その日はとても穏やかな日だった。
カンカンカンと釘を打ち付けて、壊れた桶の修繕を終えて、
「先輩、これってどこにおけばいいんっすか?」
と、後輩の作兵衛が聞いてくる。
後ろでは、一年の可愛い後輩が三人集まって
ワイワイと、桶を一生懸命変形させ、新しい物体を生み出している。
涙が出そうになるほど、幸せだ俺。
半泣きの俺に、作兵衛が、ひっと息を呑んで、
「い、いや。ちゃんと俺、持って行きますよ?だから、殺さない下さい!!」
妄想癖がすぎる作兵衛。
作兵衛の台詞に若干傷つきながら、頭をポンと軽く撫でてやると、
一回驚いて、それから照れて、子供扱いしないでくださいといいながら、
喜んでいる姿に、毒を吐きまくる彼女を思い出して、ニヤける。
「触るんですか?触らないいですか?なら、一生触らないでください。
私だって、あなたに触らないですから・・・・・・泣いてませんよ。
これは、善法寺伊作からの恐怖な視線に怯えているのです。
っ、な、なに、笑ってるのですか?そんなことするなら、
さっさと。
・・・・・・いいです。撫でるくらいなら、許してあげますから、
さっさと頭に手を置いてくれてもいいんですよ?」
と覗き込まれて、ぐっはー。やべぇ死ねるとそのまま悶えて床を叩いていたら、
「ツンデレてんじゃないよ。そのせいで、ほら、床に穴が開いた。直してくれるの?」
「わ、私がいつツンデレしましたか!!」
「そういうところ」
そういって、の頬を伸ばしている伊作。
痛がって泣いている。
二人の仲が良すぎて妬けるけれど、伊作に問い詰めたら、いい笑顔で
「そんなことになったら、殺す」
と言っていた。ちなみに、同じ質問をにしてみたら、
「そんなことになったら、殺されます」
なんだか意思疎通できている。
だけど、は、そんな俺に
「そんなこと思わなくても、あなたぐらいですよ。
私を捕まえてくれているのは、だからそんな心配しないで、
な、撫でてくれてもいいんですよ?」
と、ぎゅっと手を握ってきた。
付き合う前だと想像つかなかったのだけれど、
甘やかされることに慣れていない彼女が、わざわざそれを催促するほどに
は、頭を撫でてもらうことが好きらしい。
いや、俺の手が好きらしい。暇があれば、手を触っている。
ふにふにしてませんねー。硬いです。なんて言って幸せそうに微笑んでいる
姿に、ときどきこの生物は俺を悶殺させるつもりなんて思っている。
作兵衛が持っていたのは、重い工具で、置く場所も背の高い棚だったし、
ちょうどそこに用があった俺は、作兵衛からそれを取って、
「休憩」
と言っておいた。
作兵衛は何か言いたそうにしていたけれど、
本当、この顔見られなくて良かった。
先輩としての威厳が全部なくなるところだった。
可愛い後輩に癒されるのもいいけれど、早く可愛くてしょうがない彼女のところでも
行くか。と思って、倉庫から出ようと思うと、倉庫の扉に人が立っている。
太陽を背に、その影は呟いた。
「返してくれ」
一体なんのことだろう。光に目が慣れてくると、その影が徐々に姿を表した。
「返してくれよ。留三郎」
「小平太」
小平太は、いつものような元気な姿が嘘のように、
疲れ切った顔で、よろりとこちらにやってきた。
「私ができることなら、なんでもする。だから、返してくれ」
小平太の言っている返してくれがなんなのか分かって、ぞっとした。
は気づいていない俺だけの秘密。
小平太が、のこと凄い好きだということ。
小平太が、違う女に言っていた好きは、違かったこと。
小平太は、まだと恋人同士だと思っていること。
小平太が気づいていなければ、そのまま時が過ぎて終わりだったのに、
誰かが教えてしまったらしい。舌打ちをしたい気持ちを抑える。
もし、小平太が、のことをずっと好きだったことを知ったら、
はどうするつもりなのだろうか。
俺を捨てて、元に戻ってしまうのだろうか?
「お願いだ。私は、以外は愛せないんだ」
近づいてくる小平太の顔は必死で、その姿が、自分の姿に重なる。
そして、後ろで泣くのをずっと、我慢していた。
泣きたいのに、泣かないと言って。
手のひらから、血が出てくるほど強く握りしめて、
最初から、好きじゃないです。と辛い顔して嘘をつく。
「だったら、なんで一人にさせたんだ」
今、俺は馬鹿なことをしている。
俺だってだけだ。おまえなんかに渡さない。そう言って出ていけば終わりなのに。
あの時の彼女の辛い姿が頭の中一杯になって、かぁっと血がのぼる。
「愛せないだと?愛してたじゃないか。あの天女さまに。
言っていたじゃないか。お前がそんなんだからな。
が一人で泣けもしなかったんじゃないか。お前がに愛なんて、聞けるかよ」
「・・・・・・は・・・泣いたの?」
がっと力強くつかまれる。馬鹿力すぎて振り払うことも出来ない。
「ねぇ、答えてよ。留三郎。は、私のために泣いてくれたの?」
「おまえのために、泣くわけがあるか。今は俺と超ラブラブだ。いい加減離せ!!」
ばっと、ようやく離したら、ゆらりと小平太の体が揺れた。
「そう。そうだよね。は、意固地だから、そんなことをするんだ」
「は?」
「泣いてくれるほど嫉妬したから、仕返しに留三郎といるんだ。
なんだ。心配しちゃった。が、私のこと嫌いになちゃったかと思ったよ」
小平太の言っていることが分からない。
「は俺の恋人だぞ?」
そういえば、急に笑い始めた。
「あははは。おかっしー留三郎。は、私のだ。
今のは全部嘘で、全部演技。
は、くノ一だもん。私が来てくれるのをずっと待ってる」
いかれてやがる。そう思ってゾッとした。
ハハハと、とても小平太らしい笑い方をしているけれど、
6年間一緒にいた小平太ではない。
俺は、じりっと後退して、小屋の上にある窓をみる。
ハと笑いが急に止まったかと思うとそうだ。そうだ。
と独り言を言って、俺をみる。
「そうだ。でも、じゃまだから、留三郎。さっさと別れて?」
なにが、でもなんだか。と思いながら、
俺は鉄双節棍を、取り出して構えた。
「誰がそんなことするかよ」
「じゃぁ、死んで?」
ああ、。今日お前に会うのがちょっと遅れそうだ。
拳をかわして、遠くなる意識に、作兵衛の必死な声が聞こえた。
2010・07・29