くしゅんと鼻水が出た。
風が冷たく、体が震えた。
鼻をしゅんと鳴らせば、誰かの気配がした。
顔を上げれば。
「馬鹿だな」
その日は、綺麗な満月の晩で、
月は、いつもよりも大きくて、黄色より赤色がかっていた。
その真ん中で、狐の面を被っている男が立っている。
面を被って顔が分からないのに俺は誰か分かっていた。
「三郎、任務だったのか?」
血の匂いはしない。
いつも雷蔵の顔をつけているのに、今日は狐の面で、
下は素顔なのだろうかと、わずかに興味を引いたが、
ある事件が俺の頭の中に一杯つまっていて、
それに伴う、ぐるぐると吐き気をもよおすような感情が溢れていて、
三郎に向けた顔を戻し、自分の膝に視線を戻した。
「馬鹿だな兵助は」
二回言われてさすがに腹がたった俺は三郎がいた場所をみれば、
思ったよりすぐ近くの場所にいた。驚きを顔に隠し、そのまま問う。
「・・・なにがだ?」
「立花先輩にすれば良かったんだ」
三郎が何を言っているのか、
「綾部にするから間違えだったんだ」
分からなかった。
ただ狐の面の下には、やっぱり、雷蔵と同じ顔をした三郎がいた。
「おまえは酷い男だ」
そういえば、目の前の男は眉間にシワを寄せた。
何を言っているんだお前はという目で見てくる。
何日前に俺が綾部を手引きしたことに激怒した
同室者にして、同級者にして友人のは、
今日も今日とて俺の豆腐をワサビだらけにしている。
一週間、野宿させられ、総無視して、
食べる豆腐を、腐っているものと交換されてなおか。と思うものだけれど、
私の清らかな体を汚された。おまえのせいだ。
修羅場なんて、どろどろしてても、キャットファイトが好ましい。
男同士の静かな争いに私を巻き込んでくれやがって、
知りたくないことも知ってしまったわ。その賠償としてこれはぬるいぐらいだ。
私が素晴らしい人間だと思い知れ!!と愚痴愚痴言ってくる。
男なんだから、一回くらいいいじゃないか。女々しいと思うのだけれど、
勘ちゃんに言えば、
「いや、それはどうみても兵助が悪いから。
ほら、は女好きで、男といたすときは、
世界が滅亡してもヤダって言ってたじゃないか」
と苦笑された。
そう。そうなのだ。
だから、酷い。お前は酷い。
長い沈黙の間に、もう一回言う前には、
俺に殺気をこもった目で言った。
「酷いのはお前の思考だ」
が出ていき一人になった部屋の中で、
俺は口に出来なかった二度目の酷いをぽつりと言った。
。
お前は、ずっと女しか好きじゃないと言っていたじゃないか。
一緒にいた五年が短いとは思えない。
実際、お前はずっとそうだった。
女の子ばっかりで、男の熱が篭った視線なんて気づかず、
襲われかけても、見かけと反した体育委員の体力でねじ伏せてきた。
いや、お前は襲われていることも、性的な意味を含んでいることすら
気づいていなかったはずだ。
お前にとって、男は女と!!
そうであったはずだ。
だから、俺は。
タカ丸さんがが好きなことは分かっていた。
俺が好きになる前からが好きだということに気づいていた。
俺を気にかけるのは、がいるからだって、知っていた。
だからを連れていった。
女好きで衆道嫌いなだけど、もしかしての保険に、
俺はタカ丸さんが好きだと言った。
そういえば、は、友情深い奴だから、盗ることはない。
嫌がるあいつを毎度つれていけば、ぱぁっと顔を輝かせるタカ丸さん。
好きな人には幸せであって欲しいと願う。
しかし、俺の目から見ても、
タカ丸さんの猛烈アピールには嫌な顔をしていて、
失礼な話だが、タカ丸さんの恋は実らないだろうと思っていた。
好きな人だけど、幸せでないことを願う。
この二つの思いを混ぜこざにして、俺とタカ丸さんとと三人でいた。
複雑怪奇な感情を持っているのに、俺は幸せだった。
このまま三人であり続けばいいと思っていた、
けど、4年の色の授業が始まるのを噂で聞いた。タカ丸さんは4年だった。
彼がどう動くのか分からないけれど、彼にはそれを利用する狡猾さがあった。
まずい。どうする?どうすればいい?
そう思って歩いていれば、穴を掘っている綾部に出会った。
相変わらず無表情で何を考えているか分からない奴で、
大きな目が俺を見続ける。
俺もその瞳を覗き込み、ああ、そうだと閃いた。
俺は綾部を利用することにした。
綾部がを見ていることを知っていた。
綾部の顔は学園一女顔だった。これはの女好きへの配慮だ。
俺の持ち出した話に、綾部はこくりと頷いた。
俺は、タカ丸さんが好きだ。
だから、薬を盛った。
俺は、タカ丸さんが好きだ。
だから、縄を縛った。
何度も何度もタカ丸さんが好きだと言いながら、部屋の襖を閉めて、
風呂あがりのタカ丸さんに、
が朝髪を結ってくれって言ってましたよ。と一声かけた。
そうして、朝。事件が起こった。
俺は、事件をしかけた人物なのに、嘘だろうと衝撃を受けた。
俺は、タカ丸さんが、普段から低血圧で朝は機嫌悪く、
しかも昨夜襲われたことでなお不機嫌になっているだろうに、
出てけ、二度とこの部屋に来るな!と言われて、シュンとなっている姿を慰めて、
馬鹿な計画を立たせないようにするつもりだった。
薬を盛られても、縛られても、なら全部全部どうにかなる。
そう思っていたのに。
お前は酷い。
今も、世界は崩壊なんてしてないし、今日も明日も変わらない。
それなのに、は綾部を受け入れた。
俺の横で、男は絶対ありえないと言っていたのに
・・・は、は、酷い男だ。
2010・10・28