時間が戻れば君に、私はなにが言えただろう。
温かな日差し、柔らかな匂いを感じて、
くるくると桜の花弁が、私の瞼の上にふってきた。
私の着ている白衣が風に揺れる。


昔、私は忍術学園のくのたまだった。
学園を出てから、研究のほうへ進んだ。
血なまぐさいものを見ずに、光すら忘れた暗い部屋の中で、
何に使うのかを知らぬふりして実験を繰り返していた。
白い服がいつの間にか、灰色になっていたことに気づかないほどの長い間、
実験をし続けていたようだ。
一段落したから、外に出ていってはどうだと
上司に言われなければ、気付かなかった。
外は春だった。
柔らかな日差しすらずっと部屋の中にいた私にとっては強いものだけれど。

「ねーもし過去をやりなおせたら。何がしたい?」

忍たまの1年生くらいの子の女の子が大人びていて、
意味のないことを男の子に聞く。

「んー。よく分からないや」

少年は満ち足りているのだろう。
私は。


――何がしたい?――


少女の声じゃない声が響いた。
さきほど感じていた明るさがすべて止まり、
少女も少年も田植えをしていたおじいさんも止まり、
桜の花弁が、地面につきそうでつかない。
鳥も飛び立つ途中の形で止まっている。
誰かがこぼした水が宙に浮かんでいた。

「なにこれ」

焦るものの研究者としての好奇心が、胸踊らさせていた。

「あなたは、もし過去をやりなおせたら、何がしたい?」

先程と同じ声が聞こえた。凛とした透き通った声。
声の方を見れば、
少女か少年か分からない格好をした仮面を被った子が、
私を指さして尋ねていた。

私は――――。





パチリと目を覚ますと、さらさらと筆をはしらせる音が聞こえた。
柱の模様に覚えがあって、もしかしてと、ガバっと起き上がると、

「どうしたんだ。、変な顔して」

整った顔に体、優しい笑み、ごわごわな髪、
なんで。

「っ・・・・・・土井先生?」
「先生って、二人っきりの時は、半助って呼ぶのに、どうしたんだ?」

土井先生の笑みを見て、ああと現状を理解した。
私は、戻ったらしい。あのかがやしく、憎々しい過去に。
そう。私は忍術学園の生徒だったとき、土井半助先生とつきあっていた。
先生と生徒のいけない関係だったわけだけど、
いたって健全で、体のつながりもなく、
みんなに、隠しておかなくちゃいけないだけの恋で、
しんべえとおしげちゃんのような仲だった。
この恋をなんて名付けよう。
幼い恋というには大人の汚さがあって、・・・ああそうだ。
「失恋」というのだ。


また私は繰り返すのだろうか。涙が出そうだ。
でも、もう大人な私は。

「私、やっぱり思ったんですけど、半助ってみんなの前で間違って呼んだら、
先生困るでしょう?秘密な恋がそんなことで終わらせたくないんで、
卒業するまで先生って我慢して呼びます」

というのだ。
これでもう私が、あなたを半助と呼ぶことはない。









私は子供で、先生は大人だった。
それが悪かった。でも、今の私なら?


1年は組の担任である土井半助先生を好きになったのは、
最初は単純に憧れだった。
これはみんな通る道で、ああ、私も土井先生好きだった時期あったわ。
と会話によく出てくる。
私の場合、彼女らよりも夢から覚めるのが遅かったのだ。
なによりも甘い夢を本物だと信じ、抱き続け、しょっぱくしてしまった。
誰が悪い?考えるまでもなく私。
なんで一番戻りたくない過去に戻ったのか、一晩考えた。
考えた結果、あの黒歴史を変えるため、
楽しく記憶をたくさん残すためだと結論を出した。
どうせ別れるならば、人に話したくないほど暗い過去よりも、
楽しかった、いい勉強したよと言いたい。
だから、私は大人の私でここにきた。ということにした。

