【ねぇ、お願いそれ頂戴。私、それが欲しいの】

言葉の音が、しゅるりと黒いもやになって広がった。
深く深く、じっくりとゆっくりと、広がっていった。


雨が、しとしとと降ってる。今日の体育は中止だろう。
走るのがあまり好きじゃない私としては、
体育館でみんなに色々な面白くて楽しいこと教えてもらえるから好き。
だけど、外で体育あれば、逸人さんが、ワゴン引いて特性のジュース
を作っていてくれるんだけど、さすがに体育館には入れないだろうって、
古典の授業中に思っていた。
先生の声は淡々としていて、雨の匂いと、音と混じり合って子守唄のよう。

「そうして、彼女は、嫉妬により死んでしまったのです。
女の嫉妬とはいつの時代も恐ろしいものですね。
誰かを羨望することは、自らを高めることが出来ます。
しかし、執着は違うのです。相手も自分も落ちていくのです」

そういって先生は、えー次に源氏はと話に戻っていった。
この話をちゃんと聞いていた人は何人いるだろうか。
美作くんが真面目に聞いていなかったのだけは分かる。
彼は大きないびきをかき、明日葉くんに起きるようにつつかれていたから。

「チャイムが鳴りましたね。今日の授業はここまで」

その声で、一斉にみんなが動き出す。
いつみても不思議な光景だ。
蜘蛛の子を散らすように、バッと、みな思い思いのところへいく。
さっきまでの静けさが嘘だったように、がやがやと騒ぎ、
さっきまでの姿が偽物だったかのように、彼等本来の顔を覗かせる。
私は一人ちょっぴり遅いテンポで、彼等を見ていたけれど、
ちゃん」
私の名前を誰かが呼んで、
一人ぼっちで、誰からも見られず、
存在さえいない幽霊のような昔の私がいなくなった。


この学校という小さい箱庭の中で、
もっと小さい教室で、私は、ついこないだ行った遊園地の話をした。

「すごかったね。ジェットコースターって、トロッコが、空をかけまわるんだね」

「トロッコ・・・いや。そうだね。間違ってはいない。
あー、そう。そう。
僕は、ちゃんがそういうの大丈夫で、鏑木さんがダメなのにびっくりしたというか」

明日葉くんは、私を名前で呼んだ。
遊園地にみんなで遊びに行ったときに、さんから、ちゃんに変えてもらった。
そんなちっちゃな変化が嬉しくてにやつく。

「わかってねーな。明日葉。ギャップも女の魅力の一つだろう?」

「だったら、料理もギャップが欲しかったね。みっちゃん。
あれは凄い物体だったよ。食材で化学反応を起こせるなんて鏑木さんって
体力だけじゃなくて、存在そのものが凄いよね」

と、美作くんが喋っている中、
にょっと二人の間に静かに話に加わった同じクラスメイトの本好 暦くん。
彼は、私と同じく病弱体質なんだけど、
男子からは貧弱と呼ばれることも、根暗と呼ばれることもない。
なんでだろう?とじっと見れば、
肩に付くか付かないかの黒髪をサラリとなびかせて
細身の体に、あまり表情が変わらない顔で淡々と語る。
学年一位の賢さが顔にも現れている。
そんな感想しか浮かばない自分の学力のなさが悲しい。
見すぎていたからだろうか、なに?と、その顔で、ぐりんと目をあわせて言われた。

「え、えーと、その本好くんって、美作くんが好きだねって」

その言葉を発する前に、明日葉くんがすごい顔でやめておけという顔をした。
周りで、その会話を聞いていただろうクラスメイトも、撤回しろという顔をしている。
え、え、なんか悪いこと行ったかな。だって、遊園地は当初、私と真哉ちゃんと
明日葉くんと美作くんと、逸人さんの4人だったんだけど、
当日一人増えていた。「みっちゃんが行くなら、僕も行くよ」の言葉。
最初のインパクトが強くて、つい出てしまった言葉だったのだけれど。
本好くんは私をじっとみる。
あ、なんで彼が周りからないがしろにされないか分かった。
彼の瞳は強い。何よりも一途。
理解できたことに、喜びを感じる前に、手を取られた。

「そう、みっちゃんは凄いんだ。君、女だけど、いい目しているね。
みっちゃんが如何に素晴らしく、如何に格好良く、如何に完璧か。
そんな彼を好きにならずに、誰を好きになれって言うんだ?
最初は、みっちゃんと勝手に出かけやがって、このカマトトが!!
と思ってたけど、撤回するよ。君は、なかなか見所がある。
それに、君は、みっちゃん狙いじゃないし。でも、ハデ」

一気にまくし立てるように語り始めた本好くんに頭が付いていかない。
ハデまで言われて、あ、多分逸人さんのことだと思うぐらいしか、
頭が機能していなかったけど、明日葉くんは本好くんと付き合いが長いのか、
つっこみ気質なのか、マシンガントークをわーわ言って止めて、本好くんの口を抑える。

