葉桜の恋

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散って、葉になった桜を見ながら、どうやって家へ帰るかばかり考えていた。
手には、新品だったのに、ボロボロになった本。
誰がしたかも分からない。
挫けそうだったけれど、泣くのは悔しくて、上をみた。
もう無理だ。今日、手紙を出して、家へ帰ろう。
母も父も理解してくれるはず。
理解してくれなかったら、その時は……。
そんな事を考えている時、後ろから声をかけられた。
「美しい髪をしているね」と、
切るのが面倒で、伸ばしているだけの黒髪を美しいと言われた。
恥ずかしくて、何も返せず、地面を見るだけで終わった。
社交辞令だと分かっていても、凄くうれしくて、
髪は、今ではもう腰までになった。
毎日手入れをしたから、あの時よりも、髪は美しくなった。
そんなことをしていれば、この学園、忍術学園にもう五年もいる。
そして、その日から、その人は特別になった。





【葉桜の恋】




忍術学園五年、くの一の卵であるは、
目の前に座る山本 シナの言葉を、静かに待っていた。
何かを失敗したという認識は、の中にはない。
だが、急に呼ばれたのには、意味があるはずだ。
もしかしたら、昨日遊びで作った新薬が、バレたのだろか。
いいや、そんなはずはない。すべて体育委員と保険委員で試して、
証拠は残らず処分したし、犯人がだという物的証拠はない。
出されたお茶を覗き込めば、無表情な自分の顔。
よし。と意気込み顔をあげると、シナはようやく口を開いた。
さん。五日前の城の潜入は見事でした。城は、戦前で厳重警戒だったのに、一人でよくやり遂げてくれたわ。もし、あなたに何かのことがあれば、事前調査を怠った先生を、半殺しにしていたわ」
「一応ですが、その先生、誰ですか?」
「……土井先生です」
「そうですか」
沈黙するに、シナは、言葉を選びながらを慰めた。
「別に、あの方は、そういう訳でやったのではないわ。
ただその、一年は組が色々と事件に突っ込んでいって、そういうのが、疎かになって
しまわれているので、決して、あなたに対して」
「率直に言ってください。彼は、私を嫌いなのでしょう。
私の間違えでなければ、その前の時も、その前も、前も、大体彼によって大変な目に
あわされているような気がするのですが」
「それは……」
口を濁らすシナに、は立ち上がった。
「言いたいことはそのことでしょうか?」
「……いいえ、あなたに任務よ」
「休みが、他の人よりも少なくありませんか?」
「あなたは、特別優秀なので、行ってきてくれるわよね?」
「……御意」
シナの任務を、断ろうと思えば、断れた。
しかし、には、自分だけ任務が多いことに心当たりがあり、
そして、彼女の誇りのために、その任務を受けた。
肩膝をつき軽く頭を下げたに、シナは複雑な顔をしている。
が出ていき、部屋で一人になったシナは、ため息を吐いた。
「本当、こればっかりはしょうがないわ」




が任務を終えた晩、夜は更けていたが、腹が大層空いていた。
いつもなら、明日の仕込みをしている食堂のおばちゃんが、まだいる時間なので、
食堂へ向かうと、誰かが、食堂で食べていることに気づいた。
相手は、を認識し、目を逸らした。
は、彼、土井 半助を一瞥し、受付台に行くが、食堂のおばちゃんがいない。
「おばちゃんはいないぞ。私のを作って帰られた。残念だったな」
土井の言葉を無視をして、は出て行こうとするが、
土井がマグロ丼を、机の上に置く。
「ほれ、お前のだ。頼んでといた。好きだろう?」
「……土井。お前」
「先生と言いなさい」
「先生というのは、生徒に、地味な嫌がらせをしないものだと思う」
「嫌なものを、好きにさせるのも、教師の役目だ」
嫌な顔をしたに、土井は、笑顔で答える。
このまま寝ても、夜中にお腹が空いて、目を覚ましてしまいそうだ。
は、諦めて、嫌いなマグロ丼を受け取り、土井より遠くの椅子に座わり、
手をあわせて「いただきます」と呟き、マグロ丼を食べた。
食べた瞬間、の舌に、ピリピリとした苦味を感じる。
涙目になったが、顔をあげると、土井が嬉しそうに笑っているので、
は、口の中のものを、無理やり飲み込んだ。
箸で、マグロの下を見ると、たっぷりのわさびが入っている。
は、イライラとわさびをよけて、心のなかで、土井への悪口を言いながら、
嫌いなマグロ丼を食べた。
だが、わさびのせいで、舌が麻痺っているせいだろうか、マグロの独特な臭みがない。
これは、いけると、マグロ丼を完食すると、まだ土井が座っていることに気づいた。
腹もいっぱいになったし、これ以上、用はないと急ぐと、土井は、に言う。
「今日も、殺してきたのか。この人殺し」
「ごちそうさま」
は、土井の言葉が、おやすみなさいと聞こえたかのように、自然に返した。
と土井の仲は、とても悪かった。
それは、最初からではない。

