僕の頬を叩いた少年がいた。
中性的で綺麗な顔をした少年だった。
少年は仙蔵と違い、自分の顔がどうなろうがどうでも良かったようで、
叩かれた僕よりも、ぐしゃぐしゃで、歪な顔を晒して、
僕が僕自身で否定できなかったことを、大声で違うと、喚いた。
手を伸ばせば、そんな泥だらけの手で僕に触れないで、
と言いながら、振り払うことのない少年。
「君が悪いんだから。違うことを違うって言わないから、いけないんだから」
「だって、僕は」
そういってまごつく僕にピシャリと切る。
「不運なんて、そんな曖昧なもんで人一人死んだらたまらないよ」
彼の顔は、鼻水と涙で汚いのに、瞳はとても美しく輝いていた。
「伊作」
呼ばれた声で目が覚めた。白昼夢を見ていたようだ。
「乱太郎はみかんが好きだと思う?」
「・・・・・・その分量あげるの?」
彼の腕の中にはみずみずしいみかんの小山が出来ていた。
「・・・・・・やっぱり少なかったよね」
「いや、多いよ」
「みかんばっかりじゃぁ、つまらないか。これでどうかな?」
「どうかなって、リンゴと栗とかどっから出したの」
「伊作は小言が多いよ」
むくれた彼の姿は、夢の記憶と変わらず、美しく中性的だ。
いや、大人になって色気がました。
彼のサラサラとした黒髪が、何かするたびに動く。
僕はそれに触れようとしたけれど。
「先輩」
足音も隠さずに、元気いっぱいに入ってきた後輩の乱太郎に邪魔された。
「乱太郎」
そういって笑ったの顔は、昔、彼が生きていたときので、
僕は拳を握りしめた。
保健室には、もうはいない。
これから、乱太郎ときり丸としんべえと四人で、お使いにいくのだと。
だとしたら、あの量にも納得出来る。
ふふと笑みがこぼれた。
僕は、名前を呼んでもらうだけで、二年かかった。
僕をみかけて、寄って来てくれるまで、一年かかった。
その時はまだあの子がの傍にいて、
泣いて怒っているにオロオロするだけの僕と違って彼はを支えていた。
大丈夫だと辛抱強く、時には母性も加わって、
彼に微笑みかけるの姿に、僕では駄目なのだと諦めの境地に立たされ、
二人の間の強い絆を再確認するばかりだった。
最初から彼等はそうだった。は最初、い組だった。
でも、半年で、ろ組に変わっていた。
理由はをなだめることの出来る人物がろ組にいたからにすぎない。
二人は組の境目すら手をとりあって破ってきた。
それに僕が敵う訳ないのだと自嘲気味に笑ったものの、
僕はに触れたくてしょうがなかった。
傷つけられることを恐れずに立ち向かっては、
泣いて怒って、愚直なまで真っ直ぐな彼に、
僕自身ですら泣けなかったことを怒れなかったことを、
してくれた彼に、惹かれずにはいられなかった。
あいつの二番目でもいい。
そう思っていたのに、とあいつの間にあったのは、
友情だけではない事実を知ったときに、僕は全てを壊したくなってしまったのだ。
これは僕の懺悔であり、後悔だ。
あの日、あいつがやってきた。
僕はその数日前に、と彼の触れるか触れないかの口づけを見てしまって、
あの端正な顔が、赤く染まる様を見てしまっていた。
目の前の人物は憎々しいだけの人物。
その人物が止血剤をと言ってきた。
任務用が入っているのだと言っていた。
その日、丁度新野先生がいっらしゃらなかったから、仕方がなく僕に言ったのだ。
だって、僕は保健委員で、不運委員で、
そしてなによりもに惹かれていることを彼は知っていた。
知っていたから、何度も何度も僕との間に立ち入り、
思いを告げる前に穴に落とし、贈り物を渡す前に穴に落とした。
彼はだけに優しかった。
いや、本来の彼は、優しいとの言葉にかけ離れた人物だった。
救いを求めている人が以外であれば、容赦なく手を払うような人物だった。
だからなお、僕は彼が憎かった。
あの美しい人がこんな男に汚されるのが我慢ならなかった。
そんな僕の気持ちを知っていて、なおかつ用心深い彼は、
本来なら僕に薬をなんて言わない。
きっと、浮かれていたのだろう。を手に入れれたことに。
忍びに隙は命取り。
僕は感情を押し殺し、いつもの顔で、
薬の瓶を取ろうとして、ちらりととなりの瓶を見た。
となりのは、ただのビタミン剤だった。
僕は、そのとき、心の中にあった獰猛な狼を放った。
・・・・・・これは、懺悔である。嘘を言うのはよくない。
放とうとしたが正しい。
僕が渡す前に、彼は焦れて、勝手にその瓶をとっていってしまったからだ。
僕はちゃんと止血剤の瓶を持っていたのに、
彼が勝手にビタミンの薬を持って行ってしまった。
彼なりの警戒だったに違いない。
だったら、僕を過大評価しすぎだ。僕は小心者。
もしも、君にビタミン剤を渡せる勇気があれば、
を手に入れれることができたはずだ。
そして、彼は死んだ。
もしも、僕があの時、それは違うと言っても、彼は聞かなかっただろう。
基本人を疑っているのだ。
僕が言っても言わなくても彼は死ぬ運命だった。
だったら僕の懺悔はなんだろうか。
それは、彼にビタミン剤を渡すことが出来なかったこと。
後悔は、彼の死で、との間の壁が厚くなって、が怒りも泣きもしなくなったこと。
