すぃっと吸い込むと塩の香りがした。
私の後ろには「鬼姫」と慕いついてきた彼らがいる。
みんな戦には慣れているのに、どことなく張り詰めた空気を感じる。
壇ノ浦の戦い。これが最後だと分かっていた。
平家と源氏の長い戦いが終わる。
顔つきや目が鋭く、みな沈黙を守っていた。
私は、負けるつもりはなかった。
この戦の先に何があるか。
前の世界か、今の世界かそれは分からない。
でも、負けない。
風に波が揺れて、私の髪も見れた。
半分しか見えない視界。胸元にあるルシの遺品の赤いお守りと、
眼帯をぐっと押さ、目を閉じた。
記憶は最初どこから消えていくのだろう。
私の目の奥には、あの日のルシが笑って、
私に、馬鹿者と、罵ってくる。
大丈夫。
声も姿形も色褪せることなく私の記憶にまだルシはいる。
波が静まったのを頃合いに目を開く。
「みな、生きろ。誰が死んでも、関係はない。
お前たちはみなそれぞれ生きる権利がある。
それは、天皇でも止められない。ただ生きろ」
それが始りで、私たちは声をあらげ、戦火の中へ入っていった。
ひゅんひゅんと飛んでくる弓を避けながら、舟の上の戦いを楽しむ。
誰かが、「鬼姫」「逃げろ」「鬼兵隊だ」と喚く。
「鬼が怖かったら、さっさと逃げな。十秒はまってあげる」
そう笑う余裕があった。
私たち平家が源氏を圧倒していた。
あちらの降伏もそろそろだろうと言う時だった、
私は声を聞いたのだ。
「ああ・・・いい天気だ・・・こんな日に死ぬのも・・・悪くない・・・」
聞き覚えのある声。聞きたかった声が重なる。
ねぇ、ルシ。
あの馬鹿、同じこと言いやがったよ。
ルシが死んだあとに、全員殺したんだけどね、
あの女は狂ってる。
いい天気だから死ぬのも悪くないなんて、目が見えないくせに。
だって。
あはは。笑っちゃうよ。ここまで一緒なんて、
かっと頭に血がのぼって、グラグラしてるのに、体は芯まで冷えてる。
「姫?」
「あとは、よろしく頼む」
私は、舟の上から、舟の上に乗り降りて、その場所へ急ぐ。
なによりも誰よりも早くあれと自分を急かして、
たどり着いた先には見知った顔がいたけれど、見えない。
ただ驚いた顔をしている奴の胸グラを掴む。
奴は、戦いに負けたようだけど、知らない。
「何勝手に死のうとしている」
「お前は誰だ?」
総大将の源九郎義経の言葉に無視する。
彼を弁慶が守っていて、他の奴らが神子をかばい私を、威嚇する。
ヒノエが軽口を叩いた。
「おいおい、まじかよ。あんたは、違うとこにいたはずだ。なのに来るなんて」
「あれは誰だ?」
義経の疑問に、弁慶は険しい顔をして答える。
「平家の鬼姫ですよ」
「鬼姫だと?あの平家の最終兵器と言われている?」
ざわりと騒いだが、神子の一言で、シーンとなった。
「え、何言ってるの弁慶さん。あれは、さんでしょう?」
「空気が違うだろう」
「ううん、違くないよ。だ」
白龍の言葉に、私に視線が集まったが、私は目の前の奴を睨みつける。
「いえ、間違っていません。が鬼姫なのですよ」
周りが騒いで、何かきゃんきゃん私に言ってくるが、
「うるさい。黙れ」
と一括した。
ようやく静かになった舟の上で、戦場の声だけが聞こえた。
「いいか、よく聞け。この死にたがりのバカやろう。
お前が、私をこの場所へ連れてきたんだ。
勝手にだ。勝手に。それなのに、なに、勝手に死のうとしている?
許さない。誰が許しても、私が許さない」
「おまえは・・・これが、終われば、俺からいなくなるだろう?」
「だから、なんだ。いたら、生きるのか?