が食堂を出ると、月一つない真っ黒な空があった。
そういえば、あの日も、こんな日だった。
女を殺した。
それが、にかせられた任務だった。
の口を隠していた首巻きを下ろし、ハッと息を吐くと、白いモヤが見えた。
短刀についた血を、布で拭き取ると、頬に血がついていることに気づき、手で拭った。
の足元には、真っ白な着物が真っ赤に染まった女が、横たわっている。
は、彼女の名前なんか興味なかった。
彼女が、忍術学園から情報を盗んだ、敵のくの一だということだけで十分だった。
くのたまに殺されるなんて、腕の悪いくの一だと、思うだけで、
彼女の死に対し、微塵の同情もなくて、たださっきから、ちらほらと落ちてくる
雪が、彼女の死体に積り、少しだけ綺麗だと思った。
殺したことに、後悔はなかった。
後悔なんてしていたら、くの一なんて目指さない。
後悔したのは、が彼女に背を向けた時、土井半助が、目を見開いて
を見ていたことだ。
その日、は、土井半助の想い人を殺したのだ。
その日から、土井は一年は組を相手している時の優しい態度を消し、
ねちねちと、小さい悪戯から大きいものまで、にしてきた。
は、土井の行動は、間違っていないと思っている。
が、まっすぐの道を進めば、木に隠れて、月が笑っていた。
ざまあみろ、と言っているかのようだった。




さん。いいかしら」
天井から出てきたシナに、は、食べていた饅頭を落とした。
三秒で拾ったから大丈夫と、は、饅頭の埃を取る。
「シナ先生。さすがに、任務が多すぎます」
「今回は違うのよ。一年は組の三人が事件に巻き込まれてね。
あそこ、前あなたが任務で行った城なんだけど、さん、あなたに、助けに行って欲しいの」
「一年は組の三人……きり丸もいますか?」
「乱きりしん、いつも通りの三人よ。でも、今回は任務ではないし、任務から帰ったばかりのあなたに頼むのも、間違えかしら? ごめんなさい。違う子に頼むわ」
が顔をあげ、シナを見ると、シナは微笑んだ。
まるで、全てを見通された顔をしていて、は、残りの饅頭を胸元に入れ、
落ちた饅頭を、一口で食べると、横においてあった、口元を隠す首巻きをつけた。
「いってらっしゃい」
が答える前に、シナは答えを言った。

城から、白い煙が見える。あの三人は、また何かしたようだ。
兵の怒鳴り声と、曲者の声がこだまする。
は、すぐに騒ぎの中心にいるニ人を見つけた。
彼らを襲いかかる兵を、はクナイで眠らせる。
「何をしている。出口は反対だぞ。戻れ」
「でも、きり丸が、私たちを守って、掴まってしまったんだ。助けないと」
しんベエと乱太郎の言葉に、は周りを見る。
ニ人はどうやら、道を間違えていたわけではなく、戻っているようだ。
しかし、兵の数が多い。
それは、前回が潜入したために、増員されたものなのだけれど、
が知る由もない。
「分かった。私が行く。お前たちは、外で待っていろ」
「……じゃあ、約束。先輩も、きり丸も無事で帰ってくるって」
小指を出してくる乱太郎に、は、少々驚いた。
彼らは、いい意味でも、わるい意味でも、向こう知らずだ。
だから、自分たちも行くとわがままを言うと思っていた。
しかも、きり丸に嫌われている自分など、もっての外だと思っていたが、
は、乱太郎と同じ目線になるまで腰を下ろし、小指をからめた。
「ゆびきりげんまん、嘘ついたら、はりせんぼんのーます。指切った」
乱太郎の言葉に、が小指を離すと、僕も、としんべエも出てきた。
は、胸元にいれてあった饅頭を思い出し、取り出す。
「こっちの方が、いいだろう」
饅頭を、しんベエに渡すと、は、首巻きを口の上まであげた。
「帰ってきたら、みんなで食べろ」
そういって、小さくなるに、乱太郎は呟いた。
「全然、冷たい人じゃないや。やっぱり先輩は、優しい人だ」
「そうだよ。おまんじゅうもくれたし、いい人だよ」
「もう、しんベエったら、お菓子貰ったら、全部いい人?」
「うん。だって、この状況でくれる人なんて、いないでしょう。きり丸が来たら、
みんなで食べようね」
「そうだね」
乱太郎としんベエは、と逆方向へ走りだした。

