それから、僕と彼の距離は、遠くなっていく。
彼は僕を見るとなにか言いたげにするけれど、口を開くだけで、
何も言わない。
言われたって、僕は何も言うことは出来なかったけど。
ちょっとずつ離れていく終りもあるのだなと、
ふっと自嘲気味に笑った。
そのうちに、彼は僕のところへ来ることがなくなって、
彼の姿は、ちらほらから、見なくなった。
どうしていいのか、分からない苛立が募って、
だけれど、前のように女の子を抱く気になれなくて、
一人、部屋の中でぼうっとしている日々を過ごしていると、

「タカ丸」

父親が立っていた。いつ部屋に入ったのだろう?
父は、壁に寄りかかっている僕に視線を合わせて腰をかがめると、
思いっきり、殴った。

「な」

「じっとして腐るくらいなら、手が腐るほど鋏を持て」

父の瞳は、僕を映し出していた。魚の眼をした、
気迫もなにもないクズのような人が映っている。
それに比べて、父は、なんと輝かしい目をしていることか。
僕は、自分が恥ずかしくなって、縮こまると、父は、僕の手のひらに、
固く冷たいものを乗せた。

「お前は、これがすべてだろう」

それは、初めて父から貰った鋏だった。
手に入れた時、凄く嬉しくて、キラキラ光っていた僕の宝物にして、
慣れ親しんだ相棒は、手入れをサボっていたはずなのに、
美しく光っていた。

「あ」

それがどういうことか分かって、僕は静かに涙した。
父は、僕をずっと待っていてくれた。
僕が、前のように、仕事場に戻ってくる日を。
今度は、父を失望しないように、僕は鋏を動かした。
没頭していくうちに、僕は、彼をすこしずつ忘れて、
僕を指名するお客さんも増えて、
最初忘れたのは、輪郭だった。
次に忘れたのは、顔だった。
最後まで消えずに、残っていたのは、「タカ兄さん」と呼ばれた声だった。

風の噂で、彼がどこかの学園に行ったことを知ったけれど、
まさか、ここにいたなんて。
ああ、それにしても、暑いなぁ。
と顔をあげれば、徐々ににじみ出てくる輪郭。
口、鼻、目、眉毛、髪の毛。

「大丈夫ですか?タカ兄さん」

声が僕に記憶よりも少しだけ低くなっているけど、彼は変わらず彼であって、
ようやく忘れられた最悪な記憶が蘇ってくる。

「な、んで」

「こんなところで、倒れていれば気にしますよ。それに、タカ兄さんなら、なおさら」

僕は、あの後、そのまま倒れていたらしい。
木陰で、額に濡れ布巾がおいてあった。
斉藤さんは、どうしたの?
僕とは、はじめましてでしょう?とか、
色々言いたいことはあったのだけれど、

くんは、僕に失望する?」

あの時、怖くて聞けなかったことを、口に出していた。
そう。僕は、複数名の女とそういう関係で、
しかも全部遊びで、くんが思っているような
立派な兄像を崩してしまって、失望させた。
君の口から、否定の言葉を聞きたくなくて、それでも
自分の本当の思いを口にするのは、僕は、弱虫すぎて出来なかった。
本当は、ちょっとだけ、あの男に憧れていた。
はっきりと好きだと言える男に。
くんは、きょっとんとした顔をしてから、
昔、僕によく見せていた笑顔で、

「タカ兄さんは、いつでも、どんなことしても、俺の中で最高の兄さんですよ」

と言った彼に、泣きそうな感情を耐えて、僕も笑った。
ようやく、今、僕は自分のあるべき姿が見えた気がする。
とんでもなく遠回りをしていたけれど。
と、和やかな雰囲気で終わろうとしていたところに、
いきなり黒いものがくんに抱きついた。

くんこんなところにいたんですか」

「・・・・・・な、なんであんたがいんの?」

見れば、あの時の男が、くんをがっしりと掴まれている。
くんは、その行為に別にどうも思わないで、そのままの状態で、
僕に説明した。

「あっ、言いませんでしたか?こいつは、忍術学園の教師で、
かなりしつこく勧誘してきた奴ですよ」

「か、勧誘?」

「そうなんですよ。美味しいものより、もっといいものをあげましょう。
とか、子供相手に、変な勧誘するし、しかも忍びの学校だなんて、
流石に引かれると思って、なかなか言えなかったんですよね」

あの時、まごついていたのは、まさか、そんな理由?

