触りたかった。触れたかった。
その感情は、徐々に募っていって、生徒に感じる感情を、
超えていくことを感じだけれど、まだ隠しきれた。
そう、彼女が藤くんと付き合うまでは。
ジリジリと焦がれているのは、太陽じゃない。僕の心。
ガラリと保健室の開く音が聞こえた。
最初は、幻聴かも知れないと思った。
なんせ一週間も誰も来ないのだ。怪我をしないことは喜ばしいけれど、
寂しくて、僕は扉が開く幻聴を何回か聞いていたから、
またかと思いつつ扉を見れば、そこには、
日焼けをしらない白い肌をもった少女がいて、初めてのお客さんに、
僕は、すぐさま向かいでた。
最初のお客さんに嬉しくて、抱きつこうとしたけれど、彼女の瞳をみてやめた。
彼女は、病魔におかされていた。
『自己嫌悪』
どうにかしなくてはという気持ちはあった。
だけれど、人生初めてのことがおきた。
自分の顔の評価を知っているそんな自分の顔に背くことなく、
恐れることなく、瞳を覗き込んできた少女のほうが、
病魔よりも興味深くて、病魔のことを忘れしまった。
思い出した頃には、彼女は僕に笑みを見せていた。
ほのかに笑う姿は、たんぽぽのようだった。
そんな彼女は、病魔のせいで、人を寄せ付けない。
自分に自信がないから、話しかけることもなかなかしない。
でも、僕のことは気に入ったらしい。
彼女は、「自己嫌悪」の病魔のおかげとも言える、
他の人が自分を傷つけないかの恐れから出来た産物、
人をみる目を持っていた。
そんな彼女は、前の保健室の先生よりも、僕の方が好ましいと微笑んだ。
「ハデス先生は、私を見捨てないもの」
どこまで彼女が見えていたのか、きっと生徒としての発言だったのだろうけど、
それは真実だった。
だから僕は、彼女の病魔を思い出しても、
病魔を食べるために伸ばした手を、引っ込めた。
彼女の病魔は、自分自身で解決できるものだと、自分を誤魔化して。
ずっと、自分だけを見て、自分だけに微笑んで、自分だけに。
白い空間の中、二人の世界。
「消毒の匂いが染み込んじゃった」
「先生のお茶はとても美味しい」
「先生って、綺麗な目をしているよね」
「先生服全部この服ですか?」
「このお饅頭は、ちょっとない」
とか、一人じゃ分からなかったことが分かって、
白い世界は、彼女がいるだけで色づいた。
だけど、ある日世界が反転する。
僕の世界には、二人だけじゃないくなってしまった。
僕は嬉しかった。しかも彼らは僕が病魔と戦っている姿をみても、
僕を慕ってくれた。最初は怖がっていたけれど、今は頼りにされている。
ピンチなときは、名前だって呼ばれる。
嬉しかった。嬉しかったけれど、
「へーって、変わってるんな」
「そうかな?藤くんがおかしんだよ」
と、二つのベットから話し声が聞こえる。
彼女は、病弱で弱いから、藤くんはサボらないと死んじゃうから、
二人の接点はベットの上。
なんだか面白くなくて、次の日にベットをちょっと離した。
だけど、話し声が止まることはなかった。
最初は、警戒していた彼女だけど、
彼らが保健室に来る数が、多くて、そのうち慣れたらしい。
彼女は、僕だけじゃなくなって、みんなに笑うようになった。
そのうち、ずっと保健室にいた彼女が、どんどん教室へ行ってしまって、
僕は一人ポツンと彼女の好きなお茶を煎じる。
昼休みに来て、いつも僕の横に座る彼女との間に、藤くんが入って。
嗚呼。
「さん」
名前を呼べば、こちらを向いて彼女の目が僕を写す前に、
藤くんが彼女の口に、エビフライを突っ込んだ。
「これ、やる」
「うぐぅ!!」
喉を詰めらした彼女は、僕の煎じたお茶を一気飲みして、
