先輩は、いつも凛と背を伸ばして前を歩いている。
前ばかりしか見ていないから、後ろのことに気づかない。
だから時々、穴に落ちて、そこから出てくる伊作先輩を
踏んずけている姿をよくみかけた。
でもこの頃は、ちょっとだけ後ろを振り向く。
私の足音に、ゆるい笑みを向ける。
きりちゃんはそんな私と先輩の姿にどう思っているのか分からない。
何か言いたそうな顔をして、それから顔を背けてしまうし、
バイトを前よりもいれたきりちゃんと私はあまり遊ばなくなって、
二人で話してないけど、どこもかわりなく普段通りだと思っていたのに、
しんべえが私に聞く。
「きり丸と喧嘩してるの?」
「・・・・・してないよ。
きりちゃんが、金ないっていってバイト一杯しているから最近話せないけど」
「そうだね。僕もきり丸とあまり会わないけど。
なんでだろう。違和感感じちゃって。
あの先輩と乱太郎が仲良くしてから、二人はおかしいなぁって」
しんべえは、気が抜ける顔をして、中身は繊細で、鋭い。
私はしんべえの核心を笑って、話を逸らす。
「先輩は、いい先輩だよ」
「いい先輩?」
「ううん、わがままな先輩」
「あ、それ、きり丸から聞いたことある」
そう。きりちゃんは、先輩のことをそういったんだ。
でも私は。
「うん、先輩は、わがままだけど、なにより美しくて、大好きなんだ」
わがままよりも後ろが大きすぎる。
手を大きく広げて大きさを表現するけど、まだ足りない。
「すっごく一杯一杯、こんなんじゃまだまだ足りないくらい大好きなんだ」
そういえば、しんべえが複雑な顔をして、それから分かったと頷いた。
私はしんべえの後ろを見ながらあやまる。
ごめんね。
しんべえは、気づいてるだろうね。
私ときりちゃんの仲がおかしいのは、先輩が関わってるって。
しょうがないとかじゃない。私が悪いんだ。
私が、離れれば、私ときりちゃんは元通りになる。
でも、離したくない。絶対。
誰に言われても、何をされても、私は彼の手を離しはしない。
ずっと夢見てたんだ。
懐から取り出した四つ葉のクローバは、あの時のまま。
やっと掴んだ幸福を握って、誓う。
私の一生分の幸せを使うから、お願いします。
先輩が私を好きになってくれますように。
その日、しんべえと二人で歩いていた。
姫野さんの所へ行くと行っていたから、私はその途中で別れるつもりだった。
私の目的の先輩は、前を歩いていて、しんべえに断りをいれて、走る。
「姫野さんのお菓子」
後ろから大きな声でしんべえに言われたときに、あ。失敗したなと思ったけれど、
恐る恐る伺えば、先輩の顔は、何も考えていない表情。
先輩。
姫野さんときりちゃんと約束を破ったときは、凄く悲しかったんでしょう。
なのに、私はいいんですか?
まだだめですか。まだ足りませんか。
私は、きりちゃん以上にはなれませんか?
好きです。この手一杯に好きを持ち続けても、足りないほど好きなんです。
―――伝われ。―――
そう思えば、先輩が振り向く。
先輩は、
「あいつの話とか、あいつに近づかないでって言ったら、君は言う事聞いてくれるの?」
私がはい、もちろんです。と言う前に。
「なんてね」
って言葉で、顔も全て隠した。
先輩は、いつもそうだ。
どこにいても、だれといても、なにをしても、いつも何かを隠してる。
今、私を盗られたら、嫌だって思ってくれたんでしょう?
二度と同じ思いしたくないって思ったんでしょう?
