このところ、黎深様がおかしい。
いいやあの人がおかしいのはいつものことだけど。


働かないからどうにかしてくれと呼ばれていつもと同じ我が侭だと思っていたしかし、
ぽけ〜と空を見たまま惚けた顔のまままったく動かない姿は不気味を通りこして異常だ。


「黎深様」


何度か分からない呼びかけをした。やはり微動だにせずぼ〜としている。
魂の抜けがらだ。

どうしたものか。溜まっていく書類・・・それよりも気がかりな養い親の姿。
ここは奥の手だ。


「あ、あんなところに秀麗が!」

反応なし。


「秀麗が饅頭を持ちながらなおかつ邵可様がお茶を淹れている」

少々反応した。よし。もう一押し!


「なんとの笑顔のおまけ付き」

ガタンガタタン

凄い音を立てて椅子からずり落ちた。



「・・・黎深様」


「絳攸?なんだ。急に」


さっきまでの姿は実は影武者でしたと言われたら信じてしまうくらいの違いよう。
真剣に凄いと感じる。


「・・・・・・何度も名前を呼びましたけど」


原因は分かった。
彼女はやはり黎深様にとって姪だということ。いつもの態度も裏返せば愛情のあらわれかもしれない。

そして、なんといっても紅家の切り札。
その意味はあまりにでかく、色々な謎が一気に解けた。
無理難題を押し付けた奴らは今頃ひやひやものだろう。


近づくなといわれた意味を理解した。




「おまえは・・・まだ興味があるか?」

何を指しているのか、すぐに理解した。
何を言えば正解なのか、そもそも答えはあるのか、分からない。
俺は静かに本能的に言葉を口から出していた。






扉が閉まる音がする。
黎深はまた深く椅子に座った。

ここのところずっと気分がはれない。仕事だって身につかない。

自分の手を見ると、小さな体の感触を思い出した。
あどけない顔からは、いつものような凛とした空気はなくて、そういえばまだ彼女が年端もいかない子供だと思い出す。

真っ白な服が真っ赤になっていく感触。
苛立ちと恐怖。

そして。

ずっと目を瞑っていたあるいは気が付かないはずだった感情。

黎深は何度目か分からないため息を吐いた。
怪我がどうしてるとかは、鳳珠に聞いたり影に聞いたりして分かっているが
あの日からどうも顔があわせずらい。


溜まっている書類をずっと見ていても何も変化はない。
イライラした衝動を誰かにぶつけたい。

黎深は書類を投げた。
ひらひらと一枚一枚風にのりどこにどういくか不思議な軌道を描きながら落ちていく。

記憶が巻き戻される。



「何をしておいでですか?」


「な、何者だ」


「そこからでは、裾が汚れます。あちらからならよく見えますよ」


その日はそれだけの会話だった。
不思議な存在よりも、見たかった姪や兄様や姉様が見れて幸せだった。
いい穴場を見つけた。

幸せそうな家庭。
一人足りないということは気になってはいたが、いつか見れるだろうと。

なかなか出逢えない事実に疑問を持ったのは何度目だったか。
そしていつも現れるこいつがなんなのか。

幼い割には、しっかりとした受け答え。わずわらしくなくむしろ居心地がいい空間。
段々と見に行くよりもその子供の方に気をとられるようになった。

誰なのか。

答えはすぐ目の前で、簡単にわかるはずの答えをわざとじらしたりして思えばこのときから調子を狂わせられていた。


紙はすべて落下し、動かぬもの言わぬものと成り果てた。
ふと目に映った湯飲みの中の自分。


これがすべての答えだ。




すっきりとした。
今までずっと解けなくて分からなかった。


他の家にいることに苛立ちを感じたり、他の誰かの思いを許せなかったり、他の誰かに助けられることも
何も出来なかった自分に苛立った。何もしなかった自分に苛立った。
何よりずっと誰かを思ってしかもこの世に居ない奴を思い続けて笑うこいつが嫌いで
忘れることを恐れて泣くこいつに苛立ちしか沸かなかった。

それがなぜか?
問いかけもせずに残したまま触れることを恐れていた。
たかだか一回りも二回りも違う小娘の一言に私は恐れを抱いていた。

自分と似ていて異なるもの。



暖かい温もりとまだ幼い寝顔が傍に居ることで心が埋まるようなその感情は、
嘘くさくて言葉にすれば崩れてしまう  けど   口があるからこそ言葉が生まれた。

その言葉を紡ごうこれは、まさしく 愛だと。







2008.3.13