を手にいれるために、何もしなかった僕は、あいつがいなくなっても
やっぱり何も出来ないで、ただただわがままで自分を守るの側にいるだけだった。
6年になった。はい組になっていた。
ぼうっと死んだような目をしているが珍しく息を弾ませて、
ある人物を紹介した。
1年生で、あいつと同じ髪と目と雰囲気を持っていて、
一瞬、ああ、嫌いだなと思ってしまったのだけれど、根本が違かった。
きり丸は、優しくなくはなかった。むしろよく人を見ている子だった。
きり丸といるは少しずつ亡霊を忘れていくようだった。
不思議と悔しくなかった。
どちらかと言えば、良かった。これでが元に戻ると喜んでいた。
きり丸は所詮、あいつの身代わりだと思っていたから。
だけど、姫野さんが来て、状況が変わった。
まず、い組の彼等が、姫野さんに嫌味ばかり言うを責めた。
怒りながら、そうだろう?という文次郎に留さんまでも頷いた。
うん。分かってる。分かっているよ。
僕らは二年間必死に、を元に戻そうとした。
忍びの卵の中で、一番忍びに向いていないと囁かれるほどの
愚直なまで真っ直ぐなの姿は、人を殺すことを生業とする僕達の世界で、
美しいものに見えたんだ。
だから、に触れたいと思っていた。
でも、その壁をこえれたのはきり丸だけで
つまり、僕らもと同じ。
この世界を知らない姫野さんをの身代わりにしていた。
僕はみんなより、身代わりの虚しさに気づくのがはやくて、
姫野さんから顔を背けたときには、
全てが終わって、全てが始まっていた。
乱太郎。僕の保健委員の後輩で、可愛い可愛い1年生。
彼がと一緒にいる姿をみて、
体中の全ての血が逆流したような気持ちを味わった。
姫野さんといて楽しかった時間をすべて罵倒して、僕はあてもなく走った。
ついた場所は、一面のクローバ畑。
毎年は四つ葉のクローバを、あいつの死んだ日に墓に飾っていた。
そのことを知っていた留さんが軽い嫉妬で、
前の日に、用具委員を集めて根こそぎとっていた場所。
くだらないことをするよねと呆れながら、
その夜の日、泥だらけになって帰ってきたを見て、
留さんの食べ物に下剤を混ぜた。
今思えば、下剤じゃなくてもっと凄いのにしとけば良かった。
そんなくだらない嫉妬が僕からを奪っていった。
乱太郎が、を好いていたのを知っていた。
僕と同じ表情できり丸と二人いる姿を眺めていたからだ。
ああ、それなのに。それなのに。
今、のそばにいるのは、乱太郎。
その原因になったクローバを僕は足で踏みつぶした。
日に日に近くなっていく二人の距離に、
僕は、乱太郎に言ってきかす。
は碌でも無いと優しくないとだからやめておけと。
だけれど、乱太郎は、優しいですと頑なだったから、あの目は
どういう意味で僕が言っているかの本意に気づいていた。
だったら、もう乱太郎は無理だ。
それなら、留さんを巻きこんで、乱太郎の周りから攻めることにした。
しんべえは、うまく働いてくれた。
は乱太郎の手を離して、背を向けた。
僕はそれで終わりだと思った。
ぴっしゃりと閉められたの絶対領域。
その中には、僕らですら入っていけなかったのだ。
たかだが、1年生が入っていけるわけがないとタカをくくっていた。
結果。
は変わった。
姫野さんと会っても喧嘩をしない。
横にいる乱太郎が、無闇矢鱈に喧嘩をするのは良くないですよと言ったせいらしい。
意味があればいいのかと思ったらしいけど、考えてみれば、
なんで姫野さんに苛立つのか忘れてしまったようで、どうでもよくなったに近い。
乱太郎が三人でいるときは邪魔はしない。
理由を聞けば、三人でいれる時間はとても貴重なものだろう。とのこと。
あのが気を使えるなんてと目を見開いた覚えがある。
それだけじゃない。
前ちょっとした喧嘩の理由など、乱太郎がわがままを言わないのが悪い。
僕が、叶えられないとか思ってるのかな。だ。
は変わった。
あれほどまで嫌っていた人の手を、自ら掴む。
乱太郎の手を取り、微笑んでいる姿は、
いつかみた自身の顔のことなぞ気にしなかったときのよりも
穏やかで、凪いだ波のようで、僕は涙が止まらなかった。
僕と乱太郎はよく似ていた。
触れたくても、動けなかった。
壁の外側にいつもいて、その壁を撫でるだけだった。
僕の何がいけなかったのか。
僕はどうして乱太郎になれなかったのか。
答えは簡単。
乱太郎は、全てをかけた。
僕はあの日、ビタミン剤の瓶を持って、
ただ口を開いているだけでまったく動いていない。
負けて当然なのに、おかしいよね。
僕はまだが・・・・・・・。
の就職する場所は、ここらしい。
理由なんて簡単。
乱太郎がここにいるから。
笑みすら込み上げてくる。
今度は、組みじゃなくて、年すら越えようというんだね君は。
君のわがままにはほとほと疲れたよ。
・・・いや、君はわがままなんて言いはしなかったね。
君は馬鹿真っ直ぐだから、わがままっていうのが
どういうのか本当の意味を理解してなかったんだろうね。
わがままっていうのは、
なにもしないのに、嫉妬だけは一丁前で、
手放しに君の愛を求めた僕のことを言うんだ。
2010・1・7