「酷いですよ。くん、あれは愛の告白ですよ」

「黙れ。愛の告白という名の私益だろうが。
お前の目的が、俺の甘味の腕だったことはお見通しだ」

あ、頭が痛い。
僕は、濡れ布巾を額に、ぎゅっと押し当てて、手をあげた。

「・・・・・・くん。ちょっとだけ聞いていい?」

「はい、なんですか」

「あのさ、あのその僕と女の子がさ」

もしかして、あの時のことも、僕は、勘違いしていたんじゃ。
と聞くと、くんは、ちょっと困った顔をして。

「あー・・・まさかの課外授業とか、びっくりしましたよ。
女の人に事前に、教えてあげるとか、言われたんで、
なんのことかと思ってましたけど、
まさか、入ってすぐに、男女の営みとか、びっくりですよ。
たしかにあのくらいの年頃に教えることかも知れないですが、
ちゃんと答えを頂戴って言うのが。
・・・その、俺、驚きの方が強くて、まったく見てなかったんですよね。
答えられなくてすいません。
追加するなら、まだ童貞なので、やっぱり答えられません」

・・・・・・どんだけ、回り道をしているんだろう。僕は。
しかもこの道、半円を描いているだけで、前の道から進んでなかったりしている。
僕の、唖然とした顔を気にせずくんは話を続けた。

「そのうち、このストーカーもどきに無理やり忍術学園に入れられて、
イケメン・・・もとい男の園で、暮らして今に至りますけど。
せっかく、タカ兄さんが、知らない振りまでして、
俺の答えを先延ばししてくれたんですが、
俺、やっぱり、あと一年で答えがでるか分からないんです。
やっぱり、イケメンは死ねって思いました。
い、いや、タカ兄さんは別ですよ。別!!
言うなら、団子は団子でも、三色団子みたいな。
・・・俺に、失望しましたか?なに分、タカ兄さんみたく、モテないんで」

なんだ。それは。
やっぱり、彼は変わっていなかった。いい部分も悪い部分も何もかも。
そうして、僕は、根本的な彼の性質を忘れていた。
そういえば、良くも悪くも人を勘違いさせることに関しては、得意としていた。
まさか、自分もそんな罠にはまるとは。

なんだったんだ。僕の悩み。
なんだったんだ。僕の数年。

ガックリきている僕に、彼は悲しそうな顔をして。

「い、いまから、頑張ってきますから、
もう、誰でもいいから、抱いてきます。よし、誰か、抱かしてくれ!!」

「ま、待って、くん。容易にそんなこと言うと、大変なことだか」

ら、を言って大声で叫んでいるくんを止める前に。

「俺を呼んだか?」

草むらの中から、兵助くんが現れた。

「呼んでないし、なんでいるの兵助くん?!」

「大丈夫です。私もいます」

「抱かされるよりも、抱きたいです」

一人が、三人に、増えた。
たった一回の雄叫びで、一瞬で集まるなんて、忍び凄い。
と、テンパリすぎて、変に冷静な感想が浮かんだ。
はっとそうじゃないと気づき、僕はよく見知った彼らを指差す。

「滝くんに、喜八郎くん。ちょ、ちょっと、くん、ここでも、陥としたの?」

「落とすって、俺は、穴を掘りません」

「そうです。私が掘ります」

と、なぜかふんぞり返って、喜八郎くんが、宣言する。

「そういう下ネタはいいから!!」

「ふっ、みなさん甘いですね。私とくんは、デスティニーですよ。
この機会逃しません。いい仕事しましたね。斉藤 タカ丸くん」

グッジョブと、親指を立てて、ウインクする男にサブイボがたった。

「どうしよう。タカ兄さん、久々知くんがべっとりしてくる。暑いというか、
なんか豆乳の匂いがする」

「この良き日に、体を清めるなら、豆乳だろう?」

なにそれ?もはや、珍事だよ。兵助くん。
突っ込みどころが、多すぎて、思考が纏まらない。
だけど、僕は、早急になにかしなくてはと思い、くんの手を掴んで叫んだ。

「君は、僕が守ってあげる!!いいね」

そうして、物語は、やっぱり最初に戻った。
きっと、こうなるべくして、僕らは出会ったんだろう。








2010・6・16

どうにかタカ丸編完結。
勘違いをよくされるけど、その逆に勘違いしていることもあるはずと
思って書きました。
基本、主人公は、タカ丸に対して、いいようにとる傾向にある。
そしてその勘違いの尻拭いは、なぜかタカ丸がするというなんとも悪循環。