「先生。また、洗濯物ためてませんか?」

積まれている洗濯物に、ため息を吐く。

「は組で、忙しくて」

肩をすくめている先生は可愛い。
前の私はここで、かまってくれないのを拗ねてごねた。
大人な私は、洗濯物を集めて微笑む。

「いいですよ。洗濯してきちゃいますから、その間に採点してください」
「すまない」
「いいんですよ。私、案外おせっかいだって、気づきましたから・・・未来でね」

最後の言葉は小さく扉の開けた音で聞こえなかったはずなのに、

「?なにか言ったか?」

そういって声を拾う。
それが私の声だからじゃなくて、
は組の担任としてのスキルでも、嬉しいと思う自分は、馬鹿なのだ。
何度繰り返しても学習できやしない。

「いいえ、なにも。じゃぁ、行ってきます」

洗濯物の量はそんなになかった。
パンと音を奏で伸ばし終わった洗濯物は、風に吹かれて揺れた。
ふぅっと、でていない汗を拭う。

「そうだ。頭も洗ってあげよう。
髪綺麗になったら、不潔じゃなくなって、
もっとモテて、私以外に告白する人増えるかも。
そしたら、先生どうすのかな?全員と付き合うのかな?」

ふふと、誰もいないことをいいことに毒を吐いた。
笑ったら一気に冷めて、馬鹿らしくなったけど、
あの髪は前々からどうにかしたかったので、実行することにした。

「せんせーい。終わった?え、胃が痛い?
小数点以下の点数をつけれる先生に私は感心しますけど、
終わったら、髪洗いましょうか。
え、嫌って、その髪で居続けるほうが、大体の人は嫌だよ。
斎藤さんに貰ったでしょう。シャンプーとトリートメント。
それ、使いましょう。
じゃないと、斎藤さんに、前より酷いのバレて髪の毛むしりとられちゃいますよ」








前の私は、土井先生にどうしたら自分だけ見てくれるのか精一杯で、
あんまり笑ってなかったようだ。
仲の良いくのたまの子が、「この頃は機嫌がいいのね」と言われて、
今の私が笑うことがうまくなっていることを知った。


先生の部屋で今日は、
どうすれば、は組のいい子が授業を聞いてくれるかの作戦会議に参加していた。

「というわけだから」

はーいと先生のお話の途中を遮っちゃうようで悪いけれど、手をあげた。

「先生。それだと、よい子の彼らは寝ちゃうよ」
「ん?そうか?」
「うん。いい子は、好奇心旺盛だから、
そういうのは、面白いことと混ぜあわせるんだよ。
テストが悪くないものだって思わせたら、勝ちだよ」
「うーん、難しいな」
「先生なら、出来るよ」

微笑むと、先生は照れたように頬をかき。

「そうか・・・・・・、今度どこか行かないか?」
「え、いいの?本当に?」
「ああ、この頃あまり構ってやれなかったのに、
はわがまま言わないでいろいろしてくれたからな」
「先生は、は組ばかりにかまけて、
自分のことをないがしろにし過ぎだからね。
わがままなんて言えないよ。・・・でも、うれしいなぁ」

うん。嬉しい。嬉しかったよ。
私、言われたときすっごく、ものすごく嬉しかったんだ。
とっときの桔梗のついた着物を、押入れからだして、
どの帯とあうかって、その日まで何度も何度もあわせて、
斉藤さんの髪切り予約を友達にねだって、順番を譲って貰って
「うんと可愛くしてね」って。
口紅もおしろいも、流行色を取り入れて、ケバすぎず清楚系を狙って、
この時ばかりは大人な精神を忘れて、子供のように楽しんだ。
自己最高に可愛いと思える装いをした私は、町へ出た。
私と土井先生の間は学園では秘密だから、
学園で待ち合わせじゃなくて、団子屋さんで待ち合わせだ。
お団子と書かれた旗の下に座る。
ぱたぱたと旗が音を出して揺れた。
ぽかぽか陽気に、美味しいお茶と団子。
何人かの男の人に誘われたけど、すべて断って、
空の上に浮かぶ雲の様子を見ていた。



私は、この後の結末を知っていた。








焼ける匂い音、人の悲鳴、暑さ、寒さ。
半端ない空腹と未来への不安。
そんな俺の手は真っ黒に汚れて、何ももっていないのに、
誰かが俺の手を掴んでくれた。
優しいお人好しの大馬鹿野郎。
泣くことも出来なかった俺は、この人に出会って変わった。