答えてください。
そんな勝手な空想で私、今、死ぬほど嬉しんです。
それから、あひるのボートが白鳥に変わった。
喜んでいる私の横で、私の姿をどこか遠くに見ていた先輩。
先輩は時々一人である。
それが嫌だから、声をかけて戻す。
一人の何がいいんですか?そう言っても先輩は何も答えない。
トイレットペーパの補充を全て終われば、外はまっくろけ。
お風呂入り終わってから、思い出したのが悪かった。
これからどうやって、進もうかとずっと考えていたから、
他のことを忘れてしまった。
ふわぁとあくびを一つすれば、声が聞こえた。
場所を確認すれば、合点。
土井先生ときりちゃんの声だった。
いつの間にか立ち位置が変わっていた。
俺のいたところに、乱太郎がいた。
先輩は、ああ見えて人見知りする性質だ。
俺が一回紹介したときにも興味なさそうな顔をしていたのに、
本当にいつの間にか変わってしまった。
姫野さんが来る前は一週間に二三回。
姫野さんが来たあとは、一週間に、四五回。
寂しくないなんていいながら、一人じゃ駄目で、
いつも湯たんぽと言って俺を抱きしめに、本も読まずに図書館に訪れていた。
急に、一週間経っても二週間経っても現れなくなった。
最初は、何か任務でもあったんだろうと思っていたけど、
でも、あの人は任務前でちゃんと一声言うのに、おかしいなぁ程度だったのに。
先輩を見かけて、学園にいるって分かった。
俺はいつもどおり手を振って駆けよったのに、先輩は、
俺の姿を見て、整っているだけに冷たい視線を向けた。
俺は、動けなくなった。待って欲しいのに、先輩の姿はどんどん小さくなって、
いつも俺が握っていた手を代わりに握ったのは、横にいた乱太郎だった。
なにがなんだか分からないけど、今乱太郎に会いたくなくて、話したくない。
バイトを目一杯いれて、寝る時も土井先生のところにいる。
そして、寝る前まで先生と一緒に内職をしている。
手を動かせば、嫌なことを考えない・・・って思ってたのに、
よく内職を邪魔した人を思い出して
「・・・きり丸、それは、何を作っているんだ?」
俺の作った造花は、何度目かの失敗を向かえた。
土井先生が、そろそろ休もうという。
でも、俺は何も考えたくない。
ドロドロに疲れて眠りたい。
だって、夢でもあの人が出てくるんだ。
その夢が優しくて、あの細くて長い手が俺の髪を優しく撫でるから、
起きたら横にいるのは土井先生で、
先輩は、俺じゃなくて、乱太郎を見ている現実が酷く胸が痛い。
「何かあったのか?」
土井先生の言葉にぎくりと体が震える。
「い、いやだな。なにもないっすよ。なにも」
「その顔で言われても説得力がないぞ」
ぽんと頭を撫でられた。
俺は、三本目の造花を作り終わるまで、何も言わなかった。
先生もそれ以上聞いてこなかった。
四本目を取って、俺はさりげなく話しだす。
「先生、あのさ、先輩なんっすけど、あの人」
自分の口から言えば、先輩に嫌われたことを認めなくてはいけなくて、
俺の唇は震えて、それ以上言えない。
下を向けば、土井先生が話を進めた。
「・・・・・・・ああ、だからか。
きり丸。私が言うのも変な話だが、を責めないでやってくれ」
「え」
責めるな?何が?と顔を上げると、土井先生の眉毛がハの字になって、
困った顔をしている。
「は、ああ見えて、繊細な子だ。もう十分苦しんだ。だから」
「えっと話が見えないっすけど」
「・・・・・・・もしかして」
顔を見合わせて、土井先生は笑った。
それから、ごほんと咳払いをして、手を振る。
「すまない、今のは忘れてくれ」
「今ので忘れらるほど、いい性格してないんで。
教えてくれるまで、おばちゃんに先生が克服するために、
練り物たくさん食べたいんですって、言っちゃいますよ」
「・・・う。それはやめてくれ・・・・でもな」
ハの字をもっとハの字にして、土井先生は言い渋る。
俺は、先生の裾を掴んで、懇願した。
「お願いします。どうしても知りたいんだ」
俺の姿に、土井先生は、真剣な顔になる。
「聞いても後悔しないか?」
「しない」
「そうか、分かった」
それから、土井先生は語った。
先輩の過去を。
