もう、ひと押しだわ。もうひと押しで、ちゃんは、利吉さんを選ぶ。
鼻歌を歌いながら、私は、喜八郎さんの姿を見つけた。
?なんで、あんなところに、突ったっているのかしら?
鋤も落として。
「喜八郎さん?どうしたの?鋤を落として」
落ちている鋤を拾えば、彼の見ている方向を見てしまった。
・・・・・・・なんで、こういうところを見てしまうかな。
ああ、
嗚呼、
私が教えようとする彼の手を掴んでも、もはや無駄。
現実が容赦なく突きつける。
まだ、早いよ。まだ、早すぎるよ。
彼は、目を見開いて、私の声なんか届かない。
綾部 喜八郎は、その光景を一度も瞬きせずに、見ていた。
が、一人の女として開花する瞬間を。
彼女の赤い赤い唇に、男のそれが触れ、荒々しく、
息が少しばかり漏れ、彼女の頬から、透明な雫がホロホロと落ちていた。
それは、花が散るような涙だった。
彼女と男の距離は零。背中じゃなくて、向き合っている。
長い、長い時間のように感じたけれど、
パチリと一回目のまぶたが閉じる音がした。
彼女と、男は、少しばかりの距離ができて、
男は、彼女を見て、彼女は、下を向いていた。
男の視線は熱くて、見てはいけないものを見ているようで、
こちらまで、なんでか熱くなる。
息を整えている彼女の顔を、男は自分の方へ向けて、言った。
男は、涙を流していた。
「、結婚しよう。もう、恋人からじゃ、駄目だ」
なにが駄目なんだろうか。
「もう、誰かを想って泣いているを見るのは、我慢できない。
私じゃいけないか?私では」
彼女は、口を、「あ」の大きさに開けて、困惑しているようだった。
そんな彼女の姿を見て、男は、彼女に何かを渡した。
「・・・・・・今度、私は長い旅に出る。にもついてきて欲しい。
そのときに、答えを決めていてくれ」
そういって、男が部屋から出て行って、少ししてから、
彼女は、壁を伝って、ずずずとしゃがんでいった。
髪が、壁に張り付いていることも、どうでも良さそうな
放心状態の彼女は、急に、一気に、顔を赤く染めた。
片手で、赤い頬を掴み、もう片手で男に渡されたものを握りしめて、
困惑なのか、喜びなのか、よく分からない顔をしていた。
ああ、そうか。
綾部 喜八郎は、何度目かの瞬きで、気づいた。
後ろを掴む小春の存在に。
「お願い、いかないで」
小春が、何を言っているのか分からなかった。
ただ、綾部 喜八郎は思った。
彼女が泣いている姿を見るのは、とても悲しいけれど、
それはきっと私のせいだからなんだろう。
もし、誰かが彼女を泣かせていたら、私は泣かせた奴を怒るだろう。
そして、もう一人の女を見た。
彼女は、まだ座ったままだった。
彼女の泣いている姿を見るのは、とても腹立たしいけれど、
それはきっと私じゃないからなんだろう。
もし、誰かを彼女を泣かせていたら、私は・・・私は?
私は、あの男を、穴に埋めて一生そこから出さなくしたい。
もはや簡単に、「大嫌い」で補うことは出来ない。
私の感情は、今も真っ白で、ヒントもないから、バラバラ。
だけど、今、何かが一つ、埋まった気がする。
彼女が、他の男に触られることは、
穴を全て埋められることよりも、滝が怒鳴って怒っているよりも、
立花先輩のお仕置きよりも、小春さんが、他の男に触られるよりも、
なによりも、むしゃくしゃして、どうしようもないこと。
2010・5・10