学園に来て、俺には大切なものが増えた。
しんべえ、乱太郎、は組のみんな、おもしろおかしい先輩。
そのなかで頭一個分出ている大切の度合いが上な人がいた。
その人は、俺の手を握って、父親になるといってくれた。
だから俺は、先輩が嫌いだった。
俺から土井先生を奪ってしまう存在だからだ。
先輩も俺達が嫌いだった。土井先生を毎回とられているから。
バチバチと一人の人間を取り合う。
でも、最近、先輩は俺たちを見ても睨まなくなって、
離さないとばかりに土井先生を掴んでいたのに、
一歩後ろで微笑んでいるばかりで、取り合いに参加しなくなった。
俺はぞっとした。
彼女の笑みが余裕のあるものに見えた。
土井先生も前より先輩に近付いている気がして焦った。

だから、俺は。

「なぁ、みんな。遊ぼうぜ」

先輩がそわそわして、服とか帯とか、髪とかメイクとか、
色々と試している姿を見て、斎藤さんにそれとなく聞いてみた。
なんかデートだって、恋する女の子は、かわいいよね。と聞けた。
誰が相手なんて分かりきったことだ。

「土井先生。しょうがないっすよ。赤点なのは。
だって俺等あほのは組ですよ?ちゃんと補習受けますから、ね?」

ただ俺は、盗られたくなかったんだ。
俺の言葉に先生ははぁと胃を抑えて、
出席簿を持って、席につけという。
土井先生は優しいから、先輩より俺達に優しいから、
先輩との約束を破った。
嬉しかった。すごくとっても嬉しかった。
その日の補習は、みんなの好きなものが混じったもので楽しかった。
土井先生が、ちらりと太陽を気にする。
俺は、土井先生にそそっと近づいて、
純粋無垢な顔を装い、尋ねる。

「なんか時間気にしてますね。
用事でもあったんですか?あ、もしかしてデートとか?」
「いや、そうではなく」
先輩とか?」
「!!」
先輩と教材の話してましたもんね。買出しっすか?」
「あ、ああ。そうなんだ。」
「じゃぁ、俺言ってきましょうか?来れなくなったって」
「いや、しかし」

「にゃぁーナメさんが」
「待ってそっちは、ああああ」
「乱太郎が穴に落ちたぞ!!その上からなめくじが」
「先生!!しんべえが、どうみても怪しいおやつを食べようとしてます!!」

ナイスアシストの天然の彼らにGJと親指を突き出す。
がっくりと折れた先生は。

「・・・・・すまん。頼む」
「まいどー」

俺、無料じゃぁ、動かないけど、今回だけは特別。
先輩に悪いなんてちっとも思わない。
だって、俺にはこれしかない。
あんたには家族とか持ってんだろう?だったら奪うなよ。
もう誰にも大切なものを奪われたくないんだ。


約束場所へ行くと、綺麗にめかしこんだ先輩が座っていた。
何日も頑張っていただけあって先輩は、
いつもの先輩よりも綺麗で、何人もの男に横目で見られていた。
一瞬、声をかけていいのか困ったけれど、
先輩の桔梗の花が、風に揺れて、目が覚めた。
先輩は、俺に気づくと一回目をやって、
ふっと力を抜いた笑みを浮かべた。
それに、ムッとする。

「先生は来ないよ」

俺は先輩の目の前にたった。
太陽の光を遮り、先輩の顔がよく見えるように、真正面だ。
余裕のある笑みを浮かべるこの人を、悔しがらせたかった。
そして、もう二度と土井先生に近づかないで欲しかった。
俺の中の想像の先輩は、落胆しきった顔をしている。
そりゃそうだ。ずっと楽しみしている姿をみてきた。
何人もの人にこれは可愛いかどうか聞いていたのを知っている。
頬を赤く染めて、目を輝かせていたのを知っている。
だから、先輩は、落ち込むはずだったのに、
現実の先輩は、いつもの笑みだった。