「殺すつもり?藤くん!」
「まさか、あれくらいで死なない」
「死にそうだった」
嗚呼。
彼女は僕じゃなくて藤くんのほうへ向いてしまった。
食べているときも、ちょっとむくれている藤くんに、
苦笑している明日葉くん。嫌そうな顔をしている美作くん。
藤くんの好意はとても分かりやすくシンプルだ。
「なんで、名前呼ばせてるんだよ」
「ん?何か言った?」
「別に」
ふいと彼女から顔をそらす藤くんに、何も分かっていない彼女。
嗚呼。嗚呼。
だからって、藤くん。
僕を睨んでも、どうしようもないよ。
僕は先生だから、どうしようもないよ。
彼女が、僕と少しでも近かったら、良かったのに。
睨まないでよ、なんてお門違い。僕だって君を睨みたい。
それから、彼女からの告白。
「先生。私、藤くんと付き合うことになったの」
先生に、一番最初に言いたかったの、なんて可愛いことを言うのに、
言葉は残酷で、僕の胸に突き刺さる。
嗚呼。嗚呼。嗚呼。
僕は何をしているんだろう。
彼女が藤くんと付き合って、僕から離れて、藤くんといることが当たり前の姿に、
認めなくてはいけなくなった。
先生である僕は、生徒である彼女を、好きだった。
いいや、まだ過去にはならないで現在進行形。
きっと、最初から一目惚れだった。
ダブーだからなんて、そんなこと気にしなければ良かった。
そばにいれば、そばにいるほど、もっといて欲しい。
全ての感情を僕に頂戴よ。ねぇ!
だけど、もう遅かった。
彼女が保健室にもっと来なくなって、昼休みに来るけれど、
藤くんはがっちりと彼女を掴んでいた。
ベットの上では、話し声が聞こえた。
ちらりと見れば、二人、頬を赤く染めて、初々しい姿。
嗚呼。
忘れなくちゃいけないんだ。
彼女は幸せなのだから。彼女は笑っているのだから、
彼女の病魔は徐々にいなくなっているのだから。
喜ばしいことだ。
それに、僕は最初から、恋とか愛とか無縁な場所に住んでいるのだから。
そんな言い訳をいいながら、
彼女の体がもっと弱って、保健室に来ることを祈る。
保健室の先生失格だ。人としても失格だ。
でも、時とはすごいね。
空っぽな胸に、チリが積もって、上辺だけが塞がって、
徐々に彼らが一緒にいることを、見ることが平気になってきた。
それなのに。
あの日。彼女が僕に、告白した日と同じような日に
彼女から聞いた告白。
僕は、歓喜した。
彼女の病魔が大きくなって、
彼女を飲み込もうとしても、泣いて、泣いて、徐々に、痩せても、
彼女の傍から一人一人いなくなっても、僕は彼女の病魔を食べなかった。
だって、僕は側にいる。僕が守る。
それは、彼女から選択肢を消していく行為だって分かっている。
卑怯な行為だって分かってる。
だけど、今、彼女の瞳には、僕しか映らない。
僕の手を振り払わずに、彼女は泣いてる。
嗚呼。でも足りない。まだ駄目だ。
ぼうっとしている君に、飴と鞭を与える。
藤くんは、違う子と付き合いだしてから、
授業中に、保健室には来ない。昼だって此処に来ない。
あの子と、一緒に授業受けたいみたいだよ。って言ったら、
君は俯いて、唇をかみしめた。
そんな君に、僕はここにいるからねって優しく髪を撫でる。
唇から出てくる言葉は、まだ僕の名前じゃない。
嗚呼。嗚呼。
藤くんがもう君のものじゃないことを早く認めて、早く忘れて、
僕の手を掴めばいいのに。
君からしては、終わっても、僕からしてみれば、戻ったんだ。
君と僕だけの楽園に。
だから、僕は、もう二度と迷わない。
だから、藤くんから微かに香る病魔の匂いは見て見ぬふり。
2010・07・08