「ねー早くして、それ私欲しいの」

聞こえた声は、無機質で冷たいものとかけ離れて、
幼い、真っ直ぐで、真っ白な初めて少女が恋をしているような声だった。
目の前に広がる永遠の闇に、私は声を出すことが出来なかった。



病魔の気配が強くなったことを感じた僕は保健室を飛び出した。
走って元を探れば、嫌な予感しかしない。
その途中にどんどんと扉を叩く音と声が聞こえる。
急いでいた僕は、それを無視しようとしたけれど、聞き覚えのある声に、
扉を開けた。

「ハデス先生。みんなが僕らを閉じ込めて」
「早く行くぞ、あれはおかしい」
「病魔だとして、狙いは」

明日葉くんと美作くんと本好くんが一斉に喋り始める。
白衣を引っ張るみんなに驚いたものの。

ちゃんが」

たった一人の名前で、僕は、足を動かした。





?」

俺の目の前に、真っ黒な球体が一つできている
膝は地面をついていて、その物体に触れば、硬くて、ぺたりと音がした。

!!」

俺は、狂ったようにそれを叩く。びくともしない。
それでも握りこぶしを打ち続けた。
なんで俺は助けようとしているんだろう。
好きでもない女を、嫌いな女を。
そう思う俺よりももっと奥底にいる俺が叩くことを止めない。


「麓介?何をしているの?」

俺の手をそっと握る。
梨華の声だ。聞けば安心して、胸が温かくなって、
好きだと思うのに、怖くて、顔が見ることができない。

「怪我しちゃうよ?ふふふ。ねぇ、見て。
私欲しかったもの、ようやく手に入ったの。嬉しい」

何を。振り返った俺は見てしまった。
見なければ良かった。
後悔する。

「これが欲しかったの」

梨華の目は微妙に色彩を変えていた。
それだけで分かるはずないのに、俺はそれが誰の目か分かった。

パチンと弾けるような音と共に、目がチカチカして、
俺のもやもやとしたチグハグでどこかおかしい世界が、
ようやく色を取り戻し正常に戻った。
俺は梨華の、手を払い、黒い塊に縋る。




俺、すっごい酷いこと言った。

嫌いなんて嘘で、大嫌いなんて嘘で、好きで好きでしょうがなかった。
困った顔も、ちょっと照れた顔も、少し世間ハズレな考えも全部愛おしかった。
下を向いているのが惜しくもあって、でも誰にも見られたくなかったから、
そのままでいいと思った。
といると色々なことに臆病になった。
名前を呼ぶだけで、こんなに勇気がいることなんだって。
でも、呼んだら、きっと照れて、笑ってくれるだろうなんて、
自分の都合のいい考えしかなくて、それを考える時間が幸せだった。
・・・ようやく呼べたのが今だなんて。
そばにいると、安心した。
俺の容姿が悪くないことは理解してるけど、
王子様なんてガラじゃない理想を押し付けてくるんじゃなくて、
ダメダメな俺自身を見てくれる。
の目が好きだった。見透かすようで、包みこむような目が。
でも、それを持った梨華に魅力を感じない。
むしろ、怒りしかわかない。
持っている人が違ければ、意味が無いんだな。



声が聞きたい。
俺の下手なしゃっちゃかめっちゃかな歌を、一緒に歌ってくれた。
小さくても、俺の耳にはどの声よりも大きく聞こえた。

と呟くたびに、思いが、どんどん泉のように溢れてくる。

それと相対して、自分のしでかしたことも思い出す。
友だちでいようって言った後のの顔は、
笑顔だったのに、傷ついていて、
それからずっと俺をみるたびに、顔を歪めていた。
幸せな時間は、自分で握りつぶしてしまった。

大嫌いだって言った。
酷く傷つけた。
それなのに、最後に、あいつ俺のことかばったんだ。
吸い込まれないように俺を突き飛ばして、



さっきから、俺の頬から流れているものが涙とようやく気づいた。

今までのは、全部嘘だよ。
、好きだ。大好きだ。


「くそぉ」


拳も声も思いも、もう彼女に、届かない。









2010・1・9