視線に気づいて顔を上げると、
いつでも彼女が私を見ていた。
目が合うと、にっこり笑い、瞳を輝かせて、土井先生と手を振った。
好かれていることは分かっていた。彼女は分かりやすい。
好かれていれば、好きになるのは当然で、
教えることが少なかったものの、
担当している火薬委員の一員だった彼女は、可愛い生徒だった。
私の彼女への好きは、1年は組のものとかわりがなかった。

「好きです。恋人になってください」

真っ赤な顔して彼女が告白したとき、
とうとう言ってしまったと自分の力量のなさを恨んだ。
先生と生徒だから、と壁をもっと厚くすれば良かった。
憧れで、本当に好きな人が出来れば忘れるものだと教えればよかった。
いや。
否という答えを出す前に、私は思ったのだ。
彼女は私が否と言っても、また何度も向かってくるだろう。
彼女のアピールをそこそこに拒否しつづけてきたから分かる。
むしろ、否ということで、もっとガンガンに攻めてきそうだ。
完全に拒否すればいいだけの話だけれど、
最初も言ったように、私は彼女が嫌いではなかった。
可愛い生徒だと思っている。
それに、彼女はもうすぐ、就職の大事な季節だ。
彼女の話では、今も、初恋をずっと続けているらしい。
つまり、私だけしか見てこなかった学園生活、
もしここで私が彼女を完全拒否したなら、どうなるか。
・・・・・・・。

しょうがないと、ため息を吐くのを押さえて、笑みをつくる。
「いいよ」

君が私と付き合って、私とのものが所詮憧れで、
忘れていくものだと悟るまで、あの門をくぐりここを出て行くまで、
おままごとに付きあおう。



そう、思っていた。


今、彼女は布団の上に、横たわっている。
息もゆるやかで、生命の危険はないと教えられた。
ことは、学園長の暗殺を企てた忍びが、
きり丸を人質にしようとしたところ、
が、きり丸をかばい、忍びの命を途絶えさせ、自ら負傷した。
彼女の顔半分は包帯で隠れている。
報告をしてくれたきり丸は、私の横でぎゅっと袴を握りしめて、
床を見続け顔をあげない。
は組のみんなを送り返して、ここには私と、きり丸と、寝ている彼女だけだ。

「俺・・・先輩に酷いことばっかした」

ぽつりと、は組のみんなが何言っても、
慰めても何も喋らなかったきり丸が呟いた。

「なのに、俺を助けてさ。それなのに、俺、この人の手を振り払ったんだ。
助けてくれたのに、怖かったんだ」
「きり丸」

きり丸の肩を叩くと、きり丸は堰を切ったように、涙を溢れさせ、
が寝ている布団にすがった。

「ごめ、ごめんなさい。ごめんなさい。先輩」

わぁわぁと泣きじゃくるきり丸を、ずっと心配して保健室の前で待っていた
乱太郎としんべえに預けた。
はいつもよりも幼い顔で眠っていた。
いや、ちょっと前のだ。
この頃のは、少々大人びて、迷惑をかけっぱなしだ。
私から言っておいて約束を破った時など、は笑って。

「先生は一年は組を愛してるんでしょう?
大切なんでしょう?それは誇るべきことでしょう?なんで私に謝るの?」
「なんでって、楽しみにしていたじゃないか」
「そうだけど、私は先生が楽しんでくれれば楽しいから。
気にしながらこっちに来られる方が、気になっちゃうよ。
だから、ごめんはいらない」

そうはっきり言われた。の髪を軽く撫でた。
は、無理をしているような気がする。
前のなら泣いてわめいて物を投げて、感情を顕にするはずだ。
この頃のは、聞き分けが良すぎる。
どうしてか。憧れと好きとの区別がついたのか。
の髪は柔らかくふわふわで、さわり心地がいい。
それなら、私とのこの関係は終りになる。
だけれど、がそんな風になったのは、今よりももっと前で、
その間、別れたいなど一言も言わなかったのだから、その可能性は低い。

「なんなんだろうな」

それよりも、私はに責任をおわなくてはならない。
女の身で、顔を怪我させた原因は、私の生徒で、息子なのだから
この言葉を言えば、から逃げれないことは分かっていた。
教師と生徒も、壁も全部なくなってしまう。
は、今でも私にとって可愛い生徒だ。
でも、そうであってもいいかと半ば諦めていた。
にはたくさん迷惑をかけたし、私は誰が好きでもないし、
も喜ぶならもういいかと思っていたのに、

「嫌だよ」

の言葉が頭に鈍く響いた。
なぜ?が頭の中に増えていく。
私はなぜ、ショックを受けているのだろうか。
どちらかというと、断られたほうが私には良かったはずだ。
なのに、なぜ?
どうして、自分は

「好きだと言っても?」

食い下がるのだろうか。
彼女はそんな私に微笑んでいた。
その微笑みは彼女が大人びたときからの笑みで、
最初は好ましいと思っていたのに、今は、そうは思わない。
感情表現豊かであったはずなのに笑みに隠されて全然分からない。
じっと読み取ろうとすると、は思ってもみなかったことを言う。

彼女は、全部知っていた。

いつかのあの日、私のことを半助と呼ぶことをやめ、
先生と呼び始めたあの時から、気づいていたのだろうか。

「私この後の未来でもずっと先生のこと好きだったよ」

私は何も言えなかった。
彼女は私に早く出ていってと目で訴えてくるから、

「じゃぁ、バイバイ」

足を伸ばし、保健室から出た。
だけど、そのまま部屋に帰る気にもなれず、
気配を消してそのまま屋根裏にあがった。
彼女は、声を殺して泣いていた。

じわりじわりと胸に押しおせてくるむず痒くて、たまらない思いが、
紙が墨汁を滲み込むように広がる。
は、可愛い生徒で、私は、彼女が望む恋人にはなれなかった。
悲しまさせないであげたかった。
それなのに、どうやら私は、ずっと、傷つけ続けていたようだ。
きり丸。私のほうが、ずっとに酷いことをしていた。












2011・4・22