僕はいつだって、傍観者にすぎない。
さんが泣いたって、藤くんがおかしくて、ハデス先生が笑っていても、
僕は、なにもできない手を握り締めるだけ。

明日葉と自分の名前を呼ぶ声は、いつも変わらない藤くんのもの。

「明日葉、俺の代わりにトイレ行ってきてよ」

代わっても、意味ないよ。と思いながら藤くんらしい怠け具合に苦笑すれば、
後ろからクスクスと笑い声がする。
振り返る藤くん。横顔見れば、嬉しそうな顔してる。
僕はその後ろに、肩よりも長い少し色素の薄い茶色の、
日焼けをしらない白い肌で、口元を微かにあげるだけの微笑を
想像していたのだけれど、

「麓介ってば、どんだけなのよ」

彼女は、違った。
肩よりも短い髪に、少し焦げた肌。健康体そのもので、
元気よく口を大きく開けて笑う。
一致していたのは、茶色の髪だと言うことぐらい、他は全然違う。
スカートだって短くないし、甘い匂いなんてつけていない。
決定的に違うのは、さんは、藤くんのことを、下の名前で呼んだことがなかった。
少なくとも、学校では。
藤くんは、彼女になんだよと言いながらも、微笑む。
僕をおいて、二人の世界になったのを、見計らって僕は教室をでた。

「しょうがねーよ。男ってのはそういうもんさ」

と、いつかの帰り道に、美作くんが言っていた。
それは、藤くんと藤垣さんが別れたあと、
二人で、夕日の中の一本道を帰っていたとき、
美作くんが持っているカバンが薄いこと、
美作くんを照らしているオレンジの色が美しいこと、
ギコギコと鳴る自転車が横を通ったこと、
皆一斉に、夕日が沈む方向へ歩いている姿ことが、
なんだか、切なくなったのを覚えている。
しょうがないと言った。確かにそのとおりだ。
彼らの間の問題であって、僕たちが手出し出来るものではない。
なのに。

僕は見てしまった。

それは、偶然だった。
美作くんと別れて、家路に帰れば、
夕日の沈まない方向へ、歩いているさんを見たのだ。
さんは、白い肌をそのままに、長い髪をなびかせて、
フンフンと僕の知らない鼻歌を口ずさみながら、歩いていた。
僕は、彼女が思っている以上にショックを受けていていないことに、安堵した。
これなら、藤くんとさんが友人になって、
前みたく出来るかなと浅はかな考えを持った。
僕は、さんもみんないるあの空間が好きだった。
だから、次の授業で、課題があることを思い出した僕は、
彼女がいつでも教室へ戻れるように、教えようとして、彼女を追いかけた。
それは、親切でもあり、好奇心でもあった。
僕の近くには、恋愛をして、成功して、それから失恋した人物はいない。
だから、失礼ながらも、失恋をした彼女が何を思っているのか、興味があったのだ。

けれど、失敗だった。

夕日はもう沈んでしまったのだろう。
意外に足が早くて、ようやく追いついた頃には、公園に彼女はいた。
公園の時計台のところにトンと背中をつけた彼女は、
鼻歌ではなく、歌を歌った。
綺麗な歌声は、儚くて、闇に飲まれてしまう。
そのとき、僕は本当に彼女が闇に飲まれる姿をみた。
徐々に侵食する闇に、あっと声を出して、駆け寄ろうとすると。

「こんなところにいた」

「・・・・・・ハデス先生」

「駄目だよ。こんな暗い夜に一人っきりは、危ないよ」

そういって、走ってきたのだろうか。
息が荒い先生が、さんの腕を掴む。
失礼だろうが、僕にはハデス先生のほうが危なくてホラーに見える。
それから、なんでか、僕は、ここにいちゃいけないような気がして、
二人の見えない場所へと隠れた。
さんは掴まれた腕など気にしないで、ハデス先生のことなど見えていない目で、
時計をみる。

「ここ、最初だったの」

「うん」

「最初のデートの場所、ドキドキして前の日寝れなくて。
そのまま一晩経っちゃって、私、すっごく前に来ちゃって。
でも、それ以上前の時間に藤くんがいた。
そわそわしている姿って初めてみたから、
もっと堂々と遅刻して、悪いとか言うものだと思っていたから、
一緒なのが安心できた」

