖は開けっ放しだから、
私は襖を閉めて、文次郎を見る。
が、4年間愛されていた人物に忘れられ、
それどころか、攻撃され始めた時だった。
彼は、学園を去った。
噂が駆け巡ったときには、もういなくなっていて、
彼の最後は、寂しそうな笑顔、「大丈夫ですよ」の言葉で、終わった。
大丈夫な訳がなかった。彼の頑なで真っ直ぐな心は、
じわりじわりと侵食されていたのに。
水滴ですら、長年かければ、石に穴があくと言うのに。
私は、そんな言葉を信じていた。いいや、信じたかった。
そして、すぐに、彼が去った理由の天女さまが、消えた。
簡単な構図に、分かりやすい消えた理由。
天女さまは、天に昇った。それは、下級生。
天女さなは、殺された。それは、上級生。
殺したと言った人物は、伏せいでいた。
いつもの、暑苦しいほどの元気はなくて、ポツリと私に言った。
「仙蔵。俺は、が、好きだった」
そんなこと知っていた。
遠くから見つめていたことも、声をかけられれば喜んでいたことも、
諦めようとしている姿も、横にいたんだ。
分かっている。
「捕まったら、終りだと言っていたのに、あのバカモンは、掴む前に消えた」
遠くをみる文次郎に、私は何も言えない。
「俺は、伊作にも、鉢屋にも負けた」
「鉢屋?」
急に出てきた後輩の名前に、眉をひそめると、
文次郎は、そのまま続けた。
「俺は、あの女を殺しにいこうとした。だけど、もうすでに、もぬけの殻だったんだ。
その夜の日に、あの女が消えて、その後、鉢屋も消えた。
それがどういう事か。分かるだろう?鉢屋も、を愛していた
愛してたから、許せなかったんだ。たとえ、一方通行のものでも。
もっと、早くに殺せば、は自分のために、人を傷つけることを、厭う。
だけど、その女が、学園の生徒である彼がいなくなった原因ならば、
俺は学園に害をなす存在として、排除するのは、当たり前だった。
仙蔵、俺は、 を本当に愛していた。
だから、俺は、最後の証を盗られたくない。嘘も方便。いい言葉だ」
「なぜ、私に話した?嘘だと一生バレなければ、真実なのに」
犯人である、鉢屋は、もはや消えているのだから、
真実を知っているのは、お前だけ。
いいや、生きているならば、天女と呼ばれている女もだがな。
そういえば、文次郎、苦笑した。
「俺は、嘘が下手だからな」
・・・・・・本当に嘘が下手な奴だ。
だが、いいだろう。それで誤魔化さられといてやる。
私は、優しいからな。
最後の愛の証?
フン。ここからが愛の証だろうに。
それに、お前が殺したいほど憎んでいたのは、天女じゃないだろうに。
2010・5・6