「そう」

たった二文字の言葉が返された。
この程度では揺ぎ無いというのか。
そんなに二人の間には強い絆があるってこと?
無性に苛立った俺は、言葉で攻撃する。

「あんた、分かってんの?
ドタキャンされて、しかも本人も言いに来ないし、
あんた、愛されてないんだよ」

言い過ぎだと分かっていたけど、どうしようもなく傷つけたかった。
諦めさせたかった。
先輩は、ゆっくり顔をあげて、俺の瞳を見る。
先輩の瞳は、澄んでいた。

「うん、知ってる」

今日はいい天気みたく、軽く言われたので、
先輩が何を言っているのか頭に入らなかった。









夕方、補習授業が終わった俺は、気になってまたあそこへ行ってみた。
いないであってくれと思いながら、
俺は先輩がそこにいることを確信していた。

「・・・・・・まだいるの?」

先輩は、夕方の落ちる日を見ていた。
青い服が真っ赤になったいる。
先輩は、すっと立ち上がって、振り返る。

「ねぇ。ついてきてくれる?」

なんで俺がついていかなくちゃいけなんですか?嫌ですと
断ろうとしたけれど、昼間聞いたのは全部演技で、
本当はすっごく怒っていて、見えない場所で、
俺を攻撃するつもりなのかもしれないと思った。
それなら、それを利用しよう。
俺の傷ついた姿で、土井先生に徹底的に嫌われればいい。
そう思って付いていった。
それなのに。

真っ赤に染まるのは、一面の桔梗の花。
青と赤と緑が混じって、絶妙な色合いを醸し出していた。
さわっと揺れて、桔梗の匂いが香る。
そんな場所の中心で、先輩は、柔らかく微笑んだ。

「綺麗でしょう?見せたかったんだ」
「・・・俺にとりいろうってわけ?」

憎まれ口を叩いて、睨まないと、
心のなかで感動していることが分かられそうだった。
先輩は俺の言った言葉にきょっとんとしてから、
考えすぎだよと笑ってから、1本の桔梗を摘んだ。

「違うよ。ただ見せたかったんだ。
この綺麗を私だけのものにしとくのは勿体無くて。
まぁ、見せたかった人は来なかったし、君でもいいかなぁと」
「なんで俺?」
「私のもとに来たのが君だったから。いや、私は君であると知っていた。
きり丸くん。君は、勘違いをしている。
私は、君のお父さんをとる気はないよ。
いいや、とれないというのが正解だけれどね。
私はただの生徒だから。あの門をくぐれば、ただの他人。
でも、君は息子でしょう。
先生を笑わしてあげてね。幸せにしてあげてね」

先輩は笑った。いつもの余裕のある笑みで。
ふわり、ふわりと幻想的な夕暮れは、徐々に真っ暗な闇に侵食された。

「それからね、きり丸くんが気が向いたときに、
この景色を先生に見せてあげてね」

俺は、ようやく気づいた。
先輩のその笑みの意味を。
先輩の笑みは、
足掻くことを諦めて、刹那を望み、終わりを悟っていた。
だからあんなにも、柔らかく、穏やかで、儚かないのだ。









しとしとと雨が降る。
私の長屋は、きちんと整理整頓されて埃一つもない。
前の私だったら、散らかし放題だったけれど、
未来の私は、ある人物により、
不摂生の成れの果てを見てしまったおかげで、綺麗にするのが癖になった。
ぺらりと何気なく置いてあった本を読む。
内容は頭の中に入ってこない。
ただ脳みそを整理するためだけに
本を読むという形をとっているにすぎない。
前回の私・もとい過去で今の私は、先生にわがまま言って、
約束したのを、ドタキャンされ挙句、酷くきり丸くんに傷つけられた。
今回の私・もとい未来を過ごした私は、先生にご褒美としての
約束をドタキャンされ挙句、やっぱりきり丸くんが来た。
二回目だからといって、きり丸くんの言葉が、
全然こたえていないというわけではない。
ちりりと胸がむず痒い痛みを訴える。
だけど、きり丸くんの言葉が事実であることは変らない。
いくら未来から来て、過去を変えようと思っても、それは変わらない。

だから。

暑い季節。
穴の中にいれば、涼しいといたのが悪かった。
あれを聞いてしまうのは、
次の次の季節だと記憶していたから、油断していた。
私が最もここにきたくなかった理由。
二人の気配が消えて、そのままずずっと体を穴に沈めた。
顔を両手で隠す。
あー、と唸りたいのをそのままに吐き出す。
あー、本当に、私は何しにここに戻ってきたのだろう。
乙女心を、踏みにじった彼に復讐するためかな?
違う。
最悪を最高にかえて、笑い話に、そんで笑って、終わりを。