「うん」

「落ち着こうとして飲んだものは、オレンジジュースで、タブが開かなくて、
開けてくれた。藤くんは、炭酸で、開けたらじゅわって、それに凄い慌ててた」

「うん」

さんは、クスクスと思い出を笑ってから、また同じ曲を歌った。

「この曲、二人で聞いた曲で、一番好きな曲。
藤くんは歌詞をでたらめによく歌ってたから、本当の歌詞忘れちゃった」

忘れちゃったの。と歌をやめて、さんは表情を消した。

「・・・先生。私、どうしたらいいのかな。
忘れちゃいたいのに、忘れたくないなんて、どうすればいいの」

さん」

「助けて、先生」

彼女の瞳から涙がポロリと溢れた。

「大丈夫。僕ならずっと一緒にいる、だから」

だからの後はなんだったのか、遠くにいる僕からは聞こえなかった。
ただ、そういって抱きしめられても、さんの瞳から涙は溢れたまま。
あの歌を口ずさんでいた。僕は、その場からそっと離れ、
そのまま走って、走って、急いで玄関の扉を開けた。

「あら、郁。ご飯で来てるよ」

「いらない!」

そういって、階段を登って、自分のベットの上にダイブした。
僕の頭のなかに、さっきの映像がリピートされる。
大声で喚いて、妹のように幼く泣いてくれれば良かった。
無表情のまま夢の世界に浸かったまま、声一つあげずに泣く彼女の姿は、
切なくて、儚くてじわりと僕まで泣きたくなった。

なにが、しょうがないだ。
なにが、もう大丈夫だ。
なにが、友達にだ。

全部全部、酷過ぎる。何もかも、おかしい。
そして一番は、平気なんだと、どんな気分なんだと善意に隠れた好奇心を
もっていた僕を、ぶん殴ってやりたい。
涙が溢れる。
だけど、僕はやっぱり声なんて隠せなくて、嗚咽が部屋に響く。

「助けて」
そういった彼女を、助けることは出来ない。
闇に侵食する彼女を、僕は助けることなど出来ない。
ヒーローにも、王子様にもなれない僕は、旅人Aにして、通行人の傍観者。
僕が出来たのは、疑うことと、藤くんの隣で笑う彼女に嫌悪感を抱くことだけ。

保健室を開ければ、さんとハデス先生を見た。
カーテンから扉は丁度、見えないらしくて、
二人は僕が入ってことすら気づかずに、
ハデス先生が優しくさんの頬を撫でていた。
さんは、先生の払うこともせずに、受け入れている。
彼女の頬は、前よりも青白くないし、やつれているものの元に戻ってきている。
そうしたのは、今、さんへ生徒以上の、愛しい物をみるような熱い
視線と壊れ物を扱うような手つきで、ハデス先生にすぎない。
二人の行為は禁忌に近いものだ。
だけど、僕は許されると思っている。
いいや、最初からこうなるべきだったのだ。

最初からハデス先生がさんに抱いていた気持ちを知っていた。
あのメンバーで美作くん以外みんな、なんとなく、気づいていた。
一番初めにきた子だからという建前で、愛しいって気持ちを誤魔化せるはずはない。
僕が完全だと思ったのは、藤くんとさんが付き合うといった時からの
先生のおかしさ具合だけど。いつもボーってして、さんをみる顔をずっと
つらそうな顔してる。それなら、僕は今の方が断然マシだと思う。
でも、このことを、ハデス先生が好きな鏑木さんも気づいているはずだ。
そして、この状態を彼女が、邪魔しないのはどうしてなのか。
邪魔したら、邪魔しようと思って、毎日来ている僕も僕だけど。
傍観者だって、時にはちゃちゃ入れをしたくなる。
僕は、主役のさんの見せない舞台裏を、間近で見てしまったから、
なにがなんでも、彼らを僕は応援するのだ。

だから、僕は、さんの名前を呼ぶのを、自然にするのはどうすればいいのか、
相談しに来た次の日に、好きな人が出来たといった藤くんのおかしな点も、
藤くんの彼女の誰かさんから時々黒いものが見えることも、
それが、藤くんを纏っているのも、見ないふりをしよう。
だって、僕はいつだって、傍観者だから。











2010・07・13