世界が三回、回転した。
地球は回っているそれは知識と知っているけど、本当に回っているかなんて、
一緒に回っている僕らには到底分かりえないことだ。
つまり、僕が世界が回転したかどうかなんて分かりえない。
だったら、どういう意味か。
僕は、僕の膝の上ですやすや眠る愛しい人の前髪を優しく撫でた。

あの日。
久しぶりに授業に出た彼女は、案の定、すぐに保健室に戻ってきた。
ふらり、とつたない足取りと、あまりよくない顔色で、彼女はすぐに寝入ってしまった。
昼ごろになれば、起きるけれど、前よりも寝れるようになった彼女は、
体が限界を叫んでいて、よく放課後まで眠らされることも稀にあった。
彼女が寝ているときは、もっと静かな保健室。
僕は、彼女の寝ているベットの近くに椅子を置いて、彼女の顔をマジマジと見ている。
中学二年生という彼女は、若くて幼い。
回復は、してきたけれど、彼女の頬はまだこけているし、目の下の隈は酷いし、
彼女の担任であるみのり先生からは、心配されていた。

”前は、可愛かったのに、酷い状態。”

周りからは、そう見えるのか。
僕には、どんな彼女も愛しい存在にしか見えない。
いや、むしろ、僕には都合がいい。
彼女の体調が、前よりも悪いから、僕がずっと彼女の傍にいても、
教師からも誰からも何も言われないし、何も疑われない。
だけど、抱きしめたとき、すぐに痛いと言ってしまう体は不便だから、
笑うこともきついと言う彼女は自分が惨めだと思っているから、
傍にいれれる理由が出来たなんて僕の勝手な思いより、
彼女が回復する姿に、嬉しいと思う。
やっぱり、好きな人は、喜んでいるのが一番じゃないか。
ああ、でも。彼女が、違う男のために、喜んでいるのは、嫌だけどね。
けど、もうそうろそろだ。
もうそろそろ彼女は、藤くんを忘れる。
口からは欲望の笑みが出たけど、彼女は寝ていた。
こういうふうに彼女を、観察するのも楽しいけど、やっぱり起きている時が一番だ。
はやく起きてくれないかな。
それから、僕は昼ごはんも食べずに、ゴリゴリとお茶を作ったり、
仕事したり、見ていたりを、繰り返していた。
それを何度繰り返しただろう、ベットからうっと小さなうめき声が聞こえた。

さん。起きた?」

彼女は、ぼーっと、どこも見ていない眼で、コクンと頷く。

「今、放課後だよ。分かる?」

コクンとまた頷いた彼女は、
「カバン」と言って、そのままベット降り、靴を履き、扉に向かう。
うん。ここまで動いて、喋ってるけど、彼女はきっと。
僕は、彼女を捕まえて、こちらを振り向いたときに、

パァァァァァン

彼女の顔の上で、両手を叩いて大きな音を出せば

「何してるんですか?ハデス先生」

「おはよう。といっても放課後だけどね」

「・・・・・・放課後?そんなに私寝てました?うっわぁ、あ、もうこんな時間。
もう部活の子しかいませんよ」

そう、お分かりのように、彼女・ は、とても寝ぐせが悪い。
昔、それを知らなくて、決死の告白をしてみたときなんて、
次の日、まったく音沙汰ないし、知らないふりするしで。
あ、切なくなってきた。
あの時は、死のうかなと思うくらい悲しかったんだけど、こんな理由だったらしい。
ちなみに、本人に自覚はまだない。

「わわ、私ったらカバン教室に、おいてきちゃった。すぐ、とってきますから」

そういって、僕の顔を伺う。
その必死さに、ふっと笑いがこみあげて、

「大丈夫。待ってるから、行っておいで」

そういえば、安心して保健室から出て行った。
彼女が出て行ったあとに、ヒラヒラ振っていた、手をおろす。
そろそろ、体の弱い彼女を送る保健室の先生って建前を卒業したい。
ほんとうにそろそろなんだけど、決定打がないんだ。
はぁ、とため息を吐いていたら、

「先生」

と、僕を呼ぶ声が聞こえた。
後ろを振り向けば、彼がいた。
夕日の逆光に照らされて、はっきりと顔は見えないけど、苦笑した顔が浮かぶ。

「すぐ、彼女のもとへ行ってあげてください」

「え?」

「これがチャンスって奴です」

なんで彼がそんなことを言ってくれるのか分からなかったけれど、
僕の中の野性の勘って奴が、僕を動かした。
走って走って、彼女の教室に向かえば。
彼女は泣いていた。
驚いた顔のまま、そのままで。
何がそこにあるのか大体は理解できた。
見てみれば案の定。
彼女の姿に、そろそろと思いながらも、僕は藤くんに、
永遠に敵わないんじゃないかって思っていたとき、彼女が闇に飲まれた。
思ったよりも早くて、ぐるりと彼女の体を食べてしまった。
急いで、彼女に手を伸ばすが、闇はもう彼女の体を取り込んでいたし、
彼女は、彼女の形をしていなくて、

嗚呼。こんなことなら、さっさと食べとくんだった。

僕は彼女の病魔を知っていたのに、いや、知っていたからこそ、
なお食べることが出来なかった。
だって、食べてしまえば、皆、彼女を、放っておかない。
そうすれば、僕はもっと彼女と遠くになってしまう。
それが嫌だった。
だけど、彼女が彼女でなくなるぐらいなら、
彼女がこの世界にいなくなってしまうなら、僕がどんな思いをしても良かったのに。
真っ黒クロスケな物体が僕の目の前にいる。
もう、どうしようもない。絶望を感じ、伸ばした手を戻そうとしたとき。

”助けて、ハデス先生”

彼女の小さな声が聞こえた。
確かに、そう聞こえた。
そして、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、闇が戻って彼女の姿が見えた。
僕はその隙をのがさず、手を彼女に伸ばして、闇を払った。
それから、僕は、彼女の目を隠して、藤くんから遠ざけて、
僕らだけの空間に逃げこんで、彼女は呟いた。

「先生は、なんでそこまで私なんか・・・私に、そこまでしてくれるんですか?」

それは、期待してもいいのかな?
ドキドキと心臓が高鳴った。
一回目の告白は、完全に寝ぼけていて届きもしなかった。
いいや、あの時届いていても彼女は僕を拒否しただろう。
むしろ、良かったんだ。
恐る恐ると、徐々に踏み込んでくる彼女が愛しい。
そして、愛しいからなお、彼女の目の下が赤いことが、
それをしたのが、僕じゃないことが、僕以外の奴のことを思っていたことが悔しい。
ドキドキ、愛しい、悔しい。
それらが全部加わったときに、僕は、どこか吹っ切れて、彼女にキスをした。
柔らかい唇は、どこか甘くて、何度も触れたくなる。
僕の方を向くと、自然に上目遣いになった頬を赤く染めたさん、
いや、は、鼻血が出るほど可愛いくて、
ギリギリ残った理性を総動員していたのに、
彼女はぐいと僕の首襟を引っ張ると、自分から僕にキスをした。

二度目のキスは、許されたキス。
笑うのがきついと言っていた彼女がいま、僕に朗らかに笑った。
そして、僕の理性もプチンと切れた。








2010・7・23