髪よ、伝えて
あなたには分からないでしょう?
私があなたに触られ前に入念に髪をチェックしているの。
あなたは髪の毛しかみていないから、
他の子を出し抜いて、私の髪だけを褒めてくれて
くのたまじゃ一番と言われて、泣きそうになったことをあなたは知らないでしょう。
「大好きだよ」
その愛の言葉に一瞬浮上する心と体、そのあとの失望感が強いから、
くのたまとしての意地は違う所で発揮されるの。
「そう」
能面みたいな顔で受け答え、可愛くない女でしょう?
あなたの愛の言葉は前に髪がって入っていること知っているから。
こう言わないともっと冷たく当たってしまいそうなの。
それか本当のことを言ってしまいそうなの。
結果が分かっていることは私たち、くのたまはしていけないことだから。
だから、しょうがないの。
あなたは今日も髪にしか興味ないのね。
私よりも私の髪が好きなのね。
ああ、いっその事、私は髪を切り落としたい。
でも、そうしたらあなたが私を見向きもしなくなるから辛い。
「どうかしたの?」
ねぇ、髪の毛だけならば私にちょっとした優しさなんていらないのよ。
涙で潤んだ瞳をあくびで隠して。
「眠いだけ」
こんなつっけんどんな私を、あなたは大好きなど言わないはずです。
だから、いくら怪我をしようとも髪だけは守るのです。
髪からあなたに
「好き、好き、大好き、私を好きになって」が伝われば良いのに。
『髪よ、伝えて』
「タカ丸さん、さんにいくら愛を囁いても無駄だわ」
中の中くらいの茶色い腰ほどの髪の女の子に言われた。
なんのことか分からないほど、僕は鈍ではなかったけれど、
曖昧に笑ってなんのこと?と聞けば中の中の髪が震えた。
「フフフ、とぼけなくとも良いのです。ですけれど、あなたが泣く前に私からの優しい忠告です」
言われた言葉はとても優しい忠告だった。そう、中の中の髪の子にとって。
だから私をと、伸ばされた手はやんわりと断ったけれど、
胸の中に棘が刺さっている。
いいや、ずっと前から刺さり続けている。
さっきの名前も知らない子からの優しい忠告は決定打だっただけで。
ちゃんは、僕の前でだけ笑みを消した。僕の言葉にうっすら眉毛をひそめる。
僕の問いかけにはいつも一言。
僕がまたねと言っても彼女は言葉を返すことなく、振り返ることなく、すぐ帰る。
彼女が僕のところにくる理由が、綺麗で真っ直ぐな黒髪を保つこと。
それで彼女が好きな人を射止めたいと思っていることに気づくのは早かったが、
僕が彼女に間違った思いを抱いたことをやめるには遅すぎた。
最初は凛とした外見に似合わず、いじらしい行動をする彼女のギャップが可愛いと思った。
僕の言葉に少しだけ答えてくれるようになったことで気分が上昇した。
女の子に向ける微笑みを少しでも僕に向けて欲しいと思った。
髪しか触れないことに、後姿しか見えないことに不満が募り始めた。
前髪を切るときに、目を瞑った姿がとても幼くて可愛くて、
ぷっくりと腫れた桜色した唇に触れたくなったから髪を切りながらちょっとだけ腕に当ててみた。
ドキドキと高鳴る音に、瞑られた目が徐々に僕を映しだす喜びを
なんて言っていいか分からなくなるほどの感情を抱いた。
彼女の来る回数を増やすために質の悪いシャンプーを渡してしまうほど、
艶めいていく髪に、愛しい人が振り向かないように切ってしまうおうかとさえ思うほど。
「大好きだよ」
思いは洪水のように溢れて口に出たけれど、彼女はそうと一言だけ。
会うたびにその言葉に重みをのせても同じ。
髪結いとしての職人の域を超えた醜い思いに気づいた彼女は僕に嫌悪を抱いているんだろう。
鋏がぐにゃりと歪んで、優しい忠告を思いだす。
『さんは、好いているお方のために美しくいるのですよ。
その方のために、咲いている花なのですよ。
あなたは花を綺麗にするためにいる職人なのだから、
花を摘むことなど許されないのです』
それならば、鋏を捨ててしまいたい。
けど鋏を持たない僕を彼女は見ることもなくなるのならば死んでも離すことはできない。
大好きだよ。大好きだよ。僕以外を好きにならないで。
この気持ちが、手から出ていって髪をつたってあなたに伝われば良いのに。
2009・11・22