僕が、中途入学をしたのは、髪結いをやめたわけではないんだ。
ただ、もう一つの道があるなら、それを知りたいと思ったんだ。
それが、わがままか、贅沢か、なんて知りもしないで、希望だけ抱いて入った忍術学園。
最初は、覚えることが一杯で、知らないこと一杯で、忙しくて、何も考えられないまま
眠りについていた。彼らの体力も腕力もすべてケタ違い。
僕、大丈夫かな?って思ったのは、同学年となった4年の実習を見たとき。
ドキドキと不安が一気に襲う。
僕は、やっぱりまったく弱くて、ここの一年生以下で、
クスクスと笑い声が、僕の心に刺さる。
だけど、僕は、とても運が良かった。
僕の境遇なんて、気にしていない友達がいる。
彼らは、周りの白い目なんて気にせず、好きなように生きている。
いいや、どちらかというと、自分のことしか興味がないから、
他のことなんてどうでもいい、無頓着なんだ。

僕も、髪のこととなれば同じだけど。
でも、彼らと僕らは組が違うから、彼ら以外の集団の中、一人は寂しいから、
嫌われないように、調子を打って、馬鹿にされても
そんなこと言わないでよ。と、言いながら、笑えばよかった。
そんな毎日に、月を見ていた。
ほのかに光っている月は、僕を唯一癒してくれる存在。
特に、今日は満月で、大きく綺麗。
だけど、忍びの卵の彼らにとっては、忌むべき存在。
闇の中に生きる彼らに、光は、大敵だから。
ぼぅと、見つめていると、自分がこの場所の異物のような気がした。
遠くに一人だけ取り残されて、走っても走っても遠ざかるような、そんな気持ち。
その気持と連鎖して、帰りたいなんて・・・・・・言えない。
この道は、僕が自分で選んだ道だから。
だけど、どうしてだろう。
今、僕がしていることが、本当に正しいことなのか分からなくなる。
笑って、笑って、その後に残るものはなんなのか。誰か教えて。
と、月に手を伸ばしかけると、ギシリと音がした。
ここはあまり人が通らないと喜八郎くんが、教えてくれたのにと、
後ろを向けば、月を、飲み込むほどの闇が存在していた。
パチリ、パチリと瞬きをすれば、闇ではなく一人の少年だった。
彼は、僕も月にも、目もくれず、前だけを見て歩いていた。
ふ、と彼は思い出すかのように、ちらりと、僕を見て笑った。
ふわりと花のようではなくて、くつりと歪んだ笑みだったけれど、彼には、よく似合っていた。
その笑みに、どくりと血が脈打つのを感じる。

どくり、どくり、どくり、どくり。

「笑顔が嫌いだ。嘘」

どくり。


彼の端的な言葉に、思考がすべて止まった。
心臓ですら止まってしまったんじゃ?と思うほど、
完全な停止で、終りとばかりに、あとにしようとする彼を
呼び止めることも出来なかった。
彼の言った言葉は、簡単な言葉だけれど、
こんなに的確に表現した言葉なんてない。
嘘くさい笑顔で、嫌いだなんて、誰も気づかなかったのに、
それどころか、笑顔がいいなんて言ってくるのに。
僕が、棒のように突っ立ていると、彼は僕に手ぬぐいを渡した。
これで、何しろって言うの?君は何がしたいの?
僕に何を求めているの?君はなんなのさ!!
と、叫びたいのに、彼という大きな大きな存在に圧倒されて、
声が出ないで、下を見れば、雨が降る。

あ、あれ?

僕を照らしている月は、影を存在させ、その中に僕は、もっと濃い闇を落とす。
月は、嬉しくても、悲しくても、僕を照らしている。
だけれど、静かに泣く僕を、照らしたのは初めてだろう。

「待って」

しーんと音が消える廊下に、僕は声を生み出す。
泣いているのが格好悪いとか、年下に泣かされたとか、
そんな外聞取り払って、彼の腕を掴む。
彼は、何も言わず僕を見上げた。あんなに大きな存在だと思っていたのに、
彼は僕よりも身長が低かった。下を向かなければ合わない視線。
暗い深い闇が僕の方を、向いた。

「ぼ、僕と」

僕となんだろう。うまく声が出ない。
彼の瞳は真っ暗で、彼の存在も真っ暗で、いつか月は飲み込まれ、
闇しかなくなってもいい。

「僕と友達になって」

言った言葉は、思っている感情と違う。
でも、自分の気持ちをなんて言っていいのか難しくて、嫌われたくないから、
変なことも言えず、お決まりの言葉しか言えなかった。
言った後に、かぁっと赤くなる頬は、まるで好きな人に告白した少女のようだ。

