「失礼します」
教員室を出ると、入った時よりも太陽が傾いていた。
今回の事件は、の怪我が大したものでなく、
一対一で、武器なしの純粋な殴り合いだったたけ、
それほど酷い罰を受けることはなかった。
曰く、青春にはありきたりなことらしい。
でも授業をつぶしたのと、敵でも授業でもなく相手が無抵抗なときは、
攻撃しちゃだめだぞと、小言を言われた。
教員室の扉から少し歩くと、自分と同じ色の忍服が見えた。
同じい組の尾浜 勘右衛門、勘ちゃんと
あだ名で呼んでいる友人が俺を待っていた。
彼の独特のうどんのような髪の毛が揺れた。
「兵助」
勘ちゃんは眉毛を少し落として悲しそうな困ったような顔をしていた。
俺は何を言っていいのか分からず、勘ちゃんの肩に頭をのせた。
「・・・・・・・うん」
勘ちゃんは一言だけそういうと、俺の頭をポンと優しく叩いた。
じわりと溢れでてくる熱いものは、甘くもなくてしょっぱい。
昔からの泣き虫な俺は、
泣いて泣いて口にの中にはいってしょっぱくてまた泣けてを繰り返していた。
みんながまた久々知かよと呆れる中、俺に布巾を渡して、
綺麗な顔が、ぐちゃぐちゃだ。勿体ない。
と言ったのは俺より白い腕だった。
「」
俺の小さな呟きに、またポンと頭を優しく叩かれた。
落ち着いた俺は、勘ちゃんに背に寄りかかる。
目の前を見れば、見覚えのあるものたちが並んでいた。
いつの間に自室に戻ったのだろう。
俺のじゃない机を見れば、空っぽ。
殴ったのは俺で、保健室送りにしたのも俺なのに
いないことに腹立てている俺に、もう笑うことも出来なくて、
後ろにいる勘ちゃんに向けて話す。
「俺、タカ丸さんが好きだ」
「うん。兵助はタカ丸さんが好きだね」
俺の言葉を勘ちゃんが復唱する。
2・3回言った俺の言葉に勘ちゃんは同じように言う。
ようやく俺は、白い腕で、無理して笑っている奴じゃなくて、
女好きなくせに綾部に抱かれた奴じゃなくて、
金髪、独特の猫のような笑みを思い出して、
気づかないうちに握り締めていた拳を開いた。
「勘ちゃん」
「なに」
「に謝る気は俺ない」
「そう」
「は酷い男だから、俺は悪くない」
「うん」
「でも、は馬鹿だ。あんな顔して笑ってるなんで馬鹿だ。
泣けばいいのに」
「でも、兵助は泣いて欲しくもないんでしょう?」
「・・・・・・」
俺は・・・。
今眼の前でが泣いている。
綾部が好きだと認めて泣いている。
「よく頑張ったな」
俺の言葉は、への、そして俺への。
飛ぶ飛ぶ飛ぶ飛ぶ。
俺の視界がすごいスピードで動いている。
何本もの木にくくられている黒白と重なり合わさっている的の中心に、
クナイと手裏剣が刺さる。
汗の玉が横をかすったが、俺はただ目の前の物体を壊すだけ。
ガッと体全身の力をこめて刺したクナイで、的がまっぷたつに壊れた。
「荒れてるねぇ」
人を馬鹿にしたような声に振り返らず誰か当てる。
「三郎か」
「そう、三郎くんです。なんだ兵助。に何か言われたか?」
「なにも」
「なんでもない?くくっ、大方が綾部が好きだとかの話だろう?」
三郎の言った言葉は事実だけれど、
の泣いている姿を思い出して、腸が煮えくり返る。
黙れという意味を込めて三郎を睨めば、三郎は肩をすくめた。
「おお、こわ。そんな目すんなよ。がそうだったのは、
みんな知ってることだ。むしろ、喜べよ。それがようやく過去になったんだ」
「何が言いたい」
「になにかしたいなら今がチャンスってこと」
「・・・・・」
「兵助、素直になれよ。
じゃないとああいうタイプは面倒くさいもんだよ。
ああ、でもお前が動かなくても、ほかが動くそれだけだったな。
余計なことを言った。じゃあな兵助。」
先程までうるさいほどの存在感は霧のように消えた。
誰の気配も感じなくなったとき俺は呟いた。
「チャンス」
でも、なにがチャンスだというのか。
だって、俺はタカ丸さんが好きなのだ。
あんな綾部のために泣く男なんて好きじゃない。
「こんにちは。立花先輩、実習ですか?」
「こんにちは。今日もは可愛いな」
日常的な会話に、日常的にスキンシップ。
「はは、先輩は汚れても綺麗っすね」
私はそういって一回回ると立花先輩の手をかいくぐる。
だが。
「そうだ。私は美しいというわけで、
今日はなにがなんでも付き合ってもらうぞ?」
がっと腕を掴まれた。
なにが、というわけなのだろうか。
断ろうとしたら、無理やり連れて行かれた。
作法委員に必要な道具を買いに行く、
次期委員長が知らないでどうするとも言われた。
いや、だから私は体育委員ですってと何度言っても、
有無を言わさない笑顔といつも以上のゴリ押しに根負けし、
とうとう私は外へ立花先輩と出かけることになり、今に至る。
「・・・・・どうだ?」