あーーー。


馬鹿だな。
本当はどっか期待してたんだ。
子供じゃなくて大人になった今なら、あの言葉もなくなって、
私を好きになってくれるんじゃないかって。
一方通行じゃなくて、両思いで、
未来で、きり丸くんと私と土井先生の3人で、
笑いあえているんじゃないかってさ。
馬鹿だな。
そんなの叶うわけないのに。
馬鹿だな。
ボロボロと涙が溢れた。
声をあげずに泣く方法は、今も昔もできていて、
誰かに見つかって先生が困ればいいと思うものの、
終りが怖くて、声をなくす。
馬鹿だな。
これで、終わりにして、違う恋を見つければいいじゃない。
そんで、いい女だったのにもったいないって言わせればいいじゃない。
馬鹿だな。
こんなことを言われても、
こんなこと言われると分かっていても、
何度繰り返したって、私、やっぱりあなたが好きなんだ。

それが、一番悲しい。


とですか?本気なのかって、そんなわけないじゃないですか。
何度言ってもきかないし、挙句に夜這いまで仕掛けてきますし
だったらのお話です。も大人になったら分かりますよ。
私のことはただの憧れだって」

聞かされた言葉に心のなかで返す。
ごめんと。
私、大人になったけど、分からなかった。と。










私が大人になって、できるようになったのは、泣くことじゃなくて笑うことだった。
毎日毎日、土井先生のところへ遊びにいく。
何度かデートみたいなこともしたけれど、
恋人らしくなく、あれはどの子が喜びそうだとか、
あれはどの子に似合うとか、1年は組の話を、2人で話していた。
遊びというには、子供らしくなく、大人らしくもなく、
ただのお母さんとなっている気もしなくもないけれど。
今日も、部屋の掃除と洗濯物を干し終わった。
そろそろ葉っぱも色づき、秋の季節が近づき始めた。
空は雲ひとつない快晴で、
まだ少し熱くはあったけれど、心地の良い風が吹いていた。
足元にこつりと何かが当たる。どうやら、ボールのようだ。
それをかがんで拾うと、ボールをとりに来たのだろう、きり丸くんが見えた。
私と目が合い、きり丸くんの表情がみるみる変わる。
あきらかに、私に会いたくなかったと分かる顔をしている。
それに、少々落ち込んだが、
(先生と1年は組を話すうちにだんだん愛着が湧いてきてしまった。)
前のように睨まれるよりはましかと、

「はい、ボール」

ボールを笑顔で渡す。
でも、ボールは、きり丸くんの手からこぼれ、茂みの方へ行ってしまった。
茂みの方から、一瞬、キラリと光るものが見えた。
その刹那、記憶がすごい勢いで捲りかえる。
いつの季節だか分からないけれど、きり丸くんは曲者に襲われ、
命に別状のない程度の怪我をした。
彼は助かる。
彼を助けて、私が助かる保証なんてない。
だけど、きり丸くんは、先生の一番大切なものだから、私は走った。
きり丸くんの手をとって、突然の私の行動に唖然としている彼を抱きしめる。
ザッシュと自身の体にクナイが食い込んだけれど、
ここに隠れていることがバレたこと、
私がここにいることに驚いたのだろう。
隙だらけな曲者の喉に、クナイを横に振った。
殺さないと、私は殺されていた。
曲者の腕は私より上だからだ。
浴びた血は、自身の怪我の血より多くて、体全身が真っ赤になった。

「大丈夫?」

目を見開いて驚いているきり丸くんに、手を差し出したら、
うわぁと恐怖を顔に写して、手を振り払らわれた。
そうだった。まだ1年生はこういったことを見ていないんだ。
いや、きり丸くんは戦場にいたから、昔がよみがえったかもと、
ずきりと痛む怪我に、いつ来るか分からない曲者の援軍に、
私はできるだけ怖がらせないように笑みをつくる。

「きり丸くん。誰か呼んできて、あ、あと保健委員」

抱きしめていた手を離す。
きり丸くんは、何か言いたそうな顔をして、
何度か顔を上げたり下げたりして、
私と一回顔をあわせてから、そのまま走ってどこかへ行った。
そこから、倒れたのだろう。記憶がない。










