雨が、しとしとと降っている。
雨が、嫌いか好きかと言われれば微妙だ。
前の世界では、
交通の便だったり、自分の都合だったりで、損得勘定で割り切っていた。

いきなり降ってきた雨に、古びた建物の軒下で雨宿りをしていた。
雨の音が、トテ、チテ、カン。
懐かしい音だ。
昔、あの子と一緒に逃げていたときの家はとてもぼろかったから、
よく雨の時に、あの子が、雨音と一緒に歌を歌ってた。
この世界は、自然を愛しているから、焦ることなんてしない。
いつもよりもゆっくりと時間が流れて、澄んだ声が響いていた。
だから、私は雨の時間が好きで。
あの子を思い出すから。
だから、私は雨の時間が嫌いで。
あの子を思い出すから。
ちょっとだけしか濡れない体は、寒くはない。
ぼぅと揺らめく黒い影が、遠くに見えた。

「こんにちわ」

挨拶を言った影は、男で知人の姿をし、
人なんて裏切らなそうな、人なんて騙さなそうな、
優しく温和な笑顔をたたえて私に近づく。
それは、初めてこいつに出会った時と似ていた。
おかしいな。クツリと笑みが出れば。
むこうもそう思ったのだろう。口元の笑みが深くなった。

「酷い顔してますね」

同じ軒下に、弁慶と私はいた。
私たちの間には、ちょうど半分の人が入れる間が空いている。
弁慶に言われた言葉に、はっと嘲笑。

「そういう、弁慶は酷い怪我をしている」

黒い服で血がごまかせると思ったのか?
雨だから匂いを消せると思ったのか?
馬鹿だな。
お前の髪の色はリズに似た金色のような茶色。
赤色は凄く目立つ。髪についた血ぐらい落とせば、
私だってすぐには気づかなかったのに。
いいや、私に近づかなかったら、良かったんだ。
おまえも、リズも。

「・・・あなたに言われたくないですよ」

「いいや。私よりも酷い怪我だ」

弁慶の言葉に含まれた真意に、私は気づいた。
私は今、怪我をしていない。
弁慶が言っているのは、私の体にある戦歴をかたり、女のものではない怪我のことだ。
しかし、それを知りながら、毒を返す。
お前だって、私と同じような人生を歩いているのだろう?と。
人なんて裏切らない、人なんて騙さなそうなの逆がお前の本性だろう?と。
思ったとおり、弁慶も気づいたけど、素知らぬ顔をしている。
二人の距離は、半人分。近いはずなのに、遠い。
その距離感が、今は酷く心地良かった。

「知っていますか」

「何を」

「普通の場所の雨水よりも、熊野の雨水はしょっぱいんですよ。
熊野の海水が蒸発して、降ってきているから」

軒下から手を出して降っている雨を手のひらにのせて、
なめてみせる弁慶。
おちゃめに笑う弁慶に、私は、胡散臭そうな顔を隠そうとしない。

「嘘です」

「だろうね。下手な嘘」

雨が場所で変わるなんて聞いたことないよ。
なんでそんな意味のないことを言うのか。私は気づいていた。
気づいてなお、素知らぬ振りをする。
なるほど、私は成長して、弁慶のようになったんだ。
それがいいことか悪いことか分からないけど、
雨がつくった水たまりが、繋がって大きくなっていく。
何時までもここにいなければいらないような錯覚を覚えた時だった。

「なぜ、今頃、私たちの前に、現れたのですか」

「意味がよく分からないな」

弁慶は私のほうを向いた。
私は、水たまりを見続けた。

「はぐらかさないでください。あなたが、鬼を探していることは知っています。
リズ先生が、こちらにいることで、あなたの目的があるように見える。
しかし、あなたは、リズ先生を知っていたでしょう?
私たちに出会う前から、なのに、なぜ、今頃、現れたのですか?」

弁慶から笑みが消えた。
私はまだ水たまりを見ていた。
水たまりは、とうとう丸の大きさを保てなくなり、
広く薄く地面の形に伸びていく。

「違うだろう。弁慶。なぜ、平家側で生きているのかだろう?」

「やっぱり、気づいてましたか」

「あんだけ開けっぴらに、平家、源氏だって示しあってるのに、
気づかない方が、びっくりだ。
大将に、家紋は隠したほうがいいって、言っておいてよ。
それと、名前も馬鹿正直に答えない。
聞いたら、源九郎義経って言ったよ。
あれには、驚きを通り越して、なんだか感動した。
こんな人が大将かって。
あれじゃ、いつでも襲ってくださいって言ってるもんだよ」