「ちょ、ちょっと本好くん!!それは駄目だよ」

「あ、そうだね。ついみっちゃんへの愛が」

「ああ、本好。それは言っちゃいけないことだ」

「うん。ごめんね、みっちゃん」

明日葉くんと美作くんとの態度があからさまに違う。

「俺にじゃねーだろう?」

「あ、そうだね。ごめんね。さん。僕って時々暴走するんだ」

そういって謝る本好くんにきょっとんとする。

「え、でも、好きだから暴走するのはあたり前じゃないの?」

私は、いつでも暴走してるよ。逸人さんの私服がみたいって駄々こねて、
遊園地に着てくれた彼の私服は、いつものマイナス白衣だった。
みんな呆れてたのに、私の目だけが謝った認識をして、
まったく違う逸人さんに見えてた。
学校以外で会うことも多いけど、人が多い場所はそんなになくて。
モデル顔負けで、足が長くて、白い髪に、真っ黒な服があって、
周りの誰より格好いい。
遊園地行ったら、大人なお姉さんとか、可愛い女の子とかに
逆ナンされないだろうかとか、
そわそわして、どこか行かないように、裾をずっと持ってた。
他の服買ったらどうですか?って言葉に、
こ、これ以上は困る!!と言ってみんなから視線を集めて、
顔を真赤にした思い出がある。
曰く、恋は盲目。暴走機関車。
そんな私の思いが通じたのか分からないけど、本好くんは、
無表情からふっと口の端を軽く上げて笑った。

「君とは友達になれそうだ」

そういって差し出された手。私も笑って。

「うん、よろしくね」

そういって私たちは手を握りあった。
その後、私たちは凄く仲良くなる。
お互い病弱で、休むところが一緒のところもあるけれど、話があう。
彼の話はほとんどみっちゃんこと美作くんの話。
私の話はほとんどハデス先生こと逸人さんの話。
遊園地で私と逸人さんが恋人同士だってばれているし、
彼はみっちゃんが喋るなと言ったこと抜きにしても、
そういうことに興味がないらしく喋らない。
教室でいうときも、彼はどう?と
名前を伏せ、職業や年も勝手に捏造して、隠してくれている。
こんな話、明日葉くんにも美作くんにも話せない。
彼等は、昔を知っているから。
時々、藤くんと藤くんの彼女を睨んでいることを知っている。
そしてあの時、何もしなかった罪悪感からか、
彼等は、周りから私を守ってくれている。
感謝している。すっごく大切で頼れる友達。
だけど、昔藤くんを好きだった私は彼等の中に確実に存在して、
彼等に今を話すと、ちょっとだけ思い出すんだ。
こんな話、真哉ちゃんにも話せない。
彼女は、昔、逸人さんを好きだったからだ。
今だって、時々、辛そうな顔をしている。
でも彼女は、遠慮しないで、もっとイチャイチャして、
そしたら、もっと早く忘れられるからって言う。
私は、真哉ちゃんが好きだ。だから、そんな彼女にも言えるわけない。
本好くんは、聞いているようで聞いていない。
そして、聞いていないようで、聞いている。
昔を知らないし、知ろうともしない彼は丁度いいノロケ相手だった。

差し出された手を離せば、本好くんは、口元に手を当てた。

「そういえば、授業で羨望と執着の話があったでしょう?」

「うん」

「そんなのあったか?」

「美作くんは寝てたからね」

さんは、女だからね、羨望とかしたことってある?」

「本好が、美作くん以外のことで興味を持った!!」

明日葉くんが違う方面に感動している。
美作くんすら驚いているのだから、凄いことなんだろう。
私は、本好くんに言われたことを考える。
昔の私は、ロケットに乗ってこの世界じゃない所へ行きたかった。
誰もいない所で、攻撃してこない喋るウサギとクマのぬいぐるみが私の友達で、
両親は私を可哀想な目で、ごめんねなんて言わないで、
柔らかな微笑をもち、誰のことも気にせず、笑いあう世界。
それか、アニメのヒーロのような超能力的な体力で、
足が早くて、疲れなくて、凄いって言われて、
みんなに囲まれている人にもなりたかった。

でも今は?

藤くんのことが終り、泣いて泣いて世界は崩壊して、
昔抱いていた、ここじゃない世界と病弱な体じゃない自分は全部いらなくなった。
真っ白で、すべてを拒否した私を、彼、逸人さんが掬い上げて、
闇と光、綺麗と汚い、欲しいものといらないもの、好きと嫌い、
正義と悪、朝と夜、カラスと鳩、美味しいと不味い、
逆のものの中間。
それら全て溢れてたこの世界に戻った私は、崩壊してしまったものを
組み立てるよりも、前へ進むことに決めたから、
カサカサと水気のない大きな手が私を握ってるから、
安心して足元じゃなく前を見たから。

「本好くん。私ね、今、自分のこと、ちょっと好きなんだ。
だから、私、誰にもならないよ」


この言葉が最後の引き金だった。
言葉は、音になり、空気を震わせ、もっともっと広がっていく。







2010・10・27