「何でございましょうか。真田様」


俺は、彼女の本当の名前さえ知らなかった。


彼女が、いなくなって数日がたった。
いなくなったは違う。
仕事に出掛けてだ。

いつもご飯を作って、戯言を聞いてくれて、
優しく微笑んでいた姿しか見たことがなかったが、彼女は忍びだ。
主のために生き・・・人を殺す。
なぜだか、彼女には似合わない気がした。

紅よりも碧が似合う人だと。

勝手に思っている。

某は、今日も慢心せずに、自身を鍛え上げている。
ぶんぶんと音が鳴る。

変わらない目の中の映像。


「幸村様。いつも言っておりますが、少し限界と言うか自身の体のことを理解してください」


女にしては、少々低い声。
帰ってきたのだ。そう思って振り返ると


「おわ。旦那急に振り返らないでよ。槍がかすったよ今」

「・・・・・・なんだ佐助か」

「なんだ佐助かじゃないでしょ。まったく、もうそろそろ止めないと体壊しちゃうよ」

「む、まだ某はやれるぞ」

「はぁ〜旦那鍛えるのはいいけど晩飯食べないつもり?」

「晩飯?もうそのような時間か」

「そうそう。おかげでちゃんが困って」

「違う」

「旦那?」

「あの者はではない」

佐助はため息をついて呆れ顔でこっちを向いた。

「だ〜か〜ら、ってのは継承名なんだから、旦那が言ってるのは五代目で」

「某は、・・・某にとって」

という人物は一人しかいない。
少々きつい目をして、長い髪を束ねて、黒い着物と紫苑色の着物を着て
呼べば、幸村様と言って、小言を言うし、時々本気で攻撃してくる。
凛として、時々悲しそうに月を眺めたりしている。

今、と呼ばれている人物とは、似ても似つかない。


は代々腕のいいくのいちがなるから、帰ってくるって」

最後の夜一緒に月夜を眺めたことを思い出したが、頭の片隅に追いやった。

「そうだな、帰ってくる、か。佐助、はいつになったら帰ってくるのだ」

「俺様は管区外なんだよね〜長っていってもあそこは孤立してるから」

「お前でも分からんのか」

「う〜ん五代目でしょ?ま、聞いてみるかな」

「うむ、頼むぞ佐助」


気付いていたのかもしれない、本当は。ただ認めたくなかった。
月夜の晩に、胸騒ぎがしてと呼んだ。
いつもなら直駆けつける彼女はあらわれなかった。
急に世界で一人だけ取り残された気がした。
木々の囁きも虫の鳴き声も明るく照らしている月さえもそっぽを向いて孤独を膨張させる。

探した。館の中には気配は感じなくて、外にただ足を進めて。

彼女はそこに立っていた。
最初っから一部であったかのように、それほどその光景は彼女にあってはまっていて、
連れて行かれる。

恐怖して。

だから名を呼んだ。

そこから、たわいのない話をして彼女が笑って心が収まっていくのを感じた。

お館様の素晴らしさを語りそろそろ寒くなってきたので帰ろうとして
彼女を見た。

月が照らして、
いつも見たく綺麗じゃない歪でありのままの。
温かさとか優しさとかそういうものを超えて愛おしかった。

顔に熱が上がるのを感じた。
そう思ってしまったことに恥ずかしいと、


ちらりと見た彼女はいつもどおりでそれが寂しくて
なぜだか彼女が儚く思えて、いつの間にか手を握っていた。

なぜそうしたのか。まったく理解できないまま。
館まで帰っていた。


「旦那。何顔赤くしてんの?」

「さ、佐助。盗み見など、卑怯だぞ」

「・・・・・・報告しろっていったのは旦那でしょ」

「う、うむ早いな」

「そう?結構経ったと思ったんだけど」

「それで、どうなのだ」

「その前にさ。なんで知りたがるのさ」

「なんでとは」

「とぼけないでよ。旦那は忍び一人どうなったって気にしないでしょ」

「よく役立ってくれていたから」

「それなら代わりはいる」

「代わりなどいない」

「いるよ。ちゃんにたくしたんだよ」

「どういうことだ」

は全ての旦那と大将の命令をちゃんに譲ったってこと」

「帰ってきたらに代わるんだろう?」

「違うよ。帰ってきても彼女はもうじゃない」

「・・・・・・・・・」

「旦那。は、降りたよ」

「忍びをやめたということか」

「旦那たちを守ることを辞めて伝達、暗殺の一要員なった」

「そうか」



手は暖かった。握り締めていたから当然だ。
でも、あの日の温もりは消えていた。

もう、二度と手に入らないそう思うと、体の芯の何かが急速に冷えていくのを感じていた。



2007.12.2