「・・・・・・あの馬鹿が」

弁慶の黒い笑みに笑ってから。

「で、私の方の名前だって知っているんでしょう?
破戒僧の策略家さん?」

「嫌な名前付けないでくださいよ。「鬼姫」」

私は、ようやく弁慶のほうをみる。
彼の顔は、まさしく源氏の策略家。
そして、彼の瞳にうつる私も平家の「鬼姫」。
完全な敵同士。

「いい顔してる。さすが、名策士家。私の過去もちゃんと調べたんだろう?」

ククっと我が主のと同じ笑い方をすれば、
弁慶の顔がぐにゃりと歪んだ。
・・・・・・なに、その顔。
一瞬、呆け。罠?と疑った私は悪くない。
しかし、罠だと思うには、彼の演技は下手すぎた。

「っもう、いいじゃないですか。もうやめましょうよ。
こんなになるまで戦っても、あなたに、理由なんてないじゃないですか。
唯一なんてとっくに、失ってるじゃないですか。
平家に殺されて、なんで恨まないで、そばにいることができるのですか?
寝首をかくなら、平家がバラバラになったときにできたはずなのに、
しようとしなかった。逃げるときはいくらでもあった。
なのに・・・・・・。ここが、最後の選択時です。
あなたは、逃げれる。この戦いから。
平家なんて、源氏なんて、なんの関係ない場所で、普通に生きれる。
そんなに傷ついて、なんになるっていうんですか。
なぜ、戦うのですか?あなたは、ただの女の子でいいじゃないですか!
・・・・・・私はあなたと戦いたくない」

息荒げにいった彼の姿を、彼の瞳の色をじぃっと見つめていた。
私が神子に対する嫉妬。前の世界から帰りたい欲求。
今の世界で生きたい欲望。恨み、つらみ、妬み、諦め。
あの子への感情。知盛への感情。将臣への感情。リズへの感情。弁慶への感情。
ごちゃごちゃしたもの全部が全部、崩れていく。

沈黙は長かっただろうか。

「それ、ずっと不思議だったんだ。唯一は形を失ってしまった。
平家にいる理由は、神子がいれば、もはやない。
だって、唯一に似たあの人は、あの子がいれば、私はいらない。
重ねて思い出に浸っているだけの私は、必要ない。
あの子なら、あの人すべてを受け入れる。
それに、普通ってかなり魅力的。憧れる。すっごくね。
前も、今も、ずっとずっと手にいれたかった。
痛いのは嫌。死ぬのは、もっと嫌。
だけど、だけどさ。弁慶にも言えるでしょう。
大義名分の前に、あの馬鹿を助けなきゃっていう奴。
いらないってちゃんと言われるまで、いてやろうって奴。
理屈じゃないんだよね。
うん、そうだ。私、色々ごちゃごちゃ考えすぎてた。
ルシを助けれなかった罪悪感とかで助けてるだけとか。
そんなの、関係ない。
最初から、単純に、私が、あの馬鹿を、助けたいだけなんだ」

「・・・・・・そんなにあの男は、魅力的ですか?」

「いや、弁慶ほどじゃないよ」

フフと笑う私に、どこかつらそうな顔してる弁慶。
雨はまだやまない。
だけど、私はそのまま軒下からでて、

「私を止めたければ、今ここで、殺しなよ。弁慶」

そういって、私は笑った。不敵な笑み?無垢な笑み?
そのどっちでもあって、どっちでもない笑みで、
バシャバシャと足を走らせ、
あのどうしようもない馬鹿のもとへ、ようやく帰る決心がついた。







その後。がいなくなったあと、ポツリポツリと雨が上がってきた。
弁慶はまだ軒下にいた。
ここからが出る時、あと少しで届いたはずの手を見ていれば、
姿はないのに誰かの声が聞こえる。

「放っておいて、いいのですか?」

男の声に弁慶は苦笑した。
どこまでも自分は策士家であれたはずなのに、
が、自分の案を否定すれば、殺すつもりだったのに。
は、「鬼姫」で源氏に打撃を与える人物だ。
今、ここで討てば、相手の気力戦力ともにそぐことができた。
それなのに。

「皮をはげば、僕も男だったってことですかね」

「は?」

「戯言ですよ。彼女はあなた方に気づいていたでしょう。
だから、あそこで殺せって言ったんですよ。そんな相手に敵うわけもない。
だから、良かったんです」

そう、良かった。

雨がやんで、ようやく弁慶はそこからでた。

「戦いたくない。それは本音です。だから、僕が殺せるわけないでしょうに」

空には、虹がかかっている。
次会うときは、敵同士だと、思いながらも、
最後にみせたの笑みを思い返して、弁慶は笑った。









2010・07・18