は前回侵入したので、城の経路が分かった。
城の中に入ると、子供の高い声が聞こえる。
「知らないって言ってるだろう。しつこい奴は嫌われるぜ。おっさん」
きり丸は、頬を赤く腫らしていた。
行くのを、何度も拒んでいるため、そのたび兵に頬を打たれていた。
「おまえが忍術学園の生徒だということは知っている。
前侵入したやつのことを話せばいいのだ。そうすれば、お友達と一緒に変えれるぞ。
簡単だろう?」
兵の顔に、きり丸が唾を吐いた。
兵は怒り、腰につけた刀を鞘から抜いた。
「こっちが、下手に出れば、いい気になりおって」
「そこの人、あんたが言っているのは、こんな顔じゃなかった?」
斬りかかろうとするきり丸の前に、首巻きを下げて顔を出したが、小さく微笑む。が突然出てきたことに驚いた兵の足を、は蹴った。
体制を崩した兵の首にクナイをいれようとしたが、「人殺し」と土井に言われたことを思い出して、兵の横に刺した。
兵は気絶している。は、息をハッと吐き出した。
殺すべきなのに、殺せない自分に驚いていた。
「なんであんたが」
きり丸の言葉に、自分を取り戻し、は立ち上がった。
「自分を守れない奴に、仲間も守れない」
そう言い捨てると、きり丸は、羞恥で赤く染まったが、
は知らん顔で、首巻きを元に戻す。
「曲者!!」
「行くぞ」
「土井先生は?」
誰かの声に、は、きり丸に言うが、きり丸はなかなか動かない。
自分と一緒に行くのがそんなに嫌かと考えたが、どうやら違うようだ。足が赤く腫れている。
「足を怪我しているなら言え」
きり丸を、無理やり後ろに背負い、は走りだした。
の頭の中にある城の地図で、一番兵に合わない道筋を走っていった。
その道は、来たときよりも長い道だった。
いくらきり丸が小さく、軽いといっても、は女だ。
徐々に、彼を背負って、城の罠をかいくぐるのが、きつくなってきた。
息を荒げるに、きり丸が言う。
「あんたは俺のこと嫌いだろう? なんで助けるんだよ。俺を置いてけよ」
「嫌いなのは、お前とあいつだ。私はどうも思っていない」
「……あんたは強いよ。俺なら、嫌いな奴をわざわざ助けない」
「それは、強いと言わない。強いのは、仲間を命がけで守る奴の事を言う。
さっきのは少々言い過ぎた。すまない。おまえは偉い。おまえは凄い。
よく、頑張ったな」
きり丸の腕の力が、少し強くなった。
震えるきり丸と、の背中が少し生温かったけれど、は黙ったまま、
走り続けた。

走る終え、外へ出ると、きり丸を助けに来たのだろう。土井がいた。
「きり丸、どうしたんだ。その頬」
そう言って、を睨みつける。
「先生、先輩は、俺を助けてくれたんだ」
きり丸がいくらそう言っても、土井は止めようとしない。
「いいから来なさい」
土井が、から、強引にきり丸を奪っていく。
きり丸が、を気遣うが、は、彼らに背を向ける。
「いたぞ。曲者だ」
後ろからは、大量の兵がに迫ってくる。
その顔からは、殺気しかない。
「そんな目で、私を見るな」
は呟やき、クナイを構え、兵に向かって走った。