子供のわがままなんぞ嫌いだ。
私のせいにして死のうなんて
死にたがりのお前なんて大嫌いだ」
ぽたぽたと知盛の頬に、水滴が溢れる。
私は、久しぶりに、自分の為に泣いていた。悔しくて泣いていた。
「なんでだよ。お前は生きていきていけるだろう。
天気で死ぬとか馬鹿じゃないか。なに格好つけてんだ。
雨でも雪でも、暑い夏の日でも、死ぬ日を勝手に決めるな。
お前は生きていいんだ。生きるんだ。
つまらないなら、楽しくさせてやるよ。
アホみたいに笑って、馬鹿みたいに踊り転げろよ」
ガツっと知盛の額に額をつけた。
目を見開いている紫色の瞳が、揺れていた。
「いいか、知盛。お前は私を生かした。
あそこで殺さなかったのが運のつきだ。
だって、あそこでお前の人生は決まった。
お前は、せいぜい生きあがくしかないんだって。
死にたくないって思えるまで、無理矢理生かさせてやる」
「・・・・・・お前は俺を生かすのか」
「殺してでも、生かしてやる」
そうやって歯を見せて笑ったら、
「なんだそれは」
知盛も笑った。
いつのまにか知盛に馬乗りになっていたようだ。
降りようとしたら、俺はこのままでも構わないとか言ってきた。
エロだ。エロと、眉間に皺を寄せたが、私の態度はどうでもいいらしい。
「生かしておくなら、こういうこともアリだろう?」
「いや、そこまでは付き合うと言っていない」
あ、あの。とそろりと手をあげた少女が私たちを見ている。
後ろで、義経が破廉恥だと叫んでいたが、あいつはむっつりだ。絶対。
ようやく知盛から離され、私は神子と向きあう。
「さんは、私の敵?」
いい目だ。戦いを知っている目。それなのに平和を望み、必死に足掻く目。
嫌いじゃない。
「・・・・・私の主はこの馬鹿。平家じゃない。
こいつが生きれるなら、戦う必要はない。
私だって無意味な殺生は好きじゃないし、
それに私が鬼姫であっても、あなたには、関係ない。
あなたは、神子であっても、完璧に源氏の味方ではないのだから。
でも、こいつに危害を加えるつもりならば、私は戦うしかないみたい?」
と槍を構える。すると、神子の前に、すっと構える
ヒノエに、有川 譲に、梶原景時、源九郎義経。
「私に敵うかな?伊達に鬼姫って呼ばれてないからね」
ぺろりと舌で唇を舐めれば、弁慶がみんなよりも前に出た。
「待ってください。
あなたは平知盛に手出ししなければ、私たちに手出ししないと?」
「なんだよ。弁慶。弱腰だな」
ヒノエがからかうが、弁慶は答えず、私の目だけを見た。
「・・・・・・私はあなたと戦いたくない」雨の日、彼はそういった。
策士としての彼と、薬師でみんなに笑顔をみせていた弁慶
どちらも弁慶で、じぃっと見ていれば、後ろからくいっと引かれる感触があった。
知盛が私の服を引っ張っている。
飽きた。早くしろということなのか。それとも、見つめ合うなということなのだろうか。
独占欲が強いが、今ここでそれを発揮してはいないだろう。
前者ということで、私は口を開いた。
「約束しよう。こいつさえいればいいし、どっちが天下とろうと関係ない」
そう言い放ち私は構えをといた。その姿に、彼らも構えをといて、ほっとした。
だけれど、一人だけ、構えて、信じられないという顔で睨んできた。
「・・・・・・お前は、平家に恩を感じないのか?」
茶色の長い髪。お坊ちゃん。あんた綺麗なものしか見てないだろう。
と茶化す気持ちもあったけど、戦火の匂いがそれを許さない。
ゆらゆらと船の上に揺れる揚羽蝶と竜胆。
「おかしなことを言うね。源九郎義経。
私が恩を感じていた彼らは死んだよ。あそこにいるのは、幻想にすぎない。
だから、余計虚しいんだ」
2011・3・22