消えていく
「早く行きなよ」
「嫌だ」
離したらお前はどっか行っちゃうんだろう?
と強く握り締められた手が、泣きそうな顔が、あったから
僕は、ここに留まることにした。
基本、僕の行動はいつも同じ。
朝4:00に目を覚まして、7:00まで自主トレ課題をする。
授業が終われば、図書室に篭り、時に外に出たりする。
忍たまとして、習慣をつけてしまっていいのだろうかと思うが、
今日も同じ場所、同じ時間、同じローテーションで朝ごはんをいただく。
最初はご飯を一口32回噛んだところで、
「おはよ」
とこれまたぴったり訪れた、兵助が僕の前に座って眠そうな目をこする。
艶やかな黒髪をたらし、長いまつ毛と整った顔をずーと味噌汁を吸いながら横目で見る。
これが朝のごはんの習慣に組まれている。
「今日も豆腐なの?」
「今日も卵焼きか?」
そうやって毎日変わらない会話を、あと一年は楽しめると思っていたんだ。
変わらないものなんてない。
季節だって、春に夏に秋に冬。
毎日通っている土でできた道も、たくさんの人に踏まれて、
同じ道であることなんて一日もなかったというのに。
でも、それはじっくり変わっていくもので、急に変わることなんてなかったから。
目に追いつけないほどの急速の変化に僕は戸惑った。
僕は習慣を愛していたから、
女の子が空から降ってきたというありえないことに、
その子にみんなが夢中になったというありえないことは、
どうでもよかった。
ただ僕の毎日の習慣が狂いにくるってしまった。
朝4:00に目を覚ます。4:23に会うはずの文次郎先輩にはあわなくなった。
6:02に顔に水をつけていると、この頃3年の保健委員によく出会う。
目が合うと、へらりと笑って、泣きそうな顔をしてそのままどこかへ行ってしまう。
7:00まで課題を終わらし、食堂へ向かう中で、
横を4年が喧嘩しながら通っていったのだけれど、
この頃は、僕が食堂へ入った頃にすれ違う。
「A」
と頼むと、おばちゃんじゃない人が、僕に玉子焼きと味噌汁と漬物とご飯という
シンプル・イズ・ベストの食事が、シャケになって現れた。
昨日は、納豆だったはずだ。Aは、なんだ?気まぐれシュフのレシピか。
と思うものの、まず一口ご飯を咀嚼する。
二口目、三口目で、ようやく彼が到着。
「おはよ」
兵助は、目が覚めた顔で同じ内容のものを置いて、
ちらりと横目で見れば、いつも真正面の顔が横顔になっている。
「今日は豆腐じゃないの?」
僕の質問に答えは返らなかった。
授業が終わり、図書室に行けば三郎と雷蔵がいて、
「構え構え構え構え構え構え構え構え構え構え構え構え」
と三郎が雷蔵に引っ付いていた。大層ウザイだろうにと哀れみの目で見ていれば、
僕の存在に気づいた三郎が、なんの反応もしない雷蔵から
僕にターゲットを変えて襲いかかる。
「。構え!!」
なんだか、変わらない三郎の姿に、ほっと安心して、
いつもの僕ならば人を変えてと冷たい反応をするのだけれど、
彼のされるがままになっていた。
「どうした?。今日は抵抗しないのか?」
ゴロゴロと腰のあたりでひっついてくる三郎に聞かれて、
苦笑する。だったら変なら、やめてくれてもいいのに。
「抵抗する気力がないんだよ」
「ふーん」
ふーんに隠れて聞こえた小さな音に、ばっと彼を見ればにんまりと、
三郎らしいような気味悪いような笑みを浮かべていて。
「じゃぁ、今日はおとなしくしていてやる」
と、笑顔を雷蔵のに変えて、本を渡された。
就寝は、いつも12:00。
忍びのゴールデンタイムは、いつも寝ているけれど、今日の僕は本とにらめっこ。
それから布団の上に倒れると、くらりと、目眩を覚えた。
僕は習慣さえ守れればそれでいい。
それだけでいい。それ以外はどうでもいい。
誰かの気配に気づいて目を開けば、いつもと同じではなかった。
僕の横には6:02に会う3年の保健委員。
僕は懐から出そうとしたクナイを戻して、警戒態勢をとけば、
彼は僕を睨みつけたまま言った。
「先輩は・・・先輩は、変わってしまうことが悲しくはないんですか?
僕は悲しいです。皆変わっていく。ただでさえ、存在感が薄いのに、
彼らがもう僕を思い出さなくなると思うと悲しんです。
あなたと僕は同じ存在でしょう?