「いい加減にしなさい。土井先生。大の大人が、子供にみっともない」
シナの静かな怒りに、土井は下を向いて黙っている。
「いやでもですよ。シナ先生。
土井先生のお陰で、は育ったと言えます。真ん中だった彼女が、今や首席だ。
難しい任務だって、簡単にこなせるようになったんだし」
「黙っていてください。山田先生。最終的に、彼女のためになったとしても、一教師として、やっていいことと悪いことがありますわ。そろそろその域を超えています。
これ以上、厳しい場所に彼女一人だけで行かすわけにはいきません」
土井と同じ一年は組を担当している山田 伝蔵が、シナと土井の間に入ったが、
シナの剣幕に、黙った。
「……私だって、どうすればいいのか分かりません。
でも、を見ると、思い出してしまうんです」
暗い影を落とす土井に、シナは、眉間に皺を増やした。
「彼女は何も悪いことはしてません。任務を全うしただけです。
あの任務、彼女がしなければ、あなたがしたのですよ?」
「だったら、私がしたかった」
そういって、怒鳴り立ち上がる土井に、シナは少し後ろに下がる。
「そうすれば、こんな気持ちを抱かなくてすんだのに。……もういっそのこと、記憶が吹き飛んでしまえばいいのに」
頭を抱えこむ土井に、シナは胸ぐらを掴んだ。
「あなた、なんて弱いの。男なんだから、もっとしゃんとしなさい!!」
「シナ先生、大変です。保健室にすぐ来てください。さんが!!」
入る許可無くふすまを開けたくのたまは、シナと土井の姿に驚いたが、
シナがどうしたのだと聞く前に、土井は、そのまま飛び出していった。

「おいおい、どうしてくれるんだ。これ」
「だから、ごめんって」
保健室では、ボコボコにされている保健委員長、善法寺伊作が、に胸ぐらを掴まれながら、平に謝っている。が先程からいっているこれは、の腰まであった
美しい黒髪が、不揃いの長さで切られていた。
事の発端は、が暇つぶしと称した、憂さ晴らしに、保健委員長を狙った
罠をしかけている時だった。
委員長の伊作は、もちまえの不運の能力を最大限に使い、
忘れ物をして、保健室に戻り、を見つけ、何をしているか聞いたところ、
罠を作動させてしまった。
死なない程度に作った罠は、途中だったせいか、伊作の心臓を狙ったものだから、
が伊作を守った。そこまでは良かった。髪も綺麗についていた。
問題は、伊作は、自分の身を守ろうとクナイを取り出し、振っていたことだ。
何か落ちた音に、が振り返ると、長かった髪が地面に落ちていた。
伊作が、の髪を切ったのだ。
伊作よりも、罠をしかけていたのほうが悪いが、伊作は、が犯人だと気づいていないし、女の髪を切ってしまったことで、頭がいっぱいになっていた。
「髪は女の命なんだぞ? お前も切れ」
「分かったよ。切るよ」
「よし」
は伊作の服を剥いで、クナイを持った。
「って、ちょっとどこ切ろうとしてるの?」
「どこって……腹?」
「なんで君が不思議そうな顔をしてるんだよ。君がやってるんだからね。って、ちょっとやめてよ」
刺してくるの攻撃を、伊作はどうにか避ける。
は、嫌そうな顔をして、クナイの背を伊作の顔に軽く2、3回触った。
「じゃあ、顔にするから。ちょっと野蛮な感じにするから。
野蛮はモテるよ。これで、非モテから脱出だ」
「君、絶対額から顎までやるつもりでしょう! 
それに、僕はモテないわけじゃない。本当にごめんって。この通り」
顔の前で、手を合わせる伊作に、は呟いた。
「お前、好きなやつ殺されても、ごめんで許せるのか?」
伊作は、顔をあげた。
「それだったら、私だって、ごめんで終わらせたい。でも、そうはいかないだろう」
「あ、あの」
何か耐えるような顔をしているに、伊作が手を伸ばそうとするが、
は背を向ける。
「……もういい。どうせこんな髪、過去の遺物でしかない」
「でも」
「やられた本人は、いいって言ってる。
少し、さっぱりしたかったから、ちょうどいい」
伊作から見ても、はさっぱりしたようには見えなかった。
でも、何を言っても聞き入れてもらえないだろう。
伊作は、謝ることをやめて、疑問に触れた。
「過去の遺物って何?」
「……この髪は、昔、好きな人が褒めてくれた。それだけだ」
答えは返ってこないだろうと伊作は思っていたが、見当が外れた。
だって、言うつもりはなかったけれど、自分にあった重さが軽くなり、
つい言ってしまった。
は、すぐにここから逃げ出したくて、騒動で集まってきた人垣を、かきわけた。
かけわけた先には、いつもどおりを睨んでいる土井の姿があった。
は、彼のいる方向と、逆の方向に向かった。
誰もいなくなったところで、は走りだした。
向かった先は、くのたまの場所にある一本の木。
触れると、少し暖かかった。
木は、あの頃と何も変わらない。
顔をあげると葉から木漏れ日が、に当たって、温かい。
は、はっと鼻で笑う。
「もう、忘れろということか」
そういって、左手を握りしめると、木にいた小鳥が飛び立った。
の後ろから感じる気配。
振り返らなくても、への殺気と、ここに入れる人物は限られている。
は振り返らずに、土井に尋ねた。
「あの女を殺したのは、任務だ」
風がふき、木々が揺れ、と土井の服が揺れた。
誰かが騒いでいるらしい。遠くで笑い声が聞こえた。
は、同じ敷地内だというのに、まるで違う場所のようだと感じていた。
後ろから感じる土井の殺気は、最初から変わらない。
分かっていたことだ。
土井がどんな目的であれ、女を殺したことに憎んでいるのだ。
もう、はあがき続けることに、疲れを感じていた。
いつか土井がを許してくれるなんていう幻想を、信じていれられなくなった。
いいや、最初から駄目なのだ。
だったらと、は決意を決めた。
「それでも、おまえは私を許せないんだろう。
私は、明日、任務に行く。その場所は、入り組んでいて、物陰が多い。
誰が、誰を殺してもわからない場所だ。……暇なら来てくれ。土井先生」
少しだけ、土井が驚いたのが伝わった。
でも、怖いから後ろを振り向かずに、は前へと進んだ。