暗闇のなかで、ろうそくの火がぱちぱちと揺れていた。
「には、一人、とても仲のいい子がいた。
私の目から見ても、二人は仲の良い友人で、
その時のはなんでも真っ直ぐぶつかっていく。
よく言えば純粋、悪く言えば、扱いづらい子で、
は事あるごとに、怒って、泣いていた。
それを慰めているのがあの子の役割だった。
4年。その時期まで、彼等の仲は良かった。
不破と鉢屋のような姿形違えど、兄弟のようで、
正確無比な武器使いのと、相手の動きを流す柔の体術のその子。
最強タッグなんて呼ばれていた。
でも、ある日。そう、それは、酷い雨の日だった。
一人で出かけた任務に、あの子は帰って来なかった。
は一人、外であの子を待ってた。
『絶対、帰ってくるって約束したって。あいつは嘘をつかない』
って、とうとう止める手を振りきって、迎えに行った。
でも。
「・・・・・・死んだんっすっか」
「運ばれてきたときには、すでに生き絶えていた。
連れ帰ったのはで、ずっと手を握っていた」
過去を思い出すかのように、
土井先生は、強く握りしめている両手を睨んだ。
「見ていられなかったよ実際。
何も食べずに、どんどん細くやつれていくを」
「・・・・・・」
「は、今も彼を待っている」
「その話と俺と何の関係があるんですか?」
土井先生は一拍間を開けて、それから重い口を開いた。
「きり丸、お前はあの子に似ている。
顔じゃない。雰囲気が環境が、そっくりだった。
が本心で笑うのはお前だけだ」
「・・・・・・」
「は、お前に会って、ちょっとずつ前に戻ってきた。
きり丸は身代わりなんてって思うかもしれない。
は、人を疑って生きることの出来ない人種で
裏切ったと思うことが嫌な真っ直ぐすぎる奴だ。
わがまま言って、出来ないを待ってる。そういう奴なんだ。
にとって約束って言うのは、疑わないほどの相手にしかしない。
と約束をしたんだよな。それを聞いて、私は、あの子じゃなくて、
ようやくきり丸自身を見てくれたと、そう・・・・・・・きり丸?」
俺は、土井先生の話を全て聞くより前に、部屋から飛び出した。
外は寒い。
でも、激しい感情が俺を支配して何も感じない。
なんて、なんて馬鹿なんだ。俺。
なにが、忘れてた。でも大丈夫。
見てないだろうし、それにあの人だって忘れてるさ。
いつもの気まぐれなんだから。だ。
好かれていることにあぐらをかいて、あの人自身を、ちゃんと見ていなかった。
あの人が言うわがままだって、簡単に叶うものだった。
でも、他の人に言うわがままは、嫌だっていうまで重ね続けて、
叶えさせなかった。あれはあの人の防御だった。
愚痴だって、俺にしか言わなかった。
抱きつくことも俺にしかしなかった。
約束なんてあの時以外一回も言わなかった。
外は暗闇でよく見えない。
でも、部屋によく湯たんぽ確保とか言って、
拉致られたから、先輩の部屋は分かる。
行けば、部屋は空っぽだった。何も無い。
前あった物が全てなくなっている。
さっぱりというよりも、殺風景なそれは、彼がここに生活していないように
思わせたが、机の上にある紙だけ彼がまだここにいることを伝えた。
ちくっしょう。どこだ。どこにいる。
ギシリギシリなる廊下なんて、安眠妨害なんて、
気にしないで走ると、ぽうっと光が見えた。
「あれぇ、きりちゃんそんなに急いでどこいくの?」
茶色の髪をふわふわさせた乱太郎が俺に問う。
俺は、あんなに会いたくなかったことすら忘れて、必死だった。
「乱太郎。先輩は?」
「先輩?今日は、任務らしいよ。朝一番に帰ってくるって言ってたけど、
なにか用事があるなら、私言っとくよ?」
任務。その言葉にがくりと膝をつく。
きりちゃん?と上から聞こえる声に、
なけなしのプライドが取り繕って立ち上がる。
「・・・・・・いい」
「そう?じゃぁ、そろそろ寝るね。
あ、きりちゃんも、バイトばっかりしてないで、休んだほうがいいよ?
すごい顔してる。今日は私たちのところで、休もう?」
疲れていることは、分かりきっていた。
乱太郎に引かれた手が温かくて、無性に泣きたい。
先輩は、ずっとずっと温かい手を待っていたのに。
俺は先輩を裏切ってしまった。
2010・12・26