風が吹いた。
柔らかな風が吹いて、闇と同化して分からなかった彼の髪が、
ふわりと月に照らされ存在を現す。
そして、彼の髪がとても美しいことに、ようやく気づいた。
髪さえ良ければ、人なんて二の次の僕が、
何回も髪だけで、つきあったことのある僕が、
最初は挨拶よりも髪を見る僕が、初めて髪を見る前に、人を見た。

彼はずっと無言で、怖くなるから慎重に言葉を選んで声をかける。

「綺麗な髪してるんだね」

・・・・・・・僕は馬鹿だ。男に言われて完全に引く言葉を選ぶなんて、
しかも、触るなんて、あー、と唸りたいのを必死に抑えると、
彼はようやく短い言葉を言った。

「やる」

その言葉から、僕は頭が悪いから全部は読み取れなかったけれど、
確かに、彼の髪の毛は高く売れるだろう。
切れ毛も何もなくまっすぐ艶やかな黒髪。
だけど、僕が欲しいのはそれじゃない。

「いらないから、僕に手入れさせて」

髪じゃなくて、君の傍にいたい。
そう思わせるほど、彼は、恐ろしく美しい人。





【オタクのおたくさん タカ丸さん】






サラッと流れた髪に、誰かが恋する。そんな瞬間があるはずよ。
うん。でも、ここ野郎しかいないから、気持ち悪いわ!


今日の出来事を言うぜ。今日も一人でロンリーに歩いていれば、
座って月を眺めている金髪がいた。
みんなのアイドル斉藤 タカ丸くんじゃないか。
夜空でもキラキラ光る髪は、月よりも光って見えたけれど、俺はあいにく月が嫌いだ。
彼はイケメン。俺はオタク。しかも、職種がモテる理髪師だろう?
ちらりと見えた猫のような笑みは、人を安心させるから、俺に羨望を抱かせる。
俺が笑っても、ほら、気持ち悪いだけだ。
ニヤリと笑えば、B級の悪役にも劣る。
彼はカッコいい。俺は気持ち悪い。しかも、友達が多いだろう?
いいな、その笑顔。胸糞悪い!!てか、くれよ。俺に一人友達をよぉ。
・・・・・・いかん。別に彼が悪いわけじゃないんだ
だけど、そのみんなを虜にする笑顔が憎い、嫌いだ。俺にくれ!
それが、俺でなくても、嘘でもいいんだ。
俺は、全部が全部劣っていて、
惨めな気持ちなるから、月からも、彼からも視線をそらした。
ああ、風呂上りでサッパリと、今日の雑念も流したっていうのに、
早く部屋帰ろう。と、足を急がせたら、強い風が吹いた。
ごぉっと音まで聞こえた音に、驚いたもののの、
俺の髪が、一瞬で貞子・・・・・・・髪切ろうかな。視界が真っ暗で何も見えん。
ばさっと髪を直せば、いつの間にか斉藤さんがいた。
しかも、腕を掴まれている。なんだよ。イチャモンか?
オタクが、横通るんじゃねぇってことか?
おうよ。やっちゃるわ。こいよ!
このロンリーで、わびしく、寂しい俺を笑いもんにするなら、ファイトだこのやろう。
だてに、忍術してねぇーぞ。と、思ったけれど。

「ぼ、僕と」

で、やめた。目が怖ぇ。目が赤くなってる。充血しておらっしゃられる。
もしかして、スーパー斉藤さんか?いつもの姿は、仮の姿、実はメチャ強いとか?
ありがちすぎる。これは、ガチだろう。
スイマセン、土下座して謝りますので、許してください。
だから、手を離して、あ、駄目だ。結構、力、強いや。
そうだ、お金、お金で、・・・そういえば、風呂に入ってたんだっけ。
もう、駄目だ。誰か助けて、俺リンチされる。
パニックになった俺は、何も聞いていなくて、何も見えていなかった。

ただ斎藤さんが、

「綺麗な髪してるんだね」

と俺の髪を撫でたので、
彼が髪結いで、とても髪を異常に愛していることを噂で聞いた俺は、
ここを逃してなるものかと、早口で言った。

「やる」

久しぶりに人に声をかけられたので、会話をしたので、
短い言葉しか話せない。
あげるから、なんなら丸坊主でも構わないので、
俺の態度も全部許してください。
そういったら、彼は驚いた顔をして、次に猫のような寝顔じゃなくて、
子供のようなブサイクな笑顔をみせた。

「いらないから、僕に手入れさせて」

それから、彼は何か暇があると、ここに来て、俺の髪の手入れをしにくる。
彼は何が嬉しいのか、髪が大好きなんだろう。
いつもニコニコと笑って、たわいのないことを言って帰る。
そんななか、俺は、髪だけは、綺麗で良かったと感謝する。
だって、髪だけしか見ていなくても、友達ッポイ関係だから。









2010・3・31