任務をする城に入る森で、は走っていた。
髪は、不揃いのままだが、今日死ぬなら、べつにいいと思っていた。
死ぬ前にしたいことをするつもりだったけれど、結局何一つ出来なかった。
くの一になるという夢は、最近では色あせてきて、鏡にうつる自分は
もう笑えなかった。
入り口にいくと、黒い服を身に包んだ忍びが立っていた。
それが、土井半助だと分かっていたので、は土井との距離を縮め、
クナイが届く範囲に入った。久しぶりに、こんなに近く土井を見た気がする。
土井の目の下に隈が出来ていた。自分のことを考えて、眠れなかったのだろうか。
それはありえないと分かって、は目を閉じた。
死ぬのは怖かったけれど、このまま生きて、ずっと嫌われているほうが怖かった。
あの雪の日殺した女が、白い服を赤く染めて、土井と腕を組み笑っている。
”ざまあみろ”と笑っている。
は、ニ人を見ながら、無性に笑いたくなった。
最後の妄想でさえも、自分の思い通りにいかないことが、とてもおかしかった。
パキンと枝の折れる音が聞こえた。土井でも自分でもない音に、
は目を開けた。土井は、クナイをおろしたまま、を見ていた。
「なんだ、殺さないのか?」
の呼びかけに、土井は答えない。何かを言いたそうに顔を歪めているが、
はそれにも気づかず、言う。
「お前は酷い男だ。謝っても許さない。諦めても許さない。
そのくせ、殺してもくれないのか」
お前なら殺されても構わなかったのに。
その言葉をかろうじて、飲み込み、唇を噛み締めた
土井は、低い声で言った。
「お前にも、好きな奴がいるのだろう。私は、そいつを殺す」
「お前には、無理だ」
「死んだのか?」
「ああ、死んだようなものだ。
あの日の彼には、もう2度と出会えない。私が殺したようなものだ」
口に出しては、ようやくその事実を受け入れた。
彼女が愛した彼は、髪を褒めてくれた彼は、もうどこにもいない。
言った瞬間、体から熱を奪われていく感じがした。
徐々に気配が近づいてくる。
は、口元の首巻きを上げた。
「殺さないのならば……私は、行く」
土井の横を通り過ぎ、城へ潜入し、殿の命を奪いに行こうとするが、
いつもよりぼんやりしているは、横からの忍びに気づかなかった。
クナイを投げられた時にはもう遅くて、ここで死ぬのか、とが目をとじると、
金属音が響く。土井が、忍びのクナイを弾き、代わりに忍びの命を奪っていた。
「なぜ、私を庇った」
の質問に土井が答える前に、たちは、忍びに囲まれた。
は、ニ本のクナイを構えて、前の忍びに斬りかかり、しゃがむと
左と右の忍びを土井が殺した。
そこからニ人は走りだす。のほうが少しだけ早くて、
不揃いの髪の一房長い髪が、土井の顔に当たる。
「髪をちゃんと整えろ。おまえの髪は――」
そういいかけて、土井は、顔をあげた。
昔、誰かに同じ言葉をかけたことを思い出した。
桜がすべてなくなった葉っぱだけの木を、眺めていたくのたま。
少女は、ボロボロになった本を抱きしめながら、何かに耐えるようにして
口を閉じて、ただ上を見ていた。
そのさまがあまりに頼りなさげで、つい声をかけてしまった。
声をかけてのはいいものの、何を言っていいのか分からず、
つい先程から思っていたことを言ってしまった。
少女は、何も言わず、上を見ることをやめて、下を向いてしまった。
あの少女は……目の前を走るの背中を見る。
姿が重なり、一つの結論を導き出した。
土井の様子など知らずに、は短刀を、殿の心臓に刺した。
綺麗に入ったのだろう。殿は一突きで死んだ。
返り血を浴びたは、首巻きを下ろし、ふうと一息吐いた。
それから、短剣を下へ払うと血が綺麗にとれた。
頬に血がついていることに気づいたが、拭う前に土、井がに言う。
「お前が好きなのは、私か」
土井の言葉に、驚いたものの、は、短剣にうつる自分を見た。
無表情だ。大丈夫と自分に言い聞かせて、は顔をあげる。
「そんなわけないだろう。そしたら、土井先生は自分を殺すことになる」
「はぐらかすな」
土井の声に、はふっと上をみた。
どうやら誤魔化されてくれないようだ。酷く馬鹿な男だ。
このまま何も知らぬまま殺してくれれば、すべて終われた。
殺す側も、すっきりするだけで、後味も悪くない。
も、死ぬほどに嫌われている男に、恋をしているなんて悲しいことを、思い出さなくてすんだのに。
「無愛想で、口も悪い、人から嫌われていた女に、お世辞を言うのは、
馬鹿がつくほどのお人好しだ。そのお人好しのおかげで、私は、みんなの輪に入っていけたし、友人もできた。ここで生活していけると思えた。
でも、私は、そいつを変えてしまった」
短剣を、土井の足元に投げる。
手入れが行き届いて刃こぼれ一つない刀は、キラリとひかり、土井の顔を
うつし出す。彼は、あの日の少女のように何かを耐えるような顔をしていた。
「私は、このまま生きれば、忍びとして生きていけるけど、人としては死ぬんだ。土井先生、殺してくれ。
私には、好きな男にしてあげられる幸せなんて、これぐらいしかない」
そういって涙を零したに、土井は一歩踏み出した。
短剣を蹴って、下を向き、声なく泣いたを、抱きしめた。
「すまない。すまない。私は……本当に弱いな」
そういって、土井も泣いた。
彼女が殺された日から、泣くことすら、罪に思えた。
でも、それをに八つ当たりをすることは、土井にはもうできなかった。
もう、偽ることもできなかった。
抱きしめられたことに、驚くだったが、土井も震えているのに気づいて、
黙って泣いた。


