小さい頃、よく外へ出かけていく父の背中を、母と一緒に見送った。
私はそのころ、まだちゃんと父の仕事を理解していなかった。
ただ、見送るときの母の顔がいつも、寂しそうだった。

自分の贔屓目抜きにしても、母は美しい人で、
村一番の美人というのは大げさではなく事実。
そんな母をみなは放っておかない。
母が、重い溜息を吐いて、家に帰ってきた時は決まって、
告白をされ、断ってきた時だった。
今度の人は、よく遊んでくれるし、顔もいいし、性格もいいし、収入もいいし
文句の付け所もなかった青年で、子供ながら、本物の父よりも
その人のほうがいいように思えて、私は母に問いかけた。

「母さんは、父さんと結婚して幸せ?」

「あら、どうしてそんなことを聞くの?」

「だって、父さんはめったに家に帰らないし、それで母さんはいいのかなって」

沈黙。しまった。言ってはいけない事を、言ってしまったと、
私は顔をあげることが出来なかった。

「いいわけないじゃない」

少々怒り気味の声が、母から聞こえて、顔をあげる。

「仕事やめて、さっさと帰って来い。っていつも、思ってるわよ。危ないし。
文を見る度に、どうやって顔を青くさせて手紙に謝るほどの内容にするか、
考えるのも疲れてきたわ」

つらつらと出てくる愚痴に、
じゃぁ。じゃぁ、違う人を、という前に、母さんは笑った。

「だけど、母さん幸せかな」

それは、嘘偽りのない笑みだった。
にぃぃと口の端をあげて、歯を一文字。目は弓なりに、
綺麗な母さんらしくない可愛らしい笑み。
まるで、タンポポのような笑顔。
それが、本当の母さんの笑みだって知っているから、
他の人を父さんに、という言葉を、喉の奥にしまった。
だけど、納得できていないことは、ばれていたらしく、
膨れた私に、母さんは優しく髪を撫でて。

「いつか、利吉も分かるようになるわ。どうしようもなく、好きな人。
自分のしてることが、馬鹿だって分かっても、あの人じゃなきゃいけない人。
そして、その人と、家族になれるってことが、どんなに素晴らしいか。どんなに奇跡か。
もちろん、あなたに会えたことも、幸せの一つよ」

それから、私は母の言葉を、理解する。
5歳も年下の少女に出会って。





街の茶店で、私はお茶を頼んだ。
店の年若い少女は、私を見てから、チラチラと視線を送って

「あの、これ、サ、サービスです」

と、頼んでもない。お饅頭を私の横においた。
サービスか、なら私も。

「ありがとう」

と、サービス満天な笑顔に、少女は、赤くなって店の奥にかけていった。
笑顔をそのままに、茶を一気に、飲み干す。

落ち着け。落ち着け、自分。
バクバクと、心臓が激しく動いている。

あの後、が見えなくなると、
自身過去最速タイムを出して、学園から出ていった。
出門表を書かなかったから、小松田くんが、追いかけて来るかも知れないが、
それまで時間があるだろう。
早く自分らしさを取り戻さなくては、と思うものの、にんまりと顔がゆがむ。
キスをした。
前のように触れるだけではなく、の意識がないわけでもなく、
何度も、何度も、が理解するまで、口づけを交わした。
可愛かったな。。頬に流れた涙を、舐めたかったな。
と、頭の中で、リプレイして、永久保存版を作ったものの、
急に、寒気が襲ってくる。後悔だ。
でも、どうしよう。が、嫌だったら。
キモイ。利吉。とか。
兄だと信じていたのに、そんな視線で私をみていたなんて、二度と近寄らないで、とか。
ふっ、だから、私は、ちゃんと逃げも作った。
格好いいこと言っといてなんだが、自分がずるいことをよく知ってる。
じゃないと、忍として生きてこれない。
というか、私は、人として再起出来ない。
それを思って、肩に重しが乗っかったように、重くなる。後ろめさだ。
長い旅。一緒だったら、短くて、一緒じゃなかったら長いそんな旅だ。
つまり、二度と現れるつもりはない。
最終的な選択を、彼女に叩きつけ、彼女を追いつめた。
もう曖昧な言葉は、ありえない。

答えは、「はい」「いいえ」のみ。

どちらを選ぶかは、次第。
だけど、どうしてか、は、私の横で母のような笑みを、私に向けている。
もう、一度にんまりと笑う。
誰かの視線を感じて、後ろを見れば、店のものに、視線をそらされた。
ようやく、心が落ち着いてきたときに、遠くから私を呼ぶ声と、足音が聞こえて、
店にお金を置く。
どうやら、マニュアル小僧は、サイドワインダー ごとく、私を追ってきている。
店の少女は、最初の、友好的だった笑みをひそめて、
ひくりと口端を引きつり、歪な笑みと言えないものをつくった。

私はそうとう百面相をしていたようだ。
でも、今は、なりとか気にしてられない。
母が言う幸せを、私だって感じたいんだ。










2010・5・21