わがままは言わないよ。迷惑もかけないよ。
今度は泣いて困らせることなんてしないよ。
一方通行だってちゃんと分かってるから、
傍にいて、笑って、楽しかった記憶だけでいいじゃない。
それ以外はいらないじゃない。ねぇ、そうでしょう?先生。





保健室で目を覚ませば、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
私の大好きな柔らかな声。
顔を横に向けると、予想通り土井先生がいた。
ほっと気持ちが落ち着く。
なんだかんだ言って、戦闘とは離れた場所にいた私だから、
ああいうことは慣れなくて、怖かったみたいだ。格好悪い。

「すまない」

先生は謝った。
私はなんで土井先生が謝るのか分からなかった。

「体に傷を」

先生の言葉で、私は自身に巻き付いている包帯をさする。
目までいかなかったものの、
その横に縦一文字に傷が入ってしまったらしい。
胸のほうにもちょっと傷が残った。
自分のことなのに、ふーんと違う誰かのお話のように聞いていた。
なにがあったのか倒れたあとどうなったのかの説明が終わって、
長い沈黙がおりた。
どうしたんだと、土井先生の方へ顔を向ける。

「先生?」

先生は考えつめた顔をして、口を開いた。

「私の妻にならないか?」

一瞬、何を言っているのか分からなかった。
どこかで期待していた言葉だったはずなのに、
現実に聞いたら、体は芯まで冷えている。
体に負った痛みよりも、鈍く体全身に響いた。
笑いたくなったけど、答えを言う方が先だと口を開いた。

「嫌だよ」

先生がこちらをようやく見た。
なんでという顔と、ちょっと安心している顔に、胸がえぐられる感覚がした。
でも、まだ泣いちゃいけない。

「先生、自分の責任とか思ってるでしょう?
今回のは、学園の過失だし、先生の責任とかいらないよ。
ただ命あることを喜んで泣いてくれた。それだけで十分だよ」
「好きだと言っても?」

酷い人。

「・・・・・・それは、さっきより、酷い言葉だね。
土井先生は、よい子のは組の先生でしょう?
嘘はよくないなぁ」

私に、こんなことを言わすなんて。残酷だね。
私は笑っていた。
先生は、沈黙していて、よく表情が分からない。
そういうところは、本当に先生だ。
重要なところは表情を読ませてくれない。

「これで、お別れかな。もっと楽しんでいたかったのになぁ。残念。
土井先生。私、この後の未来でも、ずっと先生のこと好きだったよ」

おかしいな。
先生と一緒にいる空間は大好きだったのに、今は早く出ていって欲しい。
だって、泣けない。
私、泣くときは一人か、泣いてもいい人の前だけでしか泣かない。
前の私は、あなたの前で泣いていたけれど、
分かっている私は、もう泣かない。

「私生徒になっても、先生のところにお邪魔しちゃうから。
じゃぁ、バイバイ」

私は土井先生と別れた。









桜の花弁が、いつのまにか頬に当たっている。

「えー、なにそれ。つまんない」

少年の答えに、少女が不満そうにむくれる。
どうやら時間は、私の一回の瞬きぐらいしか動いていないようだ。
いや、もしかして私は、白昼夢を見ていただけなのかもしれない。
そっと頬を触ると、でこぼこを感じる。
きり丸くんを守ってできた怪我は、そのままそこにあるようで、
あれが、現実なのだと分からしめた。


――何がしたい?――


風にのって聞こえた声に無言でいると、

「おーい、。休憩ついでに、茶店行こうよ。新作でたらしいよ。
あそこのガミガミ親父の」

私の職場の上司が現れた。
私が綺麗好きになったのも、おせっかいになったのも、こいつが原因だ。
上司はへらへら笑い、私の腕を掴むと、私を桜の木の下から連れだした。

「なになに?大人しいねぇ。桜に酔ったのかい?」
「いいえ、酷い上司を持つと、色々なスキルが手に入るんだなって
感心していたところです」
「あれ、持ちあげちゃうの?じゃぁ、三個までなら奢ってあげるよ」
「ゴチです」

くだらないことで笑いあいながら、道を進む。
階段をおり、土手道までおりていった。
満開の桜の下で、くるくると花弁が舞い、

―――ねぇ、何がしたい?―――

声はまだ響いていた。