あなただって消える存在でしょう?」
彼はとてもテンパッているのだろう。
名前を言わずに、息を荒らげ、泣くのを耐えた顔をし、
握りしめた手は力が入りすぎて真っ白になっている。
僕以外にいう人がいなかったのと思ったが、
彼が言ったように、彼は消えかけているのだろう。
いいや、忘れかけられている。
だから、誰にも言えなくて、同類の僕のところに来たのか。
僕は、彼の顔をを見て、上を見てから、もう一度彼に戻った。
「・・・確かに君くらいの時に、僕は一度消えかけたよ。
なんでか分からなけれど、今のように同じ行動をしなければ
みんな僕のことを忘れてしまってね
だけど、彼だけは覚えていてくれたから、僕はここにいる」
ならっと彼が、言う前に僕は言葉を続ける。
空はもう開けている。
何時だか分からないけど、何個かの習慣をサボってしまったようだ。
「でも、彼女のことを熱心見て、とても幸せそうな彼を見たよ。
それで思った。
僕は彼を縛り付ける権利なんてないんだって、
それに、僕を救ってくれた彼の幸せを祈らないでどうするの?って話だよ。
妨害なんて冗談。友人として彼の恋を応援してもいいかなと」
「そんなの偽善だ」
「そうだよ。偽善だよ」
強く言った言葉にそう返せば、呆気にとられた顔をして、
彼本来の幼い優しそうな顔に戻って、肩の余分な力もとれたようだ。
「だけど取り繕うっていうのは必要だから、覚えた方がいい。
嘘でもそういえば、心は落ち着くから」
「馬鹿にしないでください」
「馬鹿になんてしてない。
ほら、真っ暗で泥みたいのがへばりついて僕を沈めて消そうとしていても、
僕は、こんなふうに笑える」
にっと笑って見せれば、僕の一言余分だった言葉に怒って、
力をまた入れてしまった顔が、崩れていく。
とうとう、下を向いて黙ってしまった後輩に、一体いつだか分からないけれど、
服を着替えようと立ち上がった僕に彼は言った。
「先輩は、戻したくはないんですか」
「変わったものを戻すなんてできるはずがないよ」
「できる。彼女がいなくなれば、だから先輩も一緒に来て下さい」
僕の腕を掴んだ彼の必死な顔が、僕の昔に似ていて、
その手を離すことなんてできやしなかった。
彼が安心したら、戻ろう。そう思って、僕は、久しぶりに習慣を捨てた。
彼が安心して、消えなくなるまで、一緒にいましょう。
きっとその頃には、彼もこの小さな彼の周りも習慣も平坦になっているのだから。
【変わっていく】
「早く行きなよ」
「嫌だ」
俺は俺よりも少し小さな手をぎゅっと握りしめた。
彼の体温は俺よりも少し低くて、俺の熱が伝わって、
彼の輪郭が徐々に消えていかないように、俺の手を通り抜けないように必死で祈った。
5年い組同じ組に在籍しているは、
ホワホワした雰囲気にこれまたホワホワした容姿を持っていた。
少しクセッ毛の色素の薄い長い髪の毛に、実際年齢よりも幼くみれる童顔。
成績も優秀で実技も優秀。自分と引けの取らない存在だったのだが、
ある日、急に彼の存在が希薄になったのだ。
それに慌てた俺たちは必死に彼を忘れないようにしていたけれど、
時間が立てば立つほど俺たちの中から彼は消えていった。
最後の最後で、彼は俺といた。
なぜ、俺だったのかその時は分かっていなかったが、
ただ必死で消えないでと手を握り締めていた。
前まで、俺と一緒になって彼を忘れまいとしていた奴らは、楽しそうに遊んでいて、
「何一人でそんなとこにいるんだよ。兵助。遊ぼうぜ」
と俺を連れだそうとする。彼は言った。
優しく今から消えていくやつじゃないような安らかな顔をして。
俺は、それが嫌だった。
一人にさせるもんか。俺だけは絶対にといる。
俺の熱意が神を動かしたのか、偶然か知らないけれど、
今のは、ちょっと希薄だなという程度で前のように消えてなくなったりはしない。
だけれど、時々いなくて困るから、彼は習慣を作った。
そうすれば、彼を見つけ出すことができたのに。
いない。
彼はこの時間、図書室で三郎に邪魔されていて、うざそうにしているのに。
いない。
彼はこの時間、伊作先輩を助けているのに。
いない。
彼はこの時間、滝夜叉丸の自慢話に捕まっているのに。
いない。
彼はこの時間、迷子二人の捜索の手伝いをしているのに。
いない。
彼はこの時間、小松田さんが、ミスをして直している間、門番として立っているのに。
いない、いない、いない、いない、いない。彼がどこにもいない。
たった一瞬、目を離した隙にいなくなるなんて、そんなはずはない。
「くん?くんなら、保健室にいるでしょう」
「タカ丸さん、見つけられたんですか?」
「見つけられたっていっても、さっき指切って、保健室にいったら、3年生の子と一緒にいたよ。
珍しいなぁって、思って」
俺は、タカ丸さんの言葉を聞いて、そのまま保健室に向かった。
「いつもは、兵助くんだから」
その言葉を最後に。
息を荒らげて保健室を開ければ、伊作先輩が、驚いた顔をしていて、
そうだろう。5年にもなれば、息を荒らげて走ったりはしない。
それほど全速力だったわけだ。
「ど、どうしたの?急患?」
と、俺に聞くけど、俺は聞こえてなくて、
保健室をぐるりと見て、がいないのを確認してから、
深い溜息を吐き、その場にずるずると座り込んだ。
「ええ、どこか悪いの?久々知くん?」
ええ、悪いです。悪のは、目です。直してください。
直して、を捕まえられる手をください。
夜中勘ちゃんの長屋に押しかけて、ダンと床を叩き抗議する俺に、
勘ちゃんは冷静に言った。
「前みたく消えてないんだし、いいじゃないかな?」
「だけど、俺は会えない」
「いいじゃない。兵助、あの人に夢中だし」
「はっ?俺が誰に?」
「誰って気づかないの?あの子ほら、天女さまだよ」
「・・・・・・・」
「案外、も気を使ったんじゃないか。兵助にさ」
「なんで」
「なんでって、友達友達ってベッタリなのよりも、はやく恋人見つけろよって話」
「べつにわけなくてもいいじゃないか」
「俺に言わないで、に言って」
「言えないんだ」
「休み時間は?同じ組なんだし」
「・・・・・・・・・いないんだ」
は、授業にも出ていなかった。
だけど、教師はを時々忘れているから、
がいないことに何も言わない。が口を出せば存在は示せるけど、
言わないと存在感がほぼゼロになるから、みんな気にしない。
あの時と似ていて、決定的に違う。俺が傍にいない。
消えるなら、最後まで側にいたいのに。
会いたいのに。
「会いたい、会いたくてしょうがない。会えないのは苦しい。
会えないからずっと考えてしまうし、勉強だって頭に入らない。
何も手がつかない。
ここにいるのに、一緒にいれないことが、こんなにツライだなんて」
ボソっと言った言葉に、
委員会中で横にいたタカ丸さんが顔を少々赤くさせ、困った顔をした。
「えーとノロケを抑えてもらってもいい?」
「ノロケ?何いってるんだ俺は」
「兵助くん。整理しようか。
まず、兵助くんは、その人に会いたい。
でも、会えない。
で、その人の事ばっかり考えてしまうって言うのは」
「言うのは?」
「・・・・・・兵助くん。その人を考えている時に、
いつも考えている豆腐のこと何割忘れられた?」
「!!!!すっかり忘れていた」
「つまり、そういうことだよ」
タカ丸さんに言われた言葉を頭の中で整理する。
つまり、俺は豆腐が好きだ。結婚したいほど好きだ。
それを、忘れてしまうほど、のほうが上になっているのだから、
つまり、・・・・・・・・・・つまり、ぼっと、顔が赤くなるのが分かる。
つまり、そういうこと。
俺は、を、友人じゃなくて、豆腐を超える存在。
結婚したい、愛したい。恋愛対象として見ていた。
そうと決まれば、
「タカ丸さん、俺行ってくるよ」
そう言って、委員会が終わっているのを尻目に走り出せば、
タカ丸さんは俺に笑顔で手を振ってくれた。
そうか、俺はを好きだったのか。
じゃあ、ちゃんと言わなくちゃ。「好きだ」って「傍にいたい」って言わなくちゃ。
そればかり思考が占めていた俺はタカ丸さんの勘違いに気付かなかった。
兵助くんってば、そんなに好きなんだ、天女さまのこと。
若いな。春だね。と思いながら、綺麗な色素の薄い髪に櫛を入れると、
彼が振り返った。
「?どうかしたのタカ丸さん」
大きな目が僕を移す。
4年生は女の子みたいだけど、くんは、中性的で、
言い知れない色気のある子だ。
その気はないのに、彼に振り向かれて、
大きな目で僕だけを映し出されると、ドキリとしてしまう。
ああ、いけない。無心。無心。
あ、そういえば、彼は知っているのかな?
と、僕は彼に話題を振った。
「うん、くん。ようやく、兵助くんにも春がきたようだよ」
「へー」
「あれ?知ってるの?」
「まぁ、一応、毎日見てましたから」
何だつまんない。もっと驚いた顔とかいっぱい見たいのに。と、拗ねれば、
ひょこっと、僕の学年でもくんの学年でもない色、黄緑が現れた。
「先輩の髪って綺麗ですよね」
「そう?僕は、数馬の髪も柔らかくて好きだけど?」
「仲がいいよねふたりとも」
「「似たもの同士なんで」」
と、手を繋ぐ二人に、言い知れぬ思いを抱いたのは僕の秘密だ。
2010・3・28
勘違いに勘違いが加わり、変な方向に。