「はぁ、美味しいっす。けど、これが入用ですか?」
私と立花先輩は一つの机に向い合って
お互い違う甘味を目の前においている。
口にいれるとほのかな甘みの黒糖が、寒天にかかって美味しい。
私があんみつの手を止めないことに
立花先輩がじっと私を見つめて嬉しそうな顔をしているのが
居心地が悪い。
「食べないんですか?」
そういえば立花先輩はようやく自分のわらび餅を口にした。
「美味しい店を知っている男は総じてモテる」
「ははは、ありがとうございます。立花先輩」
立花先輩は自分が無理やり付きあわせたのだからと言って、
ご馳走してくれた。
私は、立花先輩の目的が委員会の買い物でもなんでもなく
慰めてくれていることに気づいた。
ありがとうにたくさんの意味が入っていることに気づいているだろうに、
立花先輩はテレるでもなく要求した。
「そう思っているなら、苗字じゃなくて名前を呼んで欲しいものだ」
「仙蔵先輩」
「・・・・・・・・」
「あ、あれ、なんで沈黙するんですか?私間違えてました?」
「・・・いいや、当たっている。当たっているが、言ってくれるとは思ってなくて」
「私どんだけ嫌な後輩ですか」
「だったら、作法委員長になってくれ」
もしかして、先輩の無茶な要求は照れ隠しなんだろうか。
そう思うと段々仙蔵先輩が可愛らしく見えてきた。
口元がゆるみながら、私は立花先輩の言葉に返す。
「私には委員長とか人の上に立つ資格はありませんから」
「何をいう」
「え」
「私が、なれるといったらなれるのだ。
なれないと思っているなら、なれるようにしてやる」
目が真剣で、また知らない仙蔵先輩の面に驚く。
「仙蔵先輩って思ったよりも熱血ですね」
先輩の熱血に、自分の冷えたところが反応する。
今、自分は疲れているのだと思う。たくさんの感情が爆発して、
収縮して、優しくされているのに。
「じゃあ教えてくれませんか?」
優しくなれない。
醜いな、と思いながら、口にする言葉を止めない。
「失恋したときはどうすればいいんですか?」
案にあんたのところの後輩にという意味があったのだけれど、
仙蔵先輩は私の醜さをぶった切った。
「私は失恋などしない」
「・・・そうですね」
冷えた。もう帰りましょと言う前に仙蔵先輩は続けた。
「だが、新しいことに目をむけてみるのも手じゃないか?」
「新しい?」
「例えばな、私と付き合ってみるとかどうだ?」
なんだ。と心のなかで思う。
私の冷たくなった部分が嘲笑する。
この優しい人を凄くなじりたい。
「仙蔵先輩。それでは無理ですよ」
「・・・・・・私への挑戦状か?」
「運命って信じますか?」
「・・・・・青臭いな」
「そうでしょう。乙女と童貞が好きな言葉です。
私だって立花先輩と同じように思います。
いや、思いたい。
運命も宿命も全部人が勝手につくった、便利なものだってそう思いたい。
でも、悲しいこと、あるんです。運命って。
綾部と私は運命なんですよ。絶対付き合うことのない運命」
私の攻撃に立花先輩の顔は変らない。
「馬鹿らしい」
「・・・」
失望した。この人ならと思ってしまった自分に失望した。
もう何も言うことはない。
これからは距離をおこうと思って、立ち上がる私の腕を掴む。
立花先輩は真剣な顔をしていた。
「運命なんぞ、いくらでも創りかえれる。
神が運命を作ったというなら、神様は何億もの人を見てるから、
一人にかける時間なんぞ短い。隙を狙って運命をかえろ。
お前なら出来る」
何を言われたのか分からなくて、分かった瞬間、口から声があふれた。
「ふ、ふははははあはははあ」
「・・・なんで笑う」
「いや、だって立花先輩が神様とか面白いって」
「こっちは真剣にだな」
立花先輩がなにかいっているがツボにはまってしまった。
笑いが止まらず、周りの人がなんだなんだと見ている。
はーは、と過呼吸になった私に立花先輩は水を渡した。
「ふふふ、ありがとうございます。立花先輩」
「・・・・・・はぁ、まぁいい。
それと私の名前は立花じゃない。仙蔵だ」
「あ、あれ、戻ってました?なかなか慣れませんね」
「朝、一番に会ってやる。そしたら忘れれないだろう?」
「私の起きる時間知ってるんですか?かなりまちまちですけど?」
「会ってやるというのは、おまえも私に会う努力をしろってことだ。
分かったな?これが私のありがたい言葉の礼だ」
そろそろ出るぞと立ち上がる理不尽な要求をする仙蔵先輩に、笑みが溢れる。
そして、来る前よりこころもち心が軽くなったことに気づいた。
いっぱいいっぱいで周りがまったく見えてなかった私の視界が少しだけ開いた。
だから。
「だから、私が綾部の運命にとやらに負けるわけもない」
と、つぶやいていた仙蔵先輩の言葉は聞こえるはずもなかった。
2011・6・6