この道の先が破滅しかなくても肉体がくずれ精神が崩壊しても、それでも私たちは進むことしか出来ない
もしも、なんて昔を思っても、どうせ同じことをしてしまうよ。
物事が始まるときはいつも静かで、のっそりと進められる。
その日は、同じような日々を過ごしていた。
同僚と思われしき者たちの罵詈雑言、上官と思われしき者たちの悪口雑言。
一部からの拍手喝采。
は、右へ左へと受け流して手を止めず足も止めずただ時を進めていた。
一部の違和感。時々、自分を助ける影のような人物がいなくなった。
それだけではない。
今日は月もない暗闇。
無音が世界を占める。
心は風波も立たず冷静で、前のようにはならなかった。
いつしか誰もいない庭園。
は歩みを止めた。
いる。
とうとう動いた。今日姉さまを見ないのも影月を見ないのも、
目をつぶる。彼らは大丈夫だ。
守られている。
だから、私がいま心配するのは、
自分の身だけ。
何もないはずの場所に影が出来た。
低くくぐもった声小さな声がその場所を支配する。
「紅 だな」
「分かってるのに聞くな」
「お前はここで死んでもらう」
ばらばらと、黒い人が現れた。
2.3.・・・10ここまで数えると、もうどうでもよくなる。
高々、一人の小娘に人を使いすぎだ。
「仕事がないのか。お前らは」
「この人数を見て、驚かないとは、肝が据わっている」
「お前は、要注意人物だ」
「化け物には、それ相応の数で」
よく喋る黒き人。本業だけではない、素人もいるようだ。
大半は、武官。他が影ということだろう。
「そうか。それは大層なことで」
言い切るのが早いか、短剣が、の額目掛けて飛んできた。
は、下にしゃがみ、目の前にいる男の足を払うと、ノド仏に懐から取り出した短剣を刺した。
肉を切る独特の感触が手に広がる。
きらりと光る過剰の装飾も無いそれは、唯一の形見でずっと共に過ごしてきた。
刃先にこぼれも乱れも無い。一見使われていないように見えるが、至極同然のように命を奪った。
使われていないのではなく使いこまれている。
そして使い手は、叫ぶことしか出来ない少女から、ソレ相応の経験をつんだ人間。
男たちが怯えあがる声。
だが、この人数で、小娘一人にやられるわけがないと思っている。
空気が震える。久々に感じるそれには、短剣を抜き取って構えた。
何本もの剣が、に向かっておろされる。
は、右から向かってくる人物の肩に手をやり方向を変える。
その人物を盾にして、剣が体に刺さって隙が出来た他の人物の首をただ真一文字に切る。
暗闇の中で、夜目が効かないのは、誰だって同じ。
影も慣れているとはいえ、彼女の姿を明確に捉えきれない。
紅い目を捕らえたときには、自分はすでに捕らわれてしまっている。
一撃で急所をしとめている彼女の姿は、
鮮やかと言えば、鮮やかだが、その行動は、余裕のなさを表していた。
常日頃の彼女ならば、逃避か、彼らを気絶させるくらいでおさめることが出来ただろう。
しかし、慣れたといえ利き手は使えない。異能の力さえこの場所では使えない。
は的確に相手の急所を狙い最小限に動くことしか出来なかった。
段々と重くなる手、血で切れ味が悪くなる短剣。人が倒れていくたびに冷たくなっていく頭。
やっと片手で数えれえるくらいになったとき。
連日の徹夜での睡眠不足、食事も夕食のみでの栄養不足、ここまで動けるほうが奇跡だった。
呼吸が荒い。体が鉛のように重い。
それでも、は剣を振るった。
あと、5人。
4.3
後ろに回りこんだ男に気が付いたときには、地面に叩きつけられていた。
「苦労かけやがって、化け物が」
残った3人の男たちがを囲んだ。
無駄にあがなう力がない。
「ようやく、諦めたみたいだな」
「なぁ、このまま殺すのはもったいなくないか」
「何言ってるんだ。この人数を一人で殺したんだぞ」
「だってよ。見ろよ」
押さえつけていた男が、の顔を上げた。
「化け物とはいえ、なかなかない綺麗な顔してる」
「そうだな。ここまで頑張った俺たちに褒美くらいほしいよな」
「お前まで、こいつが抵抗したらどうするんだ」
「それもそうだな」
「じゃこれなら大丈夫だろ」
おもむろに、男は右腕を本来曲がる方向と逆に曲げた。
バキン、と小気味いい音が聞こえる。
は少しだけ眉をしかめた。
「っ」
「泣きもしねぇか。もう片方も、ん?」
男は、もう片方を持ち違和感に気が付いた。
だらんと、力ない左腕。
「どうした?」
「・・・・・・こいつ最初から片方は折れてたみたいだな」
「やはり危険だ。殺そう」
もう一人の男が、刀を抜いた。
押さえつけている男が止める。
「待てよ。殺すのは、ヤッた後からでも遅くねぇ」
「もうこいつにはあがなう力もない、そんなに嫌ならお前は抜ければいいじゃないか」
簪がとられた、サラサラと髪が風になびかせられている。
服は、はだけられ白い絹肌が、外にさらされた。
頬に伝う血が、大きくそして何も映してない紅い目が、
すべてが、男たちの情欲を誘った。
ごくり、誰かのつばを飲む音が始まりの合図かのように、男たちはに覆いかぶさった。
風も吹かない虫の音すら聞こえない
息が白く立ち上がる。
紅 黎深が捕まった。
どこぞのハゲが、触ってはいけない場所、言わば逆鱗に触ってしまった。
秀麗のこともある、それにのことも、
秀麗に優しいのは当たり前、そしてにもなんだかんだで気を配っている。
傍で見ていれば分かるが、その愛情には差がある。
秀麗のはただの親愛。だが、に対しては、
本人は気が付いていないようだ。
出来れば、一生気が付かないでいて欲しい。
敵に回せば、やっかいだ。
そして、私をも捕まえに来たようだ。
「鳳珠。どうやらお出ましのようです」
「国試不正介入の疑惑で、黄尚書、の見柄を一時的に拘束させていただく」
門を破って入ってきた武官に、鳳珠は、一瞥しただけで筆を動かした。
その沈黙に、武官の一人がイラついた声で言う。
「聞けぬなら強行突破で」
「私が仕事しなければ完全の止まるぞ。それでもいいなら、牢にいれろ」
ザワザワと騒ぎ出す奴らを尻目に鳳珠はなんとも言いがたい胸騒ぎを覚えていた。
純粋で、一途に真っ直ぐ前を見据えて歩いている彼女を。
願わくば、あの人の無事を。
「ごめんなさい、 。私は、汚してしまった」
ポツリと呟かれた言葉は暗闇に吸い込まれていった。
2007.12.22