泣いているニ人を、上から見ている黒の衣装に身を包んだ男女ニ人組が、ため息を吐いていた。
「本当に、しょうがない人だわ。わざわざ危険な任務行かせるくせに、
見守っているなんて、そっちの方が手間がかかると思いません?
いつも馬鹿じゃないのかと思っていましたわ」
「そうですな。ここで動かなかったら、尻を蹴っ飛ばしてましたよ」
「あら、生ぬるいですわ。私は、半殺しです。
女にここまでさせるなんて、男の風上にもおけませんし」
シナは黒い笑みで微笑み、山田は、下にいる土井を見ながら援護した。
「まぁ、まぁ、あいつなりに考えていたようですよ。
好きな女を殺した女に、一目惚れしたなんて、しかも生徒ときた。
相手を裏切ったような気持ちと、会うだけで心臓が高鳴る気持ち、
全部あわせたら、幼少時の恋愛みたくなったんでしょう。
好きだからいじめるとは、……青いですな」
「本当に青いわ」
ふふと笑うシナに下では、ようやく土井が想いを告げていた。
赤くなる歳相応のの姿に、シナは目を閉じた。
冬を耐え、春に満開の花をつけた桜の下で、ニ人が幸せそうに笑い合っている姿を思いながら。